みなさんこんばんは。第25回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。諸事情で先月から隔月更新となりましたが、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

雨の多い季節です(この記事が更新されるタイミングでは全国的に晴天かもしれませんが。そろそろ夏本格化ですね……)。今月は私の在住地では記録的豪雨の予報に振り回されましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

しっとりした季節にはハイテンションで痛快な映画で雨を吹き飛ばしたくなる夜と、逆にそんな長雨の落ち着いた空気にしっくりくる、穏やかで繊細な映画が見たくなる夜があるのですが、今回ご紹介するのは後者のほう。静かな雨の夜に是非ご覧いただきたい、優しくて美しくて寂しい「秘密」を巡る映画を。というわけで今月はジョン・ガラーニョ、ホセ・マリア・ゴエナガ監督の『フラワーズ』をご紹介いたしましょう。事前にほとんど情報を入れずに鑑賞し、しんみりしながらもなんともいえない温かい気持ちになった作品です。

■『フラワーズ』 (LOREAK) [2014.スペイン] ■

(“https://www.netflix.com/watch/80082203”)

LOREAK/FLOWERS | Official Trailer

あらすじ:更年期障害に悩むアナ。あるときから差出人不明の花束が彼女宛に毎週届くようになるが全く心当たりがない。けれどその花は彼女の気持ちを少しだけ穏やかにするものだった。彼女が勤務する建設現場では、大型クレーンの上から地上を観察するベニャという男がいた。そのベニャの妻ローデスは、義母のテレと諍いが絶えない。嫌味を言われ続けて、もはや限界。テレにもまた複雑な感情があった。やがて訪れたひとつの死。謎の花束をめぐって、3人の女性の物語が交差していく……

とても地味でささやかでありながら、ミステリアスで柔らかなタッチに確かな技巧とイマジネーションの豊かさが見える作品です。ラテンビート映画祭および東京国際映画祭のワールドフォーカス部門でも上映されましたが残念ながら国内では劇場未公開。現在はNetflixのみで見られる状態なのですが、バスク語の映画としては初めてゴヤ賞(スペイン・アカデミー賞)の作品賞候補となっていたことを後に調べて知りました。生死を同じ優しい光で照らしながら激しい感情を隠して穏やかに綴られる「花」を巡る謎めいた物語は、水彩でさらりと描かれた静物画のような美しさ。ラストまでたどり着く頃、「こういう話だったのか」を踏まえて冒頭を思い出すだけでじんわりと胸に沁み入るものがあり、「ああ良いものを見た……」という気持ちになったのを覚えています。

冒頭の「いくつかのイメージの連続」だけでは、これがどういう話なのかは全くわかりません。雨の日の道路の車、花束、暗い部屋の女性。断片的な「シーンの一部」がただ映り、その背景はわからないままに映し出される<LOREAK>のタイトル。これはどういうことなのだろう?そこから視点を変えて語られるうち、この冒頭が指していたのが何のシーンだったのか中盤に明らかになっていく、その引き込み方がまず実に美しい。(とてもゆったりと語られるので、眠くなるという声もあるかもしれませんが……)

贈り主のわからない花束を受け取るアナ。彼女を見ているベニャ、その妻と母。「死者は忘れない限り生きている」という言葉。言葉にならない想いを届ける花束が不思議なかたちでつないだ迷える3人の物語は基本的には世界中にある【そこにいない者がつなぐ新たな輪と再生】もののバリエーションではあるのですが、この映画が導き出す「つながり」はどうにも不確かで頼りない。でもそこがとても素敵なのです。異なる立場の女性たちのやり場のない悲しみと不安、寄る辺なさと過去への拘泥、生きることのままならなさが、ただあるがままにそっと花束と共に差し出されていく様子が。

次々に花が変わっていくことで示される時間の経過。その先にあるのは希望に満ちた再生というより、望むと望まざるにかかわらずただすれ違い続け、ときどきは触れるかもしれないけど、でも一瞬でまた離れてしまう、私たちの人生の不可思議さです。

どこか現実離れして浮遊しているような画も効果をあげていて素敵です。道路に現れる幻想的な羊の群れ。彼女たちの人生のように灰色がかった、いつも曇天のような色調。そして画面の中央できっちりとピントのあった花束と、背後で動くぼやけた人物。光と闇。そして見えてくる「本当のこと」。

ネタバレにならない範囲で語るのが難しいのですが、謎めいた花束を通じて、やがてこの映画は【人が花を贈るのは、何のため?】という問いになっていきます。この映画でのひとつの解として表現されているのは「贈ることしかできないから」ということ。切ったそのときから死んでいく花を贈ること、その花は相手のためでなく私のため、私があなたに「贈る」ため/私があなたを「送る」ためーー気持ちは届かない/届けられないということを知りながら、それでも花を贈らずにいられない人の望みの切なさを丁寧に描き出す。そんなミステリアス・シネマが気になる方であれば、静かな夜のお供にお楽しみいただけるのではないかと思います。


■よろしければ、こちらも その1/『HANDIA アルツォの巨人』

(“https://www.netflix.com/jp/title/80122177”)

HANDIA | Official Trailer

第一次カルリスタ戦争後、戦争帰りの兄と巨人症の弟は見世物興行の世界で生きることになり……というこちらも『フラワーズ』の監督/脚本チームが手がけている作品。時代に翻弄され、傷つけあいながらもお互いしかいない、わかりあうこともわかりあえないことも受け入れるしかない兄弟の痛みを静かに繊細に映し出しています。 章立ての構成には古典的な大河浪漫悲劇を読んでいるような雰囲気があり、「すぐ戻ってくるよ」から「どうして僕らはこんなところに」の流転の日々の描写はズシンと重い。しかしそこはこのクリエイター陣。どんなにやるせなくても、降り積もる侘しさのなかでも、人の優しさやあたたかさ――それが罪悪感からくるものだとしても――を胸に残すように語られています。聖句を唱えながらの手仕事に窓から差し込む光、葉一枚もない大きな木、ストーンヘンジで「巨人」と「通常サイズ」の人々が交互に並んで連なって歩いていく神秘的なシルエットなど、美しい撮影にも是非ご注目を。


■よろしければ、こちらも その2/『五月の雪』クセニヤ・メルニク

『フラワーズ』や『HANDIA』の「辛い話の書き手の視線が優しく温かい、でも/だから、とても寂しい」雰囲気に通じるところがあるな、と感じたのがクセニヤ・メルニクの『五月の雪』。ロシア北部の街マガダンを舞台に、様々な時代の様々な状況の人間模様を描く連作短編集です。ここにいると息が詰まるし、ここじゃないところでも、あの場所/あの頃を逃れられない彼ら/彼女らの物語一つひとつは大河浪漫というにはあまりにもささやか。しかし歴史と場所に翻弄されなかった人などどこにもいない、それがソビエト時代の暗い記憶への入り口にある街の人たちであればなおのこと。薄曇りの憂鬱な場所で「どこにもいけない気がする」「ここが嫌いなわけでもないけど好きではない」「なんかこう、朽ちていきそうだし……」「でも私たちはここから出て行っても居心地悪いのを知っている……」そんな言葉にならない複雑な想いを抱えた「普通の人たち」の肖像は、哀しくもあり、可笑しくもあり。話にはよく聞くけれど会ったことのない遠い親戚の古い写真を眺めているような、不思議な愛おしさを感じられる作品ではないかと思います。

私は夜中のSNSで唐突に「しんみりの発作が!」と叫んでしまうくらいにぼんやりとした寂寥感とそこからくる不安に弱いのですが、そのためか「寂しいけどどうしようもないし、生きていきます」という普通の人たちが描かれる物語には、悲しくなりながらも元気が出てきます。元気がないときに元気なもので励まされることもあれば、元気のない人たちの話もそれはそれで元気になれるというのは不思議なものだなあ……などと思いながら、それでは、今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。

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