「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

 

 

 

 戸板康二の『松風の記憶』(1960)を読んだ時は、感嘆しました。
 この作品は老俳優にして名探偵である中村雅楽ものの長編なのですが実は謎解きミステリとして読んだ時、必ずしも彼は必要ではないのです。謎とその解明という意味において、この作品は彼を関わらせなくても成立しています。
 なのに、中村雅楽を登場させているのは何故か? それは、謎解きミステリとしてではなく、物語として、名探偵を必要としているからです。
 読者に真相を知らせるだけなら、雅楽がいなくても良い。けれど、雅楽が〈解決〉しないと、物語の中の登場人物たちが報われない、救われないのです。故に、彼がいなければならない。
 ここに唸らされました。
 一口に名探偵といっても色々なタイプがいるとは思いますが、僕はこういう、全てを理解した上で、関係者の誰にとっても一番良いところに落としてくれる、もしくはそうしようとしてくれるような、そんなキャラクターのことが好きです。そして、そういう役回りを求めるミステリは、謎解きものだけとは限らない。他のサブジャンルでも、名探偵を必要とするものがきっと、ある。
 たとえば、今回紹介するジョン・ボールの『拳銃をもつジョニー』(1969)は、名探偵を必要としたクライム・ノヴェルです。

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 『拳銃をもつジョニー』は黒人刑事ヴァージル・ティッブスものの第三作です。
 初登場作は『夜の熱気の中で』(1965)で、この作品はMWAの新人賞を受賞している他、『夜の大捜査線』というタイトルで映画化もされています。もしかすると、この映画の方が原作よりも有名かもしれません。
 ヴァージルはカリフォルニア州パサディナ署の殺人課の刑事で、同僚や上司からも信頼を置かれている優秀な捜査官です。
 ありとあらゆる事柄への深い教養と、鋭い観察眼の二つから導かれる彼の推理はアクロバティックでありながらも常に真相を突き、最短距離で事件を解決へと導きます。その頭の冴えは、シャーロック・ホームズ張り。
 昨年、早川書房から出版された『IQ』(2016)の主人公IQがロス黒人街のホームズとして話題になりましたが、その評判を聞いてヴァージルのことを思い出した人も多いのではないでしょうか。ヴァージルはまだ若いIQとは違って老練の域に達しているところがありますが、教養と観察に基づいた推理からの行動的な捜査を行うという点で、この二人は事件へのアプローチの方法も似ています。
 『夜の熱気の中で』では、そんなヴァージルが旅先で人種差別の激しい南部の街で起こった殺人事件に巻き込まれ、決死の捜査をするというストーリーになっています。
 この第一作の印象が強いからでしょう。彼のことは人種差別と戦う刑事、という文脈で語られることが多いです。
 ですが、シリーズの続刊を読んでみると、実はそれだけで語るのはちょっと違うのではないか、という風に感じます。確かに『夜の熱気の中で』は偏見にさらされる側としてヴァージルは捜査を行います。けれど、地元のパサディナに戻ったあとは彼はむしろ偏見を持っているマジョリティ側として、マイノリティの中で起こった事件を調べていくことになるのです。
 たとえば『白尾ウサギは死んだ』(1966)はヌーディストたちの住むコミュニティで、『五つの死の宝石』(1972)では米国内のアジア人コミュニティで事件が発生します。
 ヴァージルは他人に対して深い思いやりを持っている男ですから、彼らに対しても表立った差別的な言動をすることはありません。けれど、どうしても偏見というものがどこかにあり、それがそのコミュニティの人たちに触れることによってなくなっていくのです。
 つまり、このシリーズは黒人差別のみを題材としているわけではなく、むしろ、様々なマイノリティ、差別に苦しむ弱者たちを題材にしているわけです。そして、ヴァージルはそれぞれのコミュニティに住む人たちを理解し、救っていく、そういう趣向になっているように思うのです。
 『拳銃をもつジョニー』で扱われるのも、周りからの厳しい視線にさらされている弱者……低所得者層の白人家庭です。

