■メアリー・スチュアート『銀の墓碑銘エピタフ

 一昨年、『霧の島のかがり火』(1956) が本当に久しぶりに邦訳されたメアリー・スチュアートだが、これに続くようにして出た本書は、全編ギリシャが舞台。三門優祐氏の解説によればアントニイ・バークリーが、現代ギリシャをリアルに捉えていることを絶賛し、「現代スリラーの中でも図抜けた傑作」と評した作品という。
 
 本書のヒロイン、カミラは英国人の古典語教師。婚約を解消したばかりの彼女は、ギリシャを一人旅中。アテネのカフェで、人違いによりレンタカーを押し付けられる。デルフィの地で、ムッシュー・サイモンが車を待っている、生きるか死ぬかの問題だ、というのだ。
 カミラはふとした衝動から、レンタカーを運転しデルフィに向かう。途中でサイモンという男と出逢うが、男は、当のサイモンではないと関わりを否定する。
 典型的な巻き込まれ型サスペンスの滑り出しだが、デルフィの地に向かう行程でも、おしゃべりの声に満ちたアテネの街、現地の人々のおおらかさ、男中心社会、異国人への「歓待」の風土などなど、カミラの眼からみたギリシャが観察眼鋭く、またユーモラスに描写される。カミラは運転が不得手で、細い道でトラックと対面してしまい立ち往生。村の男たちが集まってきてすごく親切なのだが、バックだけはしてくれない、というくだりにはギリシャ人気質も感じて笑ってしまう。
 このとき、運転を代わって車をバックしてくれるのが、英国人サイモン・レスター。彼は、二次大戦中にギリシャで死んだ兄にまつわる真相を求めていた。彼も古典語教師という設定はいささかできすぎだが、ここに「ガール・ミーツ・ボーイ」が成立し、二人は、スケールの大きい謎解きと冒険に巻き込まれていく。
 本書の舞台となるデルフィ(古代名デルポイ)は「デルポイの信託」でも有名な古代ギリシャの聖地、世界の中心とされており、ギリシャ神話の神々が降臨する場所でもあった。アポロン神殿や劇場、競技場の遺跡が多数残り、ストーリーの進行においても効果的に使われている。
 『霧の島のかがり火』でもそうだったが、本書においても、光に満ちたギリシャの空気感、オリーブの樹海、灰色の山肌など、選び抜かれた言葉で紡がれる自然描写が圧倒的。それがあるゆえに、兄の死んだ場所への山岳行やクライマックスの対決にもリアルな迫力を与えている。加えて、本書では、あえて古典語教師同士という設定をしたこともあって、円形劇場の中心でサイモンが朗唱するシーンに象徴されるように、二人が引用する言葉、各章で引用されるギリシャ古典の言葉の交響が二人の冒険行に格調を与えている。サイモンのもつ「何か」がジョン・ダンの詩から見えてくる展開なんて、英語・英文学の教師だった作者らしい見事な展開ではないですか。
 もちろん、プロットのほうもよく練られている。冒頭の謎も、誤魔化しなしに、メインの筋に結び付いていくし、話の展開に連れて各所に埋め込まれた伏線が生きてくる。登場人物は少ないが、それぞれ印象的で、皆それぞれの持ち分を担っている。最後は、全体の構図が明らかになり、洞窟も登場する大活劇へ。
 冒険の背景には、二次大戦の抗独レジスタンス、その後のギリシャ人同士の内戦という悲劇を経た後の社会の混乱、経済の低迷という「今」がある。
 カミラは、こういう。

 「過去は生き生きとしていて、現在は強烈で、未来は切迫している。ここの光は、わたしが知っているどこの光よりも二倍激しく命を燃やす感じがするの」

 作者は、冒頭で『銀の墓碑銘エピタフは、「わたしのギリシャとの恋愛であった」と表明しているが、ここには、作者が惚れこんだギリシャの人・歴史・風土とロマンティック・サスペンスの幸福なマリアージュがあると思う。

■ドリス・マイルズ・ディズニー『ずれた銃声』

 作者名について、聞きなれない方が多いと思う。ドリス・マイルズ・ディズニーは、1943年にデビュー。1976年まで活躍した女性作家。我が国では、これまで長編の翻訳に恵まれなかった。初邦訳となる本書は、州検事局勤務の刑事ジム・オニール物の第4作。

 せっかくとった午後からの年休だったのに、ジム・オニール刑事は、退役軍人会の葬儀で弔銃隊の一員として発砲することを依頼される。ライフルによる弔銃の一斉射撃は、ばらついた。二発目はさらに。そのさなかにエラリー家の老婦人が倒れ死亡するが、のちに背中の銃痕が発見される。

 自らの目の前で起きた殺人事件にジムは悔いを残しながら捜査に当たるが、あろうことか娘のオモチャのせいで階段を踏み外し、足首を骨折してしまう。刑事が自宅でベッド・デテクティブをする羽目になってしまうというのが本書の異色なところ。それも、推理をめぐらすだけの安楽椅子探偵ではなく、関係者の事情聴取も自宅で行う成行きになるのだ(関係者もよく文句を言わないものだ)。
 シリーズとしての目先を変えた設定だと思われるが、3歳の娘がまとわりついて、推理もままならないなど、いつもと勝手が違う様子がコミカルに描かれている。
 殺された老婦人アンナは、地元の旧家エラリー家の長女。四人の孫(二人は夫もあり)、妹と甥など一家は多いが、遺産もなく、これといった動機は見当たらない。捜査の進展によって、三女が入水自殺したことや孫たちの母親リタが駆け落ちした過去がクローズアップされるが、殺人事件の関わりは不明だ。仮説が出ては覆り、ジムの焦りは強まる。
 捜査だけではなく、エラリー家の人々を中心に事件関係者の疑心暗鬼や焦燥も描かれ、多視点から動機が見つからない事件が立体化される。
 ジムの妻マーガレットは、ジムのよき相談相手であり、捜査資料も読み込み、夫に助言もする。自宅での安楽椅子探偵という設定もあって、家庭生活のあれこれが捜査の合間に描かれ、ドメスティックなミステリというのが一つの特徴だろう。
 もう一つは、ニューイングランドのスモールタウンの様子がよく出ていることで、退役軍人会、婦人会といった近隣との濃密なつながりが、噂話の流通などの負の部分も含めて描き込まれている。小学校建設をめぐる町民集会タウンミーティングの場面(15章)は自治の精神を描いて出色だが、事件と直接関わりないのが惜しい。
 ジャンルとしては警察捜査小説の範疇にはいるものだが、謎解き要素も強い。ただ、失踪したリタにまつわる謎は上々だとしても、犯行手段と犯人像に乖離かいりがあるようにみえてしまうのは少し残念だ。
 女性作家の書いた警察捜査小説として異色で、ドメスティック/スモールタウン物という明確な特色に裏付けられているのが本作の強み。
 なお、本書冒頭に掲げられている家系図に明らかな誤りがあるのは困ったことだ。

■E・C・R・ロラック『殺されたのは誰だ』

 論創海外ミステリの『殺しのディナーにご招待』以来、2年ぶりとなるロラックは、風詠社という聞きなれない出版社による刊行。ドロシー・ボワーズ『命取りの追伸』(論創社) などの翻訳者・松本真一氏の熱意による少部数の出版のようだが、AMAZONなどでも販売されていた(なお、昨年8月にも、同じ出版社、同じ訳者でドロシー・ボワーズ『謎解きのスケッチ』が刊行されていたことも知った) 。
 創元推理文庫から3冊が刊行されて以降、同文庫では打ち止めになってしまったようなロラックだが、あまり光が当たらないクラシックを安価で提供しようとする訳者の努力には敬意を表したい。
 本書『殺されたのは誰だ』(1945)は、おなじみのマクドナルド警部物。
 『殺しのディナーにご招待』のレビューでも書いたが、ロラックは、発端がとにかくうまい作家。
 本書も滑り出しは、上々だ。
 灯火管制下のロンドン。デートを約束した女性が来られなくなり、真っ暗なリージェンツ・パークのベンチでひとり佇む青年。と、何者かが近くの橋の下に身を隠す気配。さらに別な男が橋にやってきて煙草に火をつけようとマッチをすると、もう一人の別の男の顔が闇に浮かぶ。鈍い音の後に男が倒れ、青年が駆けつけると煙草に火をつけた男は死体となっていた。男に近づいていく足音は一切なかったのにもかかわらず。
 顔だけ暗闇に浮かんだ男による殺害方法も不明なら、殺された男の正体も不明の難事件に取り組むのは、マクドナルド警部。
 犯人探しならぬ被害者探しを暗示するような訳題だが、そういうわけでもなく、被害者と考えられた男は既に死んでいたことが判明する。捜査の過程で、一癖ありそうな奇術師、役者、歴史家など個性的な面々が登場させ、事件を錯綜させ興味をつなげていくのは、例によって巧みだ。ただ、結末に至ってみると、本格ミステリとしては、やはり事実の確定が不十分のための説得力不足、単なるめくらまし的な要素が多いという欠点も感じさせる。
 本書で特徴的なのは、まさに大戦下のミステリとなっていることだ。近年、紹介されたものでも、エリザベス・フェラーズ『灯火が消える前に』アントニー・ギルバート『灯火管制』 でも、灯火管制下の英国を舞台にして印象深いが、本書ほど空爆下のロンドンの現実と向き合っているミステリも稀だろう。冒頭の青年のデートが成立しなかったのは、婦人補助空軍所属の恋人の休暇が延期になったからだし、疎開や食料配給手帳、防空壕など戦時下の人々の現実が描かれる。聞き込み捜査中のマクドナルド警部は、ドイツ軍の空爆に遭遇し、人名救助活動まで手がけることになる。マッチに浮かぶ殺人者の顔という発端、被害者は誰かという謎、犯人の動機、いずれも戦時下のロンドンでなければ成立しないものだ。非常時ゆえか、没個性といわれるマクドナルド警部の個性(紳士ぶり)も心なしかいつもより際立っており、空襲でアパートを失った管理人の老女に、警部にお仕えしたいと熱望されもする。
 空爆下の現実とリアルタイムに向き合い、その現実から謎と探索の物語を織り上げたロラックのミステリ作家魂には、感服せざるを得ない。

■W・S・ヘイワード『パスカル夫人の秘密』

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 ヒラヤマ探偵文庫03は、W・S・ヘイワード『パスカル夫人の秘密』(1864) 。
 ポーの創造したオーギュスト・デュパンが探偵族のアダムなら、イブは一体誰か。
 エラリー・クイーンは、1861年出版の『婦人探偵の体験』のパスカル夫人に間違いないと長い間考えていたとし、その初版発行年の確定に苦労したことを『クイーン談話室』(国書刊行会)に書いている。クイーンは、同書は1864年に発行されていたこと、刊行の半年前に、アンドリュー・フォレスター・ジュニアという作家による名無しの女性刑事物があることを明らかにしている。
 最初の女性刑事というパスカル夫人の栄誉は奪われた形だが、本書の訳者解説によると、アマチュア女性探偵の誕生は、1842年(デュパンの誕生の翌年!) まで遡るようだ。
 本書は、クイーンが長い間、女性探偵の嚆矢と考えていた『婦人探偵の体験』の邦訳。本書はクイーンの定員#005に選ばれているが、無名の作家によるこのような作品が日本語で読めるとは考えてもいなかった。10編を収録。
 さて、女刑事の先駆者はどんな人物なのか。
 夫を亡くしたばかりで40歳間近のパスカル夫人に、ある方面から引き合いがあり、彼女はロンドン警視庁の女性刑事として初めて採用される。これは、フランス第一帝政下の警察大臣フーシェが女性を部下に使って成果を挙げたことをヒントにしたものだ。パスカル夫人は良家の生まれで高い教育を受けており、命じられた役割を名女優のようにこなす資質も持ちあわせている。彼女は、上司のワーナー大佐の指揮の下、ほぼ単独で捜査に当たるのだ。
 第一話「謎の伯爵夫人」は、湯水のような浪費でロンドン中の話題になっている伯爵夫人が一体どこから富を得ているのかをパスカル夫人がメイドとして潜入して探る話。ユニークな謎と、あるホームズ譚を思わせるような解決が示される。パスカル夫人は、地下通路に潜り込むために、クリノリン(スカートを膨らます枠)を脱ぎ捨てるが、最初の女性刑事として、男の刑事に負けまいとする気概を示すようなシーンだ。
 「秘密結社」はイタリアからの亡命者の秘密結社の内情を探るための潜入捜査、「ダイヤモンド盗難事件」はダイヤモンド狂の貴族からの盗難事件、「盗まれた手紙」は郵便物から現金等が盗まれる連続盗難事件、「どちらが相続人?」はイギリス版天一坊事件、「溺死」は美しいパン屋の売り子殺害事件、「人違い」は賭博詐欺の冤罪事件……という具合に、パスカル夫人が担当する事件は実にバラエティに富んでいる。
 彼女が関わるのは、犯罪事件とは限らない。「修道女・遺言状・女子修道院」は修道院に心ならずも入った女性を恋人の頼みで救出する。カトリックに対する作者の視線がビターだ。「五十ポンドの賞金」は良家の夫人を道ならぬ道に引き入れる極悪女に関わる事件、「匿名の女」は悪女と交際する青年を説得するよう依頼される事件、というように、困りごとよろず引き受けます、的な側面もある。当時は一般的だったのか、事件の解決によりパスカル夫人が個人的に報償金を手にする事件も多い。
 ホームズの登場よりおおよそ20年も前の作品で、推理短編の成熟にはまだ遠い時代だが、事件の内容が思いのほかユニークで、貴族の世界から貧民層まで同時代の風俗を幅広く扱う興趣を備えている。「秘密結社」「修道女・遺言状・女子修道院」「匿名の女」は短編小説としてもよくまとまっているのは意外なほどだった。
 パスカル夫人は、高い倫理観と分析力、行動力をもつ理想の刑事。男性作家の手によるせいか、あまり女性的内面を感じさせないところが少し残念だが、本作品は女性探偵の先駆けとしてのみならず、英国推理短編の先駆けとして十分な面白さを湛えた短編集だ。

 机の上には、ジャック・フットレル『思考機械【完全版】第1巻』(作品社)が控えているが、大冊につき次回にて。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita



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