第二次世界大戦直後のソビエト時代のロシアでは、国家による思想弾圧を目的としたさまざま検閲が横行。レコード盤を製造することすら許されないなか、手製のカッティングマシンを使って使用済みのレントゲン・フィルムに音源を刻み付けてまで、発禁楽曲の違法コピーを残した人々がいたという。それが後にソノシートへと進化して広まっていったわけだけど、先頃、その実際の“ボーン・レコード(レントゲン写真レコード)”を展示した『BONE MUSIC展』が南青山BA-TSU ART GALLERYで開催されて、思わず駈け込んでしまったのだった。
 さまざまな部位の骨が白く浮かび上がるフィルムに、整然と刻まれた音の溝。その何とも不可思議なビジュアルからは、思っていた以上に音楽への強い愛情と執着とが伝わってくる。動画も公開されていて、件のカッティングマシンの台上では塩化ビニール盤がわりのフィルムが回り、ロックンロールやポップスが刻みこまれるにつれ削りカスが溝から立ち上っていき、その数だけフィルムに音の魂が吹き込まれていくさまを目にすることができる。
 そう、レコード盤の溝というのは、CDやらMP3やらといった眼に見えないようなデータとちがって、想像力や期待感をかきたてる力を持っている。具体的に音の振動が伝わってくるように思えるんだよね。だからこそ、アナログ・レコード(ヴァイナルってやつ)人気が復活し、昨今の再ブームにまでなってきたのだと思う。

 思えば、今年公開された映画『さすらいのレコード・コレクターDesperate Man Blues)』(2003年)も、レコードへの限りない愛を描いて、一部の好事家の間で話題だった。ブルース、カントリー、ブルーグラス系の78回転SPレコードを探し求める名物コレクター、ジョー・バザードの日常を追ったドキュメンタリーで、彼が求めるのは古い〝本物のアメリカン・ルーツ・ミュージック〟のみ。ロックもヒップホップも大嫌いという徹底ぶりで、音楽好きの老人が亡くなったと聞きつけるや、はるか遠い州までも車を運転してお宝探しに駆け付ける情熱に圧倒される。
 遡ると、英国の人気作家ニック・ホーンビィのデビュー作にして代表作『ハイ・フィデリティHigh Fidelity)』(1995年)も、スティーヴン・フリアーズ監督、ジョン・キューザック主演で映画化されて話題となった。レコード店を営む主人公が、恋人にふられたのをきっかけに、ビルボード・チャートよろしく過去の失恋ベスト5となった相手女性を訪ねていくということで、自分探しの物語ではあるのだけど、根底にはレコード愛がこれでもかといくくらいに敷き詰められた作品だった。


 エーリヒ・ケストナーの『一杯の珈琲からDer kleine Grenzverkehr)』(1938年)じゃないけど、一枚のレコード盤をめぐるエピソードとなると、さらに魅惑的ではないか。
 以前に取り上げた作品だけど、北欧ミステリーの雄、アーナルデュル・インドリダソン『Roddin)』(2002年)は、かつて天才的ボーイソプラノ歌手として脚光を浴びた少年が成長してその美声を失い、ホテルのドアマンとしてうらぶれた生活を送っていたが、クリスマスのある日に何者かに殺害されてしまう、というものだった。そのもっとも彼が輝いていた頃に録音されたアナログ・レコードをいまだに本人は数枚所有していて、喉から手が出るほどそれを求めるマニアが彼のもとを訪れたらしいことが判明する。サスペンスの小道具として、きわめて魅力的な使われ方だったのではないだろうか。


 音楽ということではないのだけれど、やはり近頃邦訳あいなったドイツ出身の作家エマヌエル・ベルクマンの『トリックDer Trick)』(2016年)もまた、一枚のレコードへの拘泥が物語の主軸となる小説だ。
 両親の離婚の危機を目の当たりにして懊悩する主人公の少年が、かつて一世を風靡したマジシャンによる魔法の呪文の解説が吹き込まれたレコード盤を偶然見つける。そこに“永遠の愛の魔法”が収録されていると知るや、それを習得して離婚を食い止めようと考えるのだけど、肝心要の箇所で針飛びのために呪文を聴き取れず、当のマジシャン本人の捜索に乗り出す。アナログ・レコードだからこその“針飛び”。それがきっかけとなって巻き起こる“愛と奇跡”の物語。必読の一冊です。
 ちなみに、この往年の人気老マジシャンを追いかけて、ストリップ・バーにまで駆け込んだ少年の耳に店内のジュークボックスから飛び込んでくるのが、元スプーキー・トゥースのヴォーカル&キーボード奏者ゲイリー・ライトの歌声。ソロ・デビュー直後にはなったヒット曲「夢織り人(Dreamweaver)」(1976年)だ。少年の切なる願いと相まって、なんとも象徴的で、ナイスな選曲でした。