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 希望の地を求めてパサディナに移住してきたけれど、ろくな職に就けず、いつもイライラしている粗暴な父親と、それに対して疲れきっている母親。
 本書の主人公、ジョニーはそんな二人の間に生まれた子供で、父親が買ってくれたラジオで大リーグの中継を聞くのが大好きな、まだまだ無邪気さの残る少年です。
 そんなジョニーはある日、学校でいじめっ子のビリーに、ラジオを壊されてしまう。
 悲しさに打ちひしがれながらジョニーは、やられたらやり返して名誉を回復しなければならないという父親の教えに従い、復讐を決意します。父親の持っている銃を持ち出して、彼はビリーの家へ向かい……というのが本書の粗筋です。
 この後、幾つか予定外のことが起こり、ジョニーの銃はとうとう火を噴いてしまい、人が死ぬ。それによって彼の逃避行が始まるわけで、つまり、ここだけ抜き出せば少年を主人公にした犯罪小説そのものです。
 そして、この部分が胸を打つ。
 日々の楽しみだったラジオを聞けなくなってしまったという悲しみ、新しく買ってもらったばかりだから、父親に新しいのを買ってくれなんてとてもじゃないが言えないという思い、上で述べたような壊したいじめっ子への復讐心……一つ一つの心理描写がまず良いのですが、なんといっても、彼が逃避行に出てからの物語に、胸が揺さぶられるのです。
 警察に追われることになってしまったジョニーはどうするか?
 アナハイムにある大リーグのスタジアムへ向かうのです。
 彼の贔屓チームであるエンジェルズの選手であるサトリアノに会うために。
 昔、ファンレターを送った時に「いつでも会いにきてくれ」と返信をくれた憧れのあの選手なら、きっと、自分がどうすれば良いか教えてくれる筈だ。今から向かっても、着いてからまだ時間あるな。そうだ、スタジアム近くのディズニーランドへも行こう。
 そんな風に考える彼の逃避行は、どこか、キラキラしています。
 読みながら、その無邪気さに自分の幼い頃のことを思い出してしまい「どうか逃げきってディズニーやスタジアムに行ってくれ」と思うようになってしまいます。
 しかし、警察は的確な捜査で彼を追う。世間一般の空気も、この非行少年を早く捕まえてくれ、いや、危ない、ぶっ殺せと盛り上がる。
 キラキラした逃避行と、絶望的な状況。
 どうか救われてくれ、と読者が願った時、その思いを汲んでくれる行動をある男がとってくれます。
 その男こそが名探偵、ヴァージル・ティッブスなのです。
 誰もが危険な非行少年とみなすジョニーに対して、家族以外でヴァージルだけは理解の目を向けます。
 彼のことを分かろうとし、ただ一人違う目線で事件の捜査を行う(故に、ジョニーがどこへ向かっているのかも彼の推理から辿りついてしまうのですが)。早く、自分が追いつかなければならない。そう思う彼の立場はあらゆる偏見と戦うこの探偵だからこそのものです。
 ヴァージルがジョニーに追いついた時、何が起こるか。
 そして、ヴァージルはこの孤独な少年のことを救えるのか。
 最後まで一気に読まされてしまいました。

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 このシリーズは、邦訳されている長編のほとんどが、ヴァージルの捜査を軸に物語が動くようになっています。
 ヴァージル以外の人物に視点が飛んでいようと、物語を動かしているのはあくまで彼の捜査で、それに合わせて事件の関係者が動くという構造です。
 けれど、この『拳銃をもつジョニー』だけはヴァージルではなく、ジョニーが物語の軸になっている。だからクライム・ノヴェルといえる味が出ている。
 本来なら異色作、と呼ぶべきところなのでしょうが……僕は余り、そういう気はしません。
 この作品が、シリーズの他のどの作品よりも強く、ヴァージル・ティッブスという名探偵を必要としている物語だからです。彼がいなければ、ジョニーが救われない。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人二年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby