メグレ警視シリーズ第二期へと入る前に、番外編をお届けする。
 これまで書いてきた通り、ジョルジュ・シムノンは旅をするごとに大きくなっていった作家だった。後に名声を博して子供も育てるようになってからは1ヵ所に留まることが多くなったが、それまでは冒険に憧れていた少年時代の夢を叶えようとするかのように、積極的に世界中へ出て行って旅に身を置いていたのである。
 海外ではそうした世界作家としてのシムノンに着目した評論書籍がいくつも出ており、またそうした側面に焦点を当てた作家展も開催されてきた。シムノンは写真が趣味で、旅先でたくさんの写真を撮っている。それらは格好の展示物にもなった。
 またシムノンはとくに若いころ、あちこちの場所へ拠点を移して活動したこともあり、故郷と呼べる場所がいくつかある。それらを取り上げた書物も少なくない。
 今回の番外編では「世界作家シムノン」に迫る書籍をまとめて紹介しよう。フランス語があまり読めない人でも、掲載されている写真や図版を見るだけで楽しくなってくるはずだ。ヴィジュアル豊富な作家ガイド本も併せて紹介する。

■世界作家シムノン■


世界作家シムノン【写真1】

[1]Francis Lacassin校訂・解説, Mes apprentissages: Reportages 1931-1946, Omnibus, 2001[2-4の合本・増補版][わが訓練:ルポルタージュ1931-1946]
[2]Francis Lacassin & Gilbert Sigaux編, À la découverte de la France(Mes apprentissages 1), Union Générale(10/18), 1987[フランス発見のなかで:わが訓練1]
[3]同編, À la recherché de l’homme nu(Mes apprentissages 2), Union Générale(10/18), 1987[裸の人間を探すなかで:わが訓練2]
[4]同編, À la rencontre des autres(Mes apprentissages III), Christian Bourgois Éditeur(10/18), 1989[人との出会いのなかで:わが訓練III]

 オムニビュス社から出ている《シムノン全集》全27巻は、シムノンのすべての小説作品と生前に書籍化されたエッセイ・ノンフィクション作品(晩年の口述筆記シリーズを含む)を収めているが、単発で発表されたきりのエッセイ・ノンフィクション作品・書簡・講演録などは含まれていなかった。それを補完する書籍はいくつか出ており、なかでも重要で本連載でもたびたび言及してきたのがシムノンの旅行関連エッセイを大部の一冊にまとめた『わが訓練』[1]である。もともと3巻本として出版[2-4]されたものの合本・増補版だ。初刊が出た後「ジョルジュ・シムノン友の会」が発掘・同人誌刊行したルポルタージュも、この増補版では新たに収められた。副題に「1931-1946」と年号が入っている通り、シムノンが精力的に旅をしていた時期(第一期から第三期初めまで)のエッセイはすべてここにまとめられている。
 本連載でもこれまで少しずつこの大著を繙いてきた。増補版の[1]は初刊時の構成を踏襲して3部構成になっている。第1部「フランス発見のなかで」は『川と運河を巡る長い航程』第46回)とフランス国内の大疑獄事件「スタヴィツキー事件」などを扱った犯罪ルポルタージュを集成。第2部「裸の人間を探すなかで」はアフリカ探訪記「ニグロの時間」(第36回)や「ガラパゴス諸島の謎のドラマ」(https://honyakumystery.jp/8865)などに加えて戦後のアメリカ滞在記(後に『«Des phoques aux cocotiers et aux serpents à sonnette»: l’Amérique en auto[ココ椰子の印と鐘を持つ蛇:アメリカを走る]として単行本化)を収載。表題の「裸の人間l’homme nu」とはシムノンが後によく用いたいい回しで、人間の理想像のことである。第3部「人との出会いのなかで」には欧州紀行「Europe 33」[ヨーロッパ33]や世界旅行の総括「すべてとその他の場所からの物語」(第54回)などの旅行ルポルタージュを収載している。
 シムノンのルポルタージュは読んで面白いものなのか、と純粋に訊かれたら、微妙なところだ、と実際には答えるしかない。旅行エッセイというとその書き手の人柄や視点の斬新さが面白さを醸し出すのだと思うが、シムノンはあくまでジャーナリストとしてこれらの記事を書いていたからである。たとえば村上春樹氏は旅行エッセイ『遠い太鼓』(1990)をやはり作家として書いている。だから村上春樹ファンには面白い読みものになっているし、著者自身の視点が興味深いものとなっている。
 だがシムノンは作家として書いてはいない。同じくジャーナリスト出身の作家にジョージ・オーウェルがいるが、オーウェルが1928-1929年当時のパリでのどん底生活を描いた『パリ・ロンドン放浪記』(1933)とも筆致はまるで違う(第39回)。オーウェルは後の作家が過去を振り返って書いた文学作品になっているのに対し、シムノンのルポルタージュはあくまで新聞紙面で読むための記事に留まっているのである。またシムノンは旅行先に決して長く滞在することがなかった。最後のタヒチを除けば(1ヵ月ほど滞在した)、あたかも多動症であるかのように、むしろ精力的といっていいくらいにどんどん先へと進んでいる。ほぼ同時代の紀行文学にアンドレ・ジッド『コンゴ旅行〔正〕〔続〕』(1927, 1928)があるが、ジッドが1年近くかけて中央アフリカを見聞したのに比べると、数ヵ月で見て回ったシムノンはいかにも駆け足である。つまり率直にいって、シムノンのルポルタージュはいま単独で読んで文学的に面白いわけではない。
 しかし少しでもシムノンという作家に興味を持って、彼の作家人生をもっと知りたいと思うようになったら、本書は座右の一冊となるはずだ。シムノンの小説の原点が、ここに詰まっているからである。
 シムノンはいつも自分が実際に見たことを小説に書いた。だからシムノンのルポルタージュは小説と地続きであり、しばしばルポルタージュで書かれた通りの出来事が小説内に現れる。小説を読んではっと心奪われる描写があると、それは実際にシムノンが現地で体験したことだった、というケースが多いのだ。そうしたことを知ってより深くシムノンを味わうには必携の一冊である。
 ちなみに旧版[2]の表紙は有名な風刺画で、シムノンがペンネーム時代のころ《オストロゴート号》で欧州のあちこちを旅しながら通俗小説をマシーンのように量産していた様子を面白おかしく描いたものだ。船に乗ったシムノンがタイプライターで原稿を叩きまくり、書いたそばからリレー方式で原稿が出版社へ送られてゆくのである。

■故郷リエージュ■



故郷リエージュ【写真2, 3】

[1]Jean Jour, Simenon enfant de Liège, Libro-sciences, 1980[リエージュの子供シムノン]
[2]Michel Lemoine, Liège dans l’œuvre de Simenon, Université de Liège Faculté ouverte, 1989[シムノンの著作に見るリエージュ]
[3]Christian Libens, Sur les traces de Simenon à Liège, Les Éditions de l’Octogone, 2002[リエージュにシムノンの足跡を辿る]
[4]Sur les traces de Simenon, Office du tourisme Liège, 2019(https://www.visitezliege.be/sites/default/files/cms/brochures-fichier/simenon_fr.pdf)[シムノンの足跡を辿る]
[5]Michel Lemoine, Liège couleur Simenon, 全3冊, Éditions du CÉFAL, 2002[リエージュが彩るシムノン]
[6]Michel Lemoine, Michel Carly, Les chemins belges de Simenon, Éditions du CÉFAL, 2003[シムノンのベルギーの道々]
[7]Lily Portugaels, Frédéric van Vlodorp, Les scoops de Simenon: Georges Sim, journaliste à la Gazette de Liége, Luc Pire, 2003[シムノンのスクープ:ジョルジュ・シム、《ガゼット・ド・リエージュ》の記者]
[8]Michel Carly, Christian Libens, La Belgique de Simenon: 101 scènes d’enquêtes, Weyrich, 2016[シムノンのベルギー:事件簿からの101場面]

・1903/2/13 ジョルジュ・シムノン、ベルギーのリエージュに生まれる
・1919/1 《ガゼット・ド・リエージュ》の記者になる
・1920/9 初の著書となる『アルシュ橋にて』第20回)を執筆
・1922/10/29 パリへ上京

 リエージュはシムノンの生まれ故郷であり、1922年にパリへ上京するまでシムノンはこの地に住み、地元紙《ガゼット・ド・リエージュ》の記者として働き、小説の習作も書き始めた。
 この時代のシムノンについて論じた本は多数ある。当時の写真入りの[1][2][5][6][8]はその一部だが、ベルギーで出版された大判の[8]はとくに写真も充実しており、眺めるだけでも楽しい一冊となっている。生まれ育ったリエージュだけでなく、後年に訪れたベルギー南部のシャルルロワ(『下宿人』第42回)、ブリュクセルの他、ゆかりのあるアルデンヌ、フランドル地方(『運河の家』第37回)も紹介されている。
 もし実際にリエージュに旅してシムノンの足跡を辿りたいなら、ポケットガイドの[3][4]を手に取るとよいだろう。アルシュ橋(第20回)やサン・フォリアン寺院(第3回)などシムノン作品ゆかりの地が地図と写真で紹介されている。とくに[4]はリエージュの観光局が出しており、PDFですぐダウンロードできるのでお薦め。いまはリエージュに「ジョルジュ・シムノン通り」や「メグレ警視広場」があることもわかるだろう。
 展覧会図録の[7]も興味深い。シムノンが《ガゼット・ド・リエージュ》の記者をしていたころに書いた記事を抜粋し、またそれらの事件にまつわる場所や人物を写真で紹介している。当時は「ムッシュー・ル・コック(雄鶏氏)」(エミール・ガボリオの探偵役ルコック氏が由来か)や「ジョルジュ・シム」の筆名が使われていた。シムノンは事件記事、政治記事だけでなく、隣国フランスの紹介記事や映画評など何でも書いていたのである。
 他の伝記を読むと驚くべきことに当時シムノンは欧州を訪れていた日本の裕仁親王(後の昭和天皇)にも単独インタビューしてスクープをものしたようだが、残念ながらその記事は紹介されていない(第38回)。
 作家の向田邦子氏がエッセイ集『夜中の薔薇』(1981)収載の旅行記「ベルギーぼんやり紀行 小さいけれど懐の深い国」で、ベルギーといえばという連想でシムノンの名を出していることもつけ加えておこう。

■川と運河、アフリカ、欧州、そして155日間世界一周■



川と運河、アフリカ、欧州、そして155日間世界一周【写真4, 5】

[1]«Marins pour rire, marins quand même»: Simenon en bateau, Le Livre de Poche, 2013*[笑う船員、なおも船員:船上のシムノン]
[2]Long cours sur les rivières et canaux, Le temps qu’il fait, 1996*[川と運河を巡る長い航程]
[3]La Méditerranée en goélette ou Mare nostrum, Le Castor Astral, 1999/11(Édition présentée par Alain Bertrand)*[スクーナー船の地中海、あるいは我らが海]
[4]Georges Simenon (1903-1989): De la Vendée aux quatre coins du monde, Somogy éditions d’art, 2011[ジョルジュ・シムノン(1903-1989):ヴァンデ県から全世界へ]
[5]Simenon: Reporter-Photographe 1931-1935. De la Belgique à la Turquie, Notre Dame de Sion Fransiz Lisesi, 2014[シムノン:探訪記者‐写真家 1931-1935 ベルギーからトルコへ]

・1928/4-9 《ジネット号》でフランス国内の川と運河を旅する(第46回
・1929/春-1931/終盤 《オストロゴート号》で欧州を旅する(第46回
・1931/2/20 本名名義でメグレシリーズ『死んだギャレ氏』『サン・フォリアン寺院の首吊人』をファイヤール社から同時出版(第2回第3回
・1931/7-8 《ヴォワラ》誌の記事のため写真家ハンス・オプラトカと運河を撮影(第46回
・1931/8/4 『イトヴィル村の狂女』(第32回)の共著者である写真家ジェルメーヌ・クルルらと《オストロゴート号》船上で出版パーティ
・1932/2/15 ラ・ロシェル近郊マルシリーに城を借りて住む(1935/2/15まで)
・1932/8-9 アフリカ旅行(第36回
・1933/冬-春 欧州旅行(第39回
・1933/4-夏 黒海旅行、6/7にトロツキーを取材(第39回第45回
・1934/5-8 《アラルド号》で地中海旅行(第46回
・1934/12/12-1935/5/15 155日間世界一周旅行(第49回第51回第52回第54回他)
 1928年に小さな《ジネット号》を手に入れたことでシムノンの旅行人生は始まる。まずはフランス国内の川と運河。続いてさらに大きな《オストロゴート号》を建造すると、フランスを飛び出して本格的な船の暮らしを3年間続けた。この途上でメグレ警視というキャラクターが生まれた(第27回)。フランスに戻って本名名義で『死んだギャレ氏』『サン・フォリアン寺院の首吊人』を出版してからも、しばらくは船上生活を続けたのである。
 [1-3]はいずれもシムノンの船旅エッセイをまとめた書物で、すでに本連載で紹介した(第46回)。[1, 2]は主に自船でフランス国内や欧州を巡っていたペンネーム時代の話、[3]は《アラルド号》で地中海を旅行したときの話である。
 [2]に収められた旅行回想録をヴィジュアル誌《ヴォワラ》に寄稿するにあたって、シムノンはチェコ出身の写真家ハンス・オプラトカと改めて運河に出向き、自らの指示で写真を撮影し、《ヴォワラ》誌に載せている。そのときの写真はオムニビュス社シムノン全集第17巻の表紙を飾っている。
《ヴォワラ》誌とその版元つながりで、1931年ころのシムノンは写真家たちと交流があった。ファイヤール社から続々と出版されたシムノンの本は、どれも表紙に写真が使われており、それらの写真家と知り合うことができたのである。1931年8月に別の出版社から出たG.7ものの『イトヴィル村の狂女』も写真家ジェルメーヌ・クルルとの共同企画で、メグレシリーズ『メグレと深夜の十字路』第6回)の初刊表紙写真はクルルのものだとする評論もある。また『メグレと運河の殺人』第4回)はシムノン自身が撮影した写真が使用された。
《ジネット号》や《オストロゴート号》で欧州を巡っていたころのシムノンは、まだ旅の人生を始めたばかりであり、欧州より外側の世界には行ったことがなかった。この時期シムノンはたくさんの少年向け秘境冒険小説を書き飛ばしているが、つまり実際にはそうした秘境の地へ行ったことはなく、船に積み込んだ『ラルース百科事典』の項目をあれこれ引きながら想像だけで書いていたのである。【写真5】はその時期に書かれた秘境冒険小説のスペイン語版の表紙だ。へたくそな絵だが味がある。見ていると「そういえば自分も子供のころ、図書館からこんな小説をたくさん借りて読んで想像を膨らませたなあ」と懐かしい気分になる。私たちをつくり上げるのはいつだってこうした通俗小説なのだ。
 シムノンは1928年から自分でも写真を撮ることを始めて、とくに1931年から1935年にはたくさんの写真を残した。それはシムノンが世界へ出て行った時期とぴったり重なる。シムノンは6冊のアルバムを遺し、写真は撮影順に台紙に丁寧に貼られて、番号と撮影場所が書き込まれていた。アルバムは後年リエージュ大学に寄贈されたので一級の資料となり、これらの写真を用いた作家展が何度も企画され、旅行家シムノンの側面に焦点を当てた展覧会も開催されている。
 [4][5]はそれら展覧会の図録だ。[4]は戦時中にシムノンが疎開していたヴァンデ県で、また[5]はトルコのイスタンブールで展覧会が開催されたので、それぞれこのようなタイトルがついているのである。
 ヴァンデはフランス西部の大西洋沿いの県で、シムノンが一時期住んでいたラ・ロシェルもここにある。[4]はシムノンの人生全般を豊富な写真と図版で紹介している良書だが、とくに各世界旅行のルートを地図上に示してくれているのがとてもありがたい。それぞれの旅でシムノンがどのような順番でどこを巡ったのかを知るにはこの資料がいちばんいい。[5]は写真よりも解説記事が主体の一冊。内容の一部は連載第45回で紹介した。

