「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

 善人が苦手です。
 正確に言うと、自身のことを善人だと信じて疑わないような人が、苦手です。
 僕は、自分のことをそうだと思うことができないから。
 特に悪事はしていませんし、できる限り正しい人間であろうとはしている。でも心の中には卑しいことがある。堂々と「私は良い人です」なんてとてもじゃないが言えない。
 だから、シャーロット・アームストロングの作品を初めて読んだ時は良かった、仲間がいた、とホッとしてしまいました。
 ……なんて言うと「えっ」と思われてしまうかもしれません。
 アームストロングといえば〈善意のサスペンス〉ですし、特に代表作である名作『毒薬の小壜』(1956)などは、悪人なんて一人も出てこない作品です。
 だからこそ、僕はそこにシンパシーを感じるのです。
 明確な悪がいない、ということは、明確な正義もまたいないということです。
 アームストロングの登場人物たちは皆、自分が本当に正しいのかを悩みます。自分が聖人君子ではないということはよく分かっているので、自分の落ち度や、嫉妬や僻みなどの汚い感情も含めて、物事を考えるのです。こちらが正しいとしても、じゃあ、その正しさは他の人にどうやったら伝えられるのか、というところまで彼ら彼女らは思いをめぐらせます。
 そして、彼女の作品では、こうした悩みの部分からサスペンスが生まれているのです。
 今回紹介する『あなたならどうしますか?』(1957)収録の「あほうどり」(1957)などは、そうした手法の極致でしょう。
 自分の敵が飛びっきりの善人。だからこそ、憎くて、怖い。そんな作品です。

   *

 「あほうどり」の主人公、トムとエスターは健全な良心の持ち主の若い夫婦です。
 夫婦での旅行中、二人は泊まっていたモーテルの部屋に酔っ払いの男が乱入してくるというトラブルに襲われます。慌てたトムは、男を殴り倒し、それで相手も酔いが醒め、平和的にその場を離れるのですが……トムとエスターに衝撃が走ったのは、数日後です。
 新聞にその男、コードウェルが死んだ、という記事が出ていたのです。
 あの夜、頭を打ったせいに違いないと慌てて遺族のもとに謝罪をしに行ったトムとエスター。幸い、遺族は良い人でいざこざなく終わりましたが、夫婦の心には強い罪悪感が残ります。
 それから更に数日経ったところで、トムがエスターにある話を持ち掛けます。自分が〈殺してしまった〉あの男の妻と、その妹が、引っ越さなければならなくなったらしい。次の家が見つかるまでに滞在する先を必要としているらしいから、僕らの家に泊めてあげよう。二人が家を離れることになったのは僕らのせいなのだし……
 こうして、トムとエスターの家で、コードウェル姉妹が生活することになるのだが、というのが本編の冒頭部となります。
 この導入の時点で、本編に〈悪い人〉がいないということが分かるかと思います。
 強いて言えば、他人の部屋に侵入してきた酔っ払いが悪いということになるのでしょうが、故意にやったことではありませんし、その当人は死んでしまっています。
 みんな良い人なら、それで良いじゃないか、と普通なら思うところですが、そう簡単にいかないのが、本書のゾクゾクしてくるところです。
 エスターが、自分の家に住み始めたコードウェル姉妹に、段々と苛立ち始めてしまうのです。
 姉妹の内、姉のジョーンは足が不自由です。故に、常に誰かが付き添ってあげなければならない。妹のオードリーは引っ越し先を探すため外へ出ているので、それは自然エスターの役割となります。
 世話をしてあげること自体が神経を使う、ということもありますが、何よりエスターを苛立たせるのは一人きりになれる時間がない、ということでした。
 更に、トムと二人きりになることもできない。家の中にいる他の二人を意識してしまって、夫婦の会話をするのもなんとなく憚られてしまうのです。
 もう一つ、コードウェル姉妹のどちらもが、上品な作法をわきまえた人間だというのも厄介です。
 こちらも品のある態度をし続けなければならない。料理だって、ちゃんとしたものを作らなければならないし、他の家事だってそう。
 勿論、最初の予定通り、数日だけということなら我慢できるどころか、気にもならなかったことでしょう。しかし、困ったことに、コードウェル姉妹の引っ越し先は中々見つからず、数週間、数か月、と二人の滞在期間が伸びていくのです。
 やがて、我慢の限界に達したエスターは、トムに助けを求めます。
 すると、トムは正しい言葉で反論をしてしまうのです。――「あの人らがこの家にいるのは、そもそも僕らがあの家族の大黒柱を殺したからだ。そんな人たちを追い出すのか? あんな品行方正な良い人なのに!」
 勿論、そう言うトムだって、精神を削られているのです。
 ジョーンはこちらに来てからも、ずっと喪服を着続けています。それを見る度に彼は、自分がやってしまったことを思い出し、罪悪感に襲われているのです。その結果、自分の気持ちも、妻の気持ちも押し殺して「彼女らを歓待し続けなければならない」と考えるわけです。
 この、相手が悪意ある敵じゃないからこそ苦しむ、という構造が恐ろしい。
 トムとエスターは、善か悪かの絶対的な尺度でいったら、どう考えても前者に属する人間です。
 だけど、完璧な善人であるコードウェル姉妹と比べたら相対的に悪人になってしまうのです。罪を犯してしまっているし、落ち度のないコードウェル姉妹に対して、負の感情を持ってしまっている。相手を追い出そうとまでしてしまう。この感情と行為が卑しい、と自覚しているから、そこで二人はまた悩む。
 心理サスペンスというジャンルは、そもそも、いかに主人公を追いつめるかというところに焦点を当て、読者をハラハラさせるものですが、本編のそれは、その中でもえげつない部類に入るものでしょう。
 拳を振り上げる相手は一応いるけれど、その人に拳を振り上げてはならないという強烈なジレンマが本編では描かれるのです。
 このジレンマに、こちらの心までザワザワしてきてしまい、気が付けばすっかりエスターと感情を同期している。「あほうどり」はそんな話です。創元推理文庫の版組で二〇〇ページ弱という、短めの長編と呼んだ方が良いくらいのサイズの一編ですが、僕は一気読みしてしまいました。

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 とはいえど、シャーロット・アームストロングはただ嫌なだけの話を書く人ではありません。
 彼女の小説は、正しいと思われる想いを持って、行動すればそれが報われてくれる筈だという意志が通底しています。『毒薬の小壜』『サムシング・ブルー』(1962)などの諸長編と同じく、「あほうどり」でも、その意志に沿って、物語の雰囲気が反転するポイントがあるのです。
 そのポイントからの逆転、そして、爽やかなラストシーン!
 このハッピーエンドにご都合主義と感じさせずに持っていく手際は、まさに名手と唸らされること間違いなしです。

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 シャーロット・アームストロングは、いつだって、善人であると断言はできないけれど、それでも正しくあろうとしている人物を主人公にします。
 善人嫌いの僕は、だから、彼女の作品が大好きです。
 彼ら彼女らは、僕と同じだから。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人三年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby