本日は、ポケミス史上最大の厚さということで、その赤い背表紙から、一部では「赤レンガ」と呼ばれているジャン=クリストフ・グランジェ『死者の国』を、監訳者である高野がご紹介します。といっても、詳しい解説は本書の巻末で、ミステリ評論家の三橋暁さんがしてくださっていますので、ここでは監訳をしながら高野が抱いた感想とか、こぼれ話をしたいと思います。

 まずは作者のジャン=クリストフ・グランジェについて……。グランジェは、いわずとしれた『クリムゾン・リバー』の作者で、日本では『コウノトリの道』『狼の帝国』、そして最近では『通過者』が訳されています。生年は1961年といいますから、現在は58歳。昨年、アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)で開かれた講演録によると(講演録は書評家の吉野仁さんにいただきました)、日本が好きで、現在のお連れ合いも日本女性とのことで、本書のなかでもさりげなく日本茶のおいしさを称える場面が出てきます。また、本書では日本の緊縛(SMで女性を縄で縛るプレイ)が事件をめぐる重要な要素として出てきますが、作者は専門的なことを調べるにあたって、日本の緊縛師たちに話を聞いたということです。それによると、「暗くて、不健康な人たちだと思っていたが、実際に会ってみると、非常に感じのいい人たちでした」とか……。もっとも作品に登場するフランス人緊縛師は、あまり感じよくは描かれていませんでしたが……。

 次に、本書の内容について……。この本の魅力はなんといっても、そのストーリー・テリングのうまさにあるでしょう。ポケミスの二段組で700ページを超える大作ですが、その間、決して飽きさせません。一度、読みはじめたら、ページを繰る手が止まらずといった状態で、最後まで読者を引っ張っていきます。
 あらすじ的には、パリでストリッパーの連続殺人事件が起こり、パリ警視庁司法警察局犯罪捜査部のステファン・コルソ警視が、その事件の犯人を追っていくというもの。ストリッパーふたりは、いずれも緊縛の〈後ろ高手小手縛り吊り〉というやり方で縛られていて、その顔は口から耳まで頬がナイフで切りさかれているという、きわめて猟奇的な殺され方をしています。捜査班は被害者たちの耳まで切り裂かれた顔が、数年前に発見されたゴヤの『赤い絵』の連作に似ていることに気づき、また捜査線上に浮かんだ被害者の恋人が画家で、その画家がゴヤを信奉しているところから、この男を容疑者と考え、執拗な追及を続けていきます……。
と、まあ、このあとはネタバレになるので続けませんが、ざっくり言うと、主人公のコルソ警視が真相を求めて、スペインの美術館、イギリス北西部の保養地、フランス東部の孤児院、そしてオーストリアと移動したはてに、驚くべき真実にたどりつくという筋書きです。始まりはゆるやかですが、途中からは思いがけない出来事の連続で、山あり谷ありのジェットコースター・ストーリーを楽しむことができるかと思います。

 さて、本書を監訳しながら、高野は三つの感想を抱きました。ひとつめは、この作品は〈ネオ・ポラール〉の進化形ではないかということ。〈ネオ・ポラール〉というのは、1970年代から1980年代にかけてフランス・ミステリ界を席巻したスタイルで、謎解きやストーリーよりも、血と暴力に満ちた描写で、社会の暗部を暴くことに重きをおいていました。作品のなかでは、刑事も悪徳で、暴力をふるうことがひとつの特徴にもなっています。『死の国』でも、主人公のコルソ警視は暴力的だし、犯罪は残虐そのもの、人々の生い立ちは暗く、作者の目は社会の底辺部に向けられています。また、〈ネオ・ポラール〉は1968年に起こった、学生たちによるパリの〈5月革命〉の影響を受けていますが、作中に登場する精神科医の部屋に〈5月革命〉の時のビラが貼られたりして、〈反体制〉的な雰囲気が横溢しています。もちろん、〈ネオ・ポラール〉はあくまでも〈反体制〉を貫きましたし、この作品にはしっかりしたストーリーもありますが、全体から受ける印象というか、雰囲気が〈ネオ・ポラール〉なのです。「フランス・ミステリが経験した〈ネオ・ポラール〉は、このような形で、あとに続く作品に痕跡を残したのか」というのが、本書を監訳して、高野が抱いた感想です。

 ふたつめの感想は、ガストン・ルルー『黄色い部屋の秘密』と類似している部分があるということ。そんな感想を抱いたいちばんの原因は、この作品が〈オイディプス悲劇〉の性格を持っているということです。『黄色い部屋の秘密』が〈オイディプス悲劇〉として書かれていることは、ハヤカワ文庫の新訳版の解説で吉野仁さんが明らかにされていますが、そういった観点で読めば、実はこの作品も同じテーマを内包していることがわかります。また、この作品は『黄色い部屋の秘密』と同様、〈法廷小説〉としての側面を持っているので、その点でも似ているところがあると言えます。そして、そこからさらに類似点を探しもとめていくと、「事件の解決が〈内側〉からではなく〈外側〉からもたらされる」ところも同じです。
「事件の解決が〈内側〉からもたらされる」というのは、賢い犯人と賢い探偵が知恵比べをして、その間の経過、そして手がかりがすべて示されたうえで、探偵が事件の解決に至るということ。したがって、読者はこの経過や手がかりを追うことによって、自身も事件の真相にたどりつくことができます。これに対して、『黄色い部屋の秘密』は、〈賢い犯人vs賢い探偵の対決〉ではなく、〈凡庸な犯人+あり得ない奇跡vs賢い探偵の対決〉で、主人公のルールタビーユは、「どんなにあり得ないことでも、論理的に考えると、この状況ではそのあり得ないことが起こったとしか考えられない」ということから真相にたどりつきます。つまり、事件解決の鍵が〈外側〉にあって、読者が自分の力で真相にたどりつくことはできませんが、〈犯人の凡庸さ〉と〈ルールタビーユの徹底的に論理を追求する姿勢〉を繰り返し伏線として書くことによって、「あり得ない奇跡が起こった」という解決が妥当なものになっているわけです(『アガサ・クリスティー自伝』のなかで、この作品についてクリスティーが「じつに手際よく小さな手かがりがみごとに隠されている」と評したのは、そのことだと思います)。
 この『死者の国』も、対決の構図は〈賢い犯人vs賢い探偵〉ではなく、〈社会の暗部が生みだした犯人vs凡庸な刑事〉で、事件の解決は〈外側〉からもたらされます。そして、この〈外側〉の中核を成す〈社会の暗部〉についての記述が伏線としてきちんと張りめぐらされているので、最後の〈思いがけない結末〉が説得力あるものになっているのです。その意味からすると、本書では〈ネオ・ポラール〉的な要素が重要な役割を果たしていると言えるでしょう(もっとも、それとは別に、〈賢い読者〉が注意深く本書を読めば、犯人のあたりをつけることは可能です)。

 三つめの感想はこの〈社会の暗部〉に関するものですが、この小説が〈負の連鎖〉の物語だということ。〈負の連鎖〉というのは、たとえば「虐待された子供が大きくなってから自分の子供を虐待してしまう」事例のように、ネガティヴな事象が世代を超えて受け継がれてしまうもので、これはもちろん、誰もがそうなるわけでもなく、〈負の連鎖〉自体を否定している説もありますので注意が必要なのですが、少なくとも〈負の連鎖〉という考え方があり、それが前述した〈外側〉の中核として、この小説を支える柱になっていることはまちがいないと思います(この〈負の連鎖〉には貧困の連鎖、悪習の連鎖、精神病質の連鎖ななども含まれます)。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、本書の登場人物たちは、〈負の連鎖〉によって、自分も残虐な犯罪をおかしたり、あるいは犯罪をおかしたりするのではないかと恐れています。
 本書のなかから〈負の連鎖〉をひとつだけ拾うと、容疑者のソビエスキは、殺人で刑務所に入っていたという前歴があり、刑務所内でもほかの囚人に残虐な行為をしていたようですが、自身も子供の頃に母親から虐待されたという暗い過去を負っています。そして、その母親も夫からDVを受けていました。まさに〈負の連鎖〉です。この部分を読んだ時、高野はゴヤの『黒い絵』の連作のなかの「我が子を喰らうサトゥルヌス」を思い浮かべました。

 さて、そういった〈負の連鎖〉をテーマにした小説のなかで、結末はどうなるのか? おそらく〈ネオ・ポラール〉だったら、登場人物の誰もが〈負の連鎖〉につながれて、悲惨な終わりを迎えるという救いのないものになるでしょう。けれども、〈ネオ・ポラール〉の進化形である本書では、そうはなりません。登場人物のひとりは〈負の連鎖〉につながれますが、もうひとりは〈負の連鎖〉を断ち切るのです(このふたりはひとりの人物のふたつの面だとも言えます)。すなわち、本書は〈負の連鎖〉から抜けだす話なのです。
 本書ではこの〈負の連鎖〉に関して、最後の二章で〈深い絶望〉と〈虚無〉、そして〈希望〉が描かれますが、この最後の二章は読みごたえがあります。この二章をもって、本書は「読みだしたら止まらない面白い本」というだけではなく、傑作になりました。

 と、こんなに書いて、まだ書き足りないのか、高野、最後にこぼれ話をします。
 皆さんは、《パリ警視庁賞》をご存じでしょうか? 警察の活動を描いたミステリに与えられる賞で、後援はパリ警視庁。審査員長はパリ警視庁司法警察局長で、審査員長を含む22名の審査員は警察の高官や検事、警察関係の新聞記者が務めるという毛色の変わった賞です。創設は1946年。日本でもこれまでに10作以上の受賞作が訳されています(ちなみに、高野は1983年の受賞作(モーリス・ペリッセ作、邦題『メリーゴーランドの誘惑』1984年)で翻訳書籍デビューしました)。で、この賞はフランス語では、Prix du Quai des Orfèvres(オルフェーヴル河岸賞)というのですが、それはパリ警視庁司法警察局(メグレ警視もここにいました)がオルフェーヴル河岸36番地にあったというところから来ています。え? あった? そう、あった、のです。実はパリ警視庁司法警察局は、2017年の夏にシテ島(セーヌの中の島、ノートルダム寺院のある島です)にあるオルフェーヴル河岸36番から、パリ北部17区のバスティオン通り36番地に引っ越しているのです(司法警察局の建物の隣で、裁判所のある《パレ・ド・ジュスティ》も移転しています)。
『死者の国』の物語は2016年の6月から始まり、2017年の12月に終わりますので、この引っ越しの時期とかぶっています。実は高野もこの作品を監訳して初めてパリ警視庁司法警察局が移転したことを知り、びっくりしました。監訳をしながら、グーグルマップのストリートビューで、シテ島のあたりを行ったり来たりして、「このカフェからだとノートルダムが見える」といった記述を確認して、パリ散歩を楽しんでいたのですが、その時にはもう司法警察局はなかったわけです(その後、ノートルダムの火災のニュースを聞いて、そちらもショックでしたが……)。いずれにしろ、この『死者の国』は、数々の名刑事を生んだオルフェーヴル河岸から司法警察局が移ってしまう、その前後の様子を描いているという点で、フランス・ミステリ・ファンにはなかなか感慨深い作品だと言えます。
 で、そうなると、《パリ警視庁賞》はどうなってしまうのかという疑問がわきますが、司法警察局がオルフェーヴル河岸36番地からバスティオン通り36番地に引っ越したあとも、Prix du Quai des Orfèvres(オルフェーヴル河岸賞)という名前のまま続いています。引っ越し後、初めての受賞作はシルヴァン・フォルジュ『エクストリーム・テンション』(2018年度受賞)、そして今年度(2019年度)の受賞作はポール・ムロ『罰を受けない人々』です。

 ということで、長くなりましたが、『死者の国』、読みどころ、楽しみどころ、たくさんありますので、ぜひお手におとりください(重いけど……)。

高野優(たかの ゆう)
 フランス語翻訳家。高野優フランス語翻訳教室主宰。主な訳書に、ルルー『黄色い部屋の秘密』(監訳。翻訳は竹若理衣。ハヤカワ文庫)、カミ『三銃士の息子』(ハヤカワ・ミステリ)、カミ『ルーフォック・オルメスの冒険』(創元推理文庫)、ヴェルヌ『八十日間世界一周』(光文社古典新訳文庫)、ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』(光文社古典新訳文庫)などがある。
■担当編集者よりひとこと■


 776ページ、厚さ35㎜。重さは500g以上。フレンチ・サスペンスの巨匠ジャン゠クリストフ・グランジェによる『死者の国』は、〈ハヤカワ・ミステリ〉史上最長・最厚の作品です。
 もちろん、見掛け倒しではありません。地域もジャンルも横断して綴られる絢爛な物語とその語り口に、いったんページをめくり始めたら最後まで止まらない面白さ……なのですが、実はわたくし、大の怖がり&痛い描写が苦手。「もうやめてよ~~、悪夢見ちゃうよ~~」とうめきながら、薄目を開けた状態で最後まで読み切りました(担当編集なのに……)。
 5月刊の「ポケミス」、ソフィー・エナフ『パリ警視庁迷宮捜査班』も同じくパリの街が舞台で、さらに主人公のカペスタンはパリ警視庁の警視正です。同じ職場に出入りする人々の物語なのに、『死者の国』はアングラでシリアスなサスペンス、一方の『パリ警視庁~』は軽やかで愉快なドタバタ劇。内容やテンションのあまりのギャップに、「36番地は懐が深いな~~」と変な感心をしてしまいました。
 『死者の国あらすじや内容の妙、グランジェがどれだけすごい作家なのかについては、上のエッセイで監訳者の高野優さんが、また本書巻末にお寄せいただいた解説では三橋曉さんが、それぞれ存分に語ってくださっています。ですので、わたくしからはこちらの写真を。
 編集部に見本が到着し、あまりの厚さにウケていたとき、先輩の一人が「これは煉瓦だね」と一言。というわけで、実際にたくさん積みあげてみました。読む煉瓦でできた「ウォール・ハヤカワ」、これで弊社のセキュリティはばっちりです。

 梅雨明け前の眠れぬ日に夜更かしして一気読みをどうぞ。『死者の国』を、みなさんお楽しみください。

(早川書房編集部Y.H)

 
【参考(早川書房公式note記事)】
読める煉瓦発売中! ジャン゠クリストフ・グランジェ『死者の国』厚さ対決
「底なしにも思える奈落を超高速で走り抜けるジェットコースター」ジャン゠クリストフ・グランジェ『死者の国』解説公開(三橋曉)





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