 さてさて、本題です。やはり、音楽に囚われた狂気の男を描いたサイコ・サスペンス『僕は、殺すIo Uccido)』(2002年)。イタリアの人気コメディアンであるジョルジョ・ファレッティがはじめて挑んだミステリー作品ということで、しかも350万部を超す大ベストセラーを記録し、本国ではかなりの話題に。これもまた、ある1枚のレコード盤が重要な役割を果たす、猟奇連続殺人事件もののサスペンス大作だ。
 舞台はモンテカルロ。F1レーサーや大富豪などの著名人ばかりが殺害され顔を?がれるという、猟奇的な連続殺人事件が発生する。しかも、事件のたびに、人気のラジオ・パーソナリティ、ジャン=ルーがDJを務めるラジオの深夜番組〈ヴォイス〉に、ヴォイス・チェンジャーを使って殺人をほのめかす電話がかかってくるのだ、「僕は、殺す」と。その電話の背後ではつねに音楽がかかっていて、犠牲者を特定するヒントとなっていた。
 最初の犠牲者はF1レーサーとその恋人。予告電話に流れていたのは、フランシス・レイ作曲による、クロード・ルルーシュ監督映画『男と女Un homme et une femme)』(1966年)の主題曲。映画の主人公もまたレーシング・ドライバーだった。2番目の犠牲者は日系アメリカ人の大富豪。犯人が流した曲は、サンタナの日本でのライブを録音したアルバム『蓮の伝説(Lotus)』(1973年)からの「君に捧げるサンバ(Samba Pa Ti)」で、このアルバムには、「キョート(Kyoto)」という曲や、被害者の経営する企業サクリファイルズとの語呂合わせで「ソウル・サクリファイス(Soul Sacrifice)」という曲も収録されていた(実際には誤りで、「ソウル・サクリファイス」は1968年のフィルモアでのライブ盤や、1993年の南アフリカでのライブ盤『Sacred Fire: Live in South Africa』に収録)。
 この事件にたずさわることになったのは、麻薬取引がらみの爆破事件で瀕死の重傷を負い長く休養中だったFBI捜査官フランク。加えて妻の自殺という悲劇も彼の心に翳を投げかけたままで、職務への復帰を妨げていた。そんな彼の窮状を慮り、親友であるモナコ公国警察のユロ警視正がこの事件の捜査協力を依頼することになる。フランクは、犯行現場のビデオ映像と現場写真から、殺害現場でのBGMとして犯人が一枚のLPレコードを持ち込んでいたことに気づき、この『盗まれた音楽Stolen Music)』というアルバムを唯一の手がかりに捜査を進めていく。
 そんな捜査陣を嘲笑うかのように〈ヴィジョン〉のジャン=ルーあてに再びかかってきた電話のバックには、ローランド・ブラント(別名ロランド・ブラガンテ)のループ・ミュージック「ニュークリア・サン(Neuclear Sun)」(1997年)が流れて、さらに新たな犠牲者が生まれることに。犠牲者から顔を奪わねばならない理由は? 犯人のそもそもの動機は? そして、犯人にとって音楽とはいったい何を意味しているのか……?

 解決されていない部分がいくつかあるとか、細かな部分はともかくとして、とにかく面白い。ページを捲らせるその才能には脱帽してしまうし、さまざまに貼りめぐらされた伏線、意外な真犯人像も、おみごと。しかも、これがデビュー作だというから、驚きである。
 事件の解明の過程において重要な役割を担う『盗まれた音楽』というアルバムは、ロバート・フルトンという変わり者の天才トランペット奏者の演奏が唯一録音されて残された、幻のレコード盤。レコーディングを拒絶し続けたこのアーティストは、無断で録音された音源からプレスされたこのレコードの存在を許せず、片端から叩き割って処分させたため、わずかに残った数枚が稀少盤として伝説となっていた、という設定だ。
 調べてみたところ、1960年代当時、管楽器メイカーのシルキー社に新発明のマウスピースのアイディアを売り込んだ同名のトランぺッターが存在してはいたが、どうやら別人。あくまでもこのロバート・フルトンのみ、作者の創造したアーティストのようだ。
 ただし、かなり選曲にこだわるラジオ番組を登場させていることもあって、それ以外の音楽への言及はリアルなものばかり。U2の「プライド(Pride)」や「イン・ザ・ネーム・ オブ・ラブ(In The Name Of Love)」に始まって、トム・ウェイツとイタリアの歌手パオロ・コンテとの比較、フランシス・キャブレル、ヴァンゲリス、ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで弾いたアメリカ国歌「星条旗(The Star-Spangled Banner)」、ニール・ヤング(&クレイジー・ホース)のアルバム『錆は決して眠らない(Rust Never Sleeps)』(1979年)、ジェファーソン・エアプレインにジェフ・ベック、ニルヴァーナなどなど。かと思うと、シューベルトのメヌエットやニーノ・ロータ作曲の映画『』のテーマ、デューク・エリントンの「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ(The Lady Is A Trump)」など、クラシック、映画音楽、ジャズにまで言及。大団円となる重要なシーン直前には、おごそかにレッド・ツェッペリンの「天国への階段(Stairway to Heaven)」をBGMに起用している。並々ならぬ音楽愛なのである。
 それもそのはず、じつはこのジョルジョ・ファレッティ、コメディアンや作家だけではなく、シンガー・作曲家・作詞家・プロデューサーといった、音楽アーティストとしての顔も持っている。1989年発表のアルバム『Coletti Bianchi』でデビューし、1994年発表の4枚目のアルバム『Come un cartone animato』ではプラチナ・ディスクを獲得。2000年発表の『Nonsense』まで6枚ものアルバムを発表。楽曲のほとんどを自ら作詞作曲して歌っていたが、ここでシンガーとしての活動はいったん休止。ソングライターとして、それまでにもアンジェロ・ブランデュアルディやフィオルダリーゾら人気アーティストに楽曲を提供していたが、イタリアを代表する大物シンガー、ミルヴァのアルバム『In Territorio nemico』(2007年)では、全曲を作詞作曲している。2016年になって、ひさびさにアルバム『Anche Dopo Che Tutto Si E’ Spento』の形で発表された。音楽に造詣が深いわけである。
 本国では、その後も小説を発表し続け、9作もの作品が紹介され、いずれも好評だったというけれど、残念なことに邦訳紹介されないままである。ファレッティは2014年に肺癌のために他界してしまったが、音楽好きのミステリー・ファンの心には確かな記憶の溝を刻みつけられたことだろう。

◆YouTube音源
■”un homme et une femme” conducted by Francis Lai

*フランシス・レイ作曲、ピエール・バルー作詞による映画『男と女』主題曲。

■”Samba Pa Ti” by Santana

*サンタナのライブアルバム『蓮の伝説』(1973年)収録ヴァージョンの「君に捧げるサンバ」。

■”Nuclear Sun” by Roland Brant (Orlando Bragante)

*イタリア人DJのローランド・ブラントの1993年のヒット・ナンバー。

■”Stairway to Heaven” by Led Zepperin

*いまさら言うまでもなく、レッド・ツェッペリンの代表曲のひとつ。

■”Dreamweaver” by Gary Wright

*スプーキー・トゥース脱退後、ゲイリー・ライトがソロ第1弾として発表し大ヒットを記録したナンバー。エマヌエル・ベルクマンの『トリック』で主人公の少年マックスが望みをかけてマジシャン大ザバティーニを探しにもぐり込んだストリップ・バーで、ジュークボックスから流れてくる意味深い歌だ。

■”L’Ombra” by Giorgio Faletti

*ジョルジョ・ファレッティ、2000年発表のアルバム『Nonsense』からのシングル「L’Ombra」。

■BONE MUSIC展

◆関連CD
■『ロータスの伝説(Lotus)』by Santana


*日本でのライヴ演奏を収録した、サンタナ1974年発表のアルバム。

◆関連DVD・映画情報
■「さすらいのレコード・コレクター」
https://www.sasurai-record.info/
*かなりマニアックな音楽ドキュメンタリー映画の公式HP。

■「ハイ・フィデリティ」


*原作の舞台を米国シカゴに置き換えての映画化作品。

■「男と女」


*名匠クロード・ルルーシュ監督の1966年発表の代表作。ジャン・ルイ・トランティニアン、ジャンヌ・モロー主演。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。






◆【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー◆