みなさんこんばんは。第21回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。

 女性に対する有形無形の暴力を「そういうものだから」とそのままにしておいてはいけない、女性嫌悪的な表象を野放しにしてはならない――『 #MeToo 』のムーブメントはおそらく最初に想定されていたよりも大規模なかたちで世界中に広がり、現在も「もう黙らない」という声があがり続けています。一方でこういった流れについて「まだそこから説明しないといけないのか……」と思ってしまうような苛立たしい言説に出会うことも少なくはありません。すぐに全てが改善されるとは限らないとはいえ、道のりは険しい……しかし、フィクションの世界において、2010年代に山が動いたということは間違いないのではないか、と私は考えています。『ババドック 暗闇の魔物』についてこちらのコラムで紹介したときに書いたことと少し重なるのですが、女性像についてはこれまでになく多様なかたちで描かれ始めているように感じるのですよね。同じジャンルで同じようなキャラクターを描くとしても、作り手の視点が変わればできてくるものが自然と変わっていく部分もある。そこに希望があると思うのです。
 
 というわけで、今回ご紹介するのは、長年さまざまなかたちで手を変え品を変え作られてきた「女性による復讐譚」の新たな地平を切り開くコラリー・ファルジャ監督の『REVENGE/リベンジ』。フィクションのなかでの戦う女性というのはさまざまな形でこれまでにも存在していましたが、危ういところもあって、特に傷つけられる様子を「セクシーなもの」として描いた作品も割とあると思うのですよね。今作もいかによくできていても「若くて綺麗で肌も露わな女性が被害にあう」「復讐のためにさらにボロボロになる」話という時点でそのイメージが性的なものとして消費されてしまうのではないか……などと観る前には若干不安を感じていたのですが、実際見てみたら、なんというか、それどころではないパワフルなヴァイオレンス・アクションでした!

■『REVENGE/リベンジ』(REVENGE)[2017.仏] ■


strong>あらすじ:若くセクシーなジェニファーはセレブのリチャードと不倫中。彼が所有する砂漠の豪華な別荘に飛行機で降りたったときには、2人で過ごす休暇を楽しみにしていた。ところが、二人だけでいられたのは束の間のこと。翌日にはリチャードがここで予定しているハンティングゲームの仲間、スタンとディミトリがやってきたのだ。彼女の身体をじろじろ眺める男たちに警戒するジェニファーだが、彼らを無下にもできずなるべく一緒に楽しもうとしていた。しかし次の日、事件は起きた。リチャード不在の間にスタンからレイプされたのだ。戻ってきたリチャードに被害を訴えて一刻も早くここから帰らせろと怒る彼女に、彼は面倒なことになったといわんばかりの露骨に見下す態度を見せ始め…… 108分。

 何かと女を黙らせようとする男たち――自分たちは決して黙ることなく、言葉は暴力同様の支配の道具になる――に黙らせられかけた主人公が、限界を超えたときから一切言葉を発することなく、代わりに「黙らせて」いく女になっていく。過剰な血糊や強烈なサウンドデザイン、ジャンル映画の意匠を使いながら仕上げられたこの(タイトルそのまんまの)リベンジ・ムービーには、やりたいことをやりきってやるという意志が溢れていて、実に爽快です。最も強い影響を受けたのは『ランボー』だという監督は、尋常ではない暴力に晒された人間が強烈な苦痛と共に自分で自分の身体を再生させ、別人に生まれ変わって目的を遂げる物語を迷いなく描いていきます。
 
 この映画を好ましく思うのは、何よりまずリベンジの理由が「私がやられたこと」だけである点。すべてではないですが、フィクションの中での復讐劇には「自分以外の理由」が求められてきた傾向があると思うのですよ。恋人や家族が殺されたり何かしらの暴力を受けたり尊厳を奪われたから、仲間が騙され危機に陥ったから、社会的・政治的な目的があるから……等々。しかし今作では個人として暴行を受け、殺されかけたということ「だけ」が彼女の怒りのメタモルフォーゼの発端となる。この「私を殺す気なら、殺す!」という1点だけなのがまず潔い。この映画は「私」を脅かし、今も脅かし続けるものへの怒りと恐怖が彼女を突き動かす、ただそれだけの物語なのです。その明瞭さ!
 
 主人公のジェニファーは「よのなか」的に正しいヒロインの記号をまとっていないというのも重要なポイントです。もともと復讐者にはある種の「正しさ」が求められてきた傾向もあるように思うのですよね。〈金持ち男と不倫中/若くてセクシー/肌も露わな服装/特に賢そうではなく、スペシャル感もない〉という記号をまとっていた時点で、おそらく以前なら性的暴行や殺人未遂の被害者である点「だけ」ではヒロインには不適格とみなされてきた造型ではないでしょうか。しかし、だからこそ今作は「そういう主人公」である必要がある。暴力を受けるのは「押し入ってきた見知らぬ悪者」からではなく昨夜までの「友達」から、というのも実際に性暴力がどういう状況で起きやすいかということを踏まえて、とても重要な描写です。男たちがハンティングという男性性を強調する要素の強い娯楽のためにその地を訪れていて、互いの男らしさに加勢するという点が執拗に描かれていることも、意味があります。ちなみに監督自身もインタビューで――

 私がこの作品を手がけたのは、『 #MeToo 』の運動が起こる前でした。しかし、女性監督として映画界にそのような不平等感は常に感じていましたし、直接的にも間接的にも、女性へのバイオレンスは日常的にあるものだと認識していました。だから、『 #MeToo 』を意識せずとも、この映画には女性の怒りがメッセージの一つとして込められています。

――と答えています。

 中央の黒点のような染みのような影が大きくなってヘリの音が重なっていく冒頭、闇夜をゆく星型のネオンカラーのピアス、迷路のような室内で相互を追い回し揺れ動く視点。ビジョナリーなこの新鋭女性監督コラリー・ファルジャはほぼ『マッドマックス』な世界観をゴリゴリの暴力描写、バキバキに決めた撮影とデジタルなビートを大音量で効かせたサウンドでグラグラ揺さぶりながら突き進んでいきます。圧倒的に不利な状況からの死闘の淡々と凄まじいこと!ジェニファーが怒りを復讐の原動力に変え、無言で彼らを仕留めにかかる、そのアクションの中の身体の全てからは「黙らせられてたまるか」という絶叫が響き渡るよう。
 やがてラストに訪れる最終決戦がどういうシチュエーションで、どのように描かれたか、そのとき男が何を言い、彼女がどうしたか、その様子を是非、皆さんにもご覧いただきたいと思います。


■よろしければ、こちらも/『RAW 少女のめざめ』



 女性身体が性的に娯楽化されない表現で描かれた風変りなホラーとして、やはりフランス出身の女性監督ジュリア・デュクルノーが手掛けた『RAW 少女のめざめ』もヌチャヌチャの血糊だらけの面白い作品でした。ベジタリアンの少女が入学した獣医科大学の慣れない環境のなかで人肉が食べたいという欲望を抱き始めて……というストーリーは奇妙な物語としかいいようがないものなのですが、題材を通じて浮かび上がってくるのは不安定で不条理な状況に置かれて自分自身のコントロールがきかなくなる若い女性(性的興奮、自傷、摂食問題のイメージが頻出する)の身体と精神の闘いの過酷さ。その物語のなかに描かれた「欲望を持つこと」が自分も周囲も傷つける戦いにならざるをえないつらさ、思うようにならない身体に邪魔をされる不快さ、そしてそのなかにもある確実な歓喜……といった生々しい体感こそがこの映画の核となっています。変化する自分の身体に対する厭わしさ、もどかしさをこれほどに強く意識させる作品も珍しいのではないでしょうか。通常、若い女性の体をセクシャライズしそれを拝める傾向がありますがそれは私がしたかったこととは逆のことで、私は身体のとるに足らない普遍的なことを撮りたかったと語る監督の意図はしっかりと達成されている作品ではないかと思います。
 
 ジャンル映画を鮮やかにアップデートしていくこういう作品に出会うと、未来はまだまだ色々更新していける、今も現在進行形でその変化の波は続いている、ということに希望を感じるもの――少なくとも私は希望を感じます。今年もこうした作品にたくさん出会えればと思いながら、それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。


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