みなさま、こんにちは。韓国ジャンル小説愛好家のフジハラです。ゲログロジャンル小説大好きなワタクシではございますが、今回はエンタメ要素の強いジャンル小説をちょいと離れ、純ミステリー、純韓国産推理小説の初期作品を少々ご紹介いたします。

「韓国初の推理小説家」といえばキム・ネソン先生ですが、「韓国初の推理小説」としてよく話題に上るのは、イ・ヘジョ『双玉笛』。女性の自立や新教育など、当時の社会問題をテーマに扱う「新小説」と呼ばれるジャンルの作品や翻訳作品、翻案作品を多く残した作家が本作を発表したのは、1908年12月。『帝国新聞』の連載小説としてスタートをきり、その後、何度も単行本として出版されてきたようなのですが、私が見た限り、現在この作品を読める紙書籍がコレしかない! ということで、巻末付録として『双玉笛』が収録された『探偵の誕生』(パク・ジニョン著)を買ってみた。表紙をひらりとめくると、1900年代初頭に出版された数々の推理小説の色褪せた表紙が、哀愁たっぷりに姿を現します。


【写真上:『探偵の誕生』】

 あえて「偵探小説」と銘打たれたこちらの作品は、陰鬱な山の中、垂れ込める黒雲に、吹き荒れる嵐など、いかにも何かが起こりそうな空気が立ちこめた長めの導入部で、事件の前触れを暗示します。事件の発端は、列車の中で発生した盗難事件。大金を入れた鞄を輸送中のキムさんが、列車の中で鞄を盗まれてしまいます。ジョン刑事とキム刑事(前出のキムさんとは別人)、それにキム刑事の知人である女探偵が犯人探しに乗り出しますが、おとり捜査のために居酒屋の女主人を装った女探偵の身に思わぬ災難が降りかかります。現場に残された手がかりを頼りに容疑者を追うものの、目星をつけていた容疑者にはなかなかたどり着けない二人の刑事。やがて彼らも、何者かに命を狙われ始めます。
 一般的には、後半の緊迫感低下と偶発的事件の乱発のせいで、「過渡期的作品」の代名詞のような言われ方もするのですが、主要登場人物が命の危険にさらされたり(ネタバレになりますが、命を落としちゃたりする人も……)、絶体絶命のところで意外な人物が現れたりと、なかなか楽しく読ませていただきました。
 余談ですがこちらの『双玉笛』、隔月ミステリー雑誌『ミステリア』第7号(2016年6月発行)の限定別冊付録(『探偵の誕生』の著者、パク・ジニョン教授/編)として配布されたことがあるのですが、指定オンライン書店でのみ数量限定配布とあり、入手できなかったワタシ(泣)。やっと読めて満足です!

 ちなみに『探偵の誕生』、本文の目次は以下のとおり。

 第1章:推理小説は何かを隠し持っている/第2章:近代世界の冒険と想像力/第3章:犯罪現場の再構成/第4章:愛の秘密、殺人者の追跡/第5章:探偵の青春時代と推理小説の風景/第6章:起源と歴史の矛盾を越えて

 内容としては、朝鮮における翻訳推理小説史発展の一等功労者とされる黒岩涙香が韓国推理小説界に残した功績が紹介されているほか、朝鮮における推理小説の発祥と発展、当時の作品傾向や朝鮮産推理小説、翻訳推理小説、翻案推理小説についての解説、分析がまとめられた一冊です。『双玉笛』以外にも付録マンサイ。新聞連載開始にあたって書かれた告知記事、単行本発行にあたって記された前書きなども嬉しい資料です。『金の指輪』(パク・ヨンウン著、1912年)、『血の袈裟』(パク・ビョンホ著、1926年)など多数の作品解説が掲載されていますが、本日はその中でも、『双玉笛』『血の袈裟』の刊行以降、1930年代後半に本格推理小説『魔人』(キム・ネソン著)が出現するまでの中継ぎ的役割を果たしたと紹介されている二つの作品をご紹介します。


【写真上:『艶魔』】

 まずは純文学作家として名高いチェ・マンシク作の『艶魔』。1934年『朝鮮日報』にて連載されたこちらの作品は当初、「ソ・ドンサン」というペンネームで発表されたもの。連載開始の告知記事によると「某中堅作家の力作となる探偵小説であり、創作探偵小説の連載は、朝鮮の新聞界においてもまれにみる企画である」と紹介されています。
 こちらの主人公は、頭脳ゲーム大好き、とっておきの奇怪な事件の発生をひたすら待っている(自称)探偵ヨンホ。趣味用の実験室や隠し部屋など、一般家庭にはない特殊な設備を備えた秘密基地のような屋敷に暮らす(遺産頼みの)青年です。待ちに待った事件を運んできたのは、一つの小包。その包みには存在しない住所が記されており、消印の日付は2年前。そのわりに新しく見える外装を不審に思いながらガサガサと包みを開き、中から現れた新聞紙を、さらにその中の油紙を開いてみると、脱脂綿に包まれたブツがホームズチックに姿を現します(ちなみに該当章のタイトルは「指、ひと節」)。運転手のオボクを助手として、差出人探し、指の持ち主探しが始まりますが、さらにヨンホの好奇心をくすぐっているのは、数日前から見かけるようになった絶世の美女。なんだか怪しいニオイがするのです。
 こちらの作品は登場人物が多く、良くも悪くも複雑に絡み合った人間関係が見どころ。愛憎、怨念が渦巻き、ちょっと韓ドラチックな趣も味わえます。


【写真上:『水平線の彼方へ』】

 お次も純文学作家の大御所、キム・ドンインによる『水平線の彼方へ』。『艶魔』と同じく1934年、『毎日申報』で連載開始となったこちらの物語は、上海からソウルへ向かう列車の中で幕を開けます。上海での任務を終えたピルホ刑事が列車の中で一人の青年と遭遇。十数年ものあいだ上海暮らしをしていたというその青年、インジュンは、家族も親戚もいないソウルへ向かうといいます。それを聞いた刑事ピルホの勘が警戒警報発令。ネホリハホリ滞在目的を聞き出そうとするピルホに、自分が「(反日分子、独立運動家などの名を記した)ブラックリスト」に名を連ねた存在であることをほのめかすインジュン。ピルホが青年に何気なく名刺を手渡して、二人は別れます。
 ソウルに戻ったピルホは、ユン伯爵邸事件の担当に。早朝に伯爵邸付近で銃声が聞こえたという通報が巡回中の警官や近隣住民から入ったにもかかわらず、当の伯爵家の人間はそれを否定しているというのです。いざ伯爵邸に出向き自分の名を名乗ったところ、「ピルホ刑事ならもう来ていったぞ、ほれ、そいつがくれた名刺だ」となるわけですが(ミステリーマニアの皆さまゆえ、このカラクリは一瞬にして見抜いたことでしょう)、そこからニセピルホの追跡が始まり、捜査が進行するにつれ、国際犯罪組織LC党の関与説、ユン家の隠された家族史が浮上。はたして銃声の真相は、インジュンの思惑は、犯人の真意は? 朝鮮ならではの家族制度が招いた悲劇ともいえる胸の痛む物語ですが、同時に、ピルホとインジュンの絶妙な距離感が心地よい作品となっています。
 これらの作品たちは、純韓国産推理小説草創期の作品ゆえ、発展途上感がないといえば嘘になりますが、個人的には、当時の社会問題や風習(悪習も)を感じながら、スマホや科捜研、防犯カメラなどに頼れない時代の純粋なミステリーを楽しめるという点で、十分、満足できるものだと思います。
 壮大なスケールも大がかりな仕掛けもない時代の初々しい韓国推理小説たち。郷愁漂うこれらの作品を集めたアンソロジーなんかの登場も(そして邦訳出版も!)ぜひ! 待ってます!

【オマケ】
 すでに邦訳出版されているキム・ネソン先生の『魔人』。韓国では現在もちょこちょこと新装版が出版されているのですが、昨年は初版仕様……というか旧仮名遣いのものも出版されました。こちらを元に、出版社さま! 是非とも! 旧仮名遣いの邦訳版も出版しちゃってはいかがでしょうか! 当時のセピア色の京城が尚一層、近くに感じられるのではないかと……ゼイタクな願望を抱いた次第です。紙も色褪せ感のあるものでお願いします。


【写真上:『魔人』初版仕様】


【写真上:『真珠塔』】

 ちなみにキム・ネソン先生の翻案小説『真珠塔』(原作『モンテ・クリスト伯』)も絶対オススメ! 500ページを越える超大作ですが、完璧に韓国推理小説に生まれ変わった「モンテ・クリスト伯」ならぬ「ペク・ジンジュ(おそらく漢字をあてると白真珠)先生」、次から次へ「何か」が起こって続きが気になってしまう、飽きドコロのない一冊です(ちなみに編者はこれまた『探偵の誕生』の著者、パク・ジニョン教授)。

藤原 友代(ふじはら ともよ)
 北海道在住、韓国(ジャンル)小説愛好家ときどき翻訳者。
 児童書やドラマの原作本、映画のノベライズ本、社会学関係の書籍など、いろいろなジャンルの翻訳をしています。
 ウギャ――――!!ゲローーーー!!という小説が三度のメシより好きなのですが、ひたすら残虐!ただ残忍!!というのは苦手です。
 3匹の人間の子どもと百匹ほどのメダカを飼育中。















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