■写真家シムノン■


写真家シムノン【写真6】

[1]Tristan Bourlard, Simenon photographe, Actes Sud, 2000*[写真家シムノン]
[2]L’œil de Simenon, Galelie nationale du Jeu de Paume/Omnibus, 2004*[シムノンの眼]
[3]Freddy Bonmariage編, Simenon photographe 1931-1935, La renaissance du livre, 2006[写真家シムノン 1931-1935]
[4]DVD Simenon écrivain photographe, Freddy Bonmariage監督, Karmella Tsepkolenko音楽, Robert Guimard朗読, Image Réalité, 2006*[シムノン 作家、写真家][3]のDVD版、80分

 シムノンが撮った写真はオムニビュス社シムノン全集の表紙を飾った。また何冊かの写真集にもまとめられている。[1]は手軽なペーパーバック版だが、お薦めは展覧会図録として出版された[2][3]で、どちらも掲載数が多く、見応えがある。シムノン愛読者ならぜひ所持していたい写真集だ。
 [2][3]どちらもおおむね年代順に写真が配置され、シムノンの旅の履歴がわかる構成になっている。[2]ではまず1933年のベルギーの写真から始まる。シムノンは欧州旅行の直前にベルギーのブリュクセルとシャルルロワを訪れたのだ。シャルルロワでは民族宮殿Palais du Peupleに赴き、そこのレストランバーで給仕や客の写真をたくさん撮っている。
 翻って1931年、仏ブーローニュやコンカルノーの港の写真。甲板に佇む犬の俯瞰ショットや、警察官・船夫たちのスナップショットなど、まさにメグレの世界である。写真はもちろんすべてモノクロで、ピンぼけのものも多いが、それが静謐でしかも生活感溢れる独特の雰囲気を醸し出す。シムノンはきちんと構図を決める撮り手ではないようだ。なかには「こっちを向いてください」といって港町の店員を撮ったものもあるが、多くはその場に居合わせたときの直感でシャッターを切っている。シムノンは決して風光明媚な名所を撮ることはしない。あくまで日常の一瞬を記録している。
 最初のうちは風景写真も散見されるが、アフリカ旅行から人物写真が主体となってくる。黒肌の現地の人々、とくに船を漕ぐ男たちの肉体や、胸も露わな女性たちと、彼女らが背負う裸の子供たちが捉えられている。
 そして欧州旅行と黒海旅行。寒々しい景色のベルリン、集まってきた少年らの笑顔を捉えたポーランド、ロシアのオデッサの海岸ではしゃぐ水着の女性たち。続いて地中海旅行。陽射しは明るく、シムノンが捉える海の男や青年たちの表情も精悍で明るい。《アラルド号》の船上でおこなわれたダンスパーティの様子をシムノンは何枚も撮影している。連続して見ると陽気な音楽まで聞こえてきそうだ。
 最後に155日間世界一周旅行の写真。客船の甲板でこちらに帽子を掲げてみせる男は、シムノンの小説の登場人物そのままのようだ。霧に煙ったようにかすんだニューヨークの遠景は旅情を掻き立てる。赤道近くのグアヤキルのバー、タヒチの街並みと、日傘を差して道路脇を歩く女性の姿は、確かにこれまでシムノンの小説で読んできた景色だ。なお本書は巻末にほどよい詳しさの年表が掲載されており、シムノンの年表ではいちばん使い勝手がよい。
 本書の解説記事のひとつ「ジョルジュ・シムノン、写真家:通りすがりの証人」でパトリック・ロジェPatrick Roegiers氏が次のように書いているのが印象的だ。

(前略)フランスの運河であれ、赤道地帯であれ、世界のどこであっても、シムノンは小説家というよりはジャーナリストとして、旅行者というよりは探訪記者として、愛好家というよりは観光客として、プロフェッショナルな鉛筆と万年筆とインク壺の書き手というよりは見知らぬ通りすがりとしてものを見ていた。(瀬名の試訳

 その通りだと私も思う。そのスタンスがとりわけ彼の撮影した写真にはよく表れている。その基本スタンスがシムノンの小説作品に取り入れられたとき、他のどの作家にも書けない独特の“他者性”が生まれる。「通りすがりの証人le témoin de passage」とは実にいい得て妙だ。シムノンは旅行先で出会った人々の心に安易に入り込んだり共感を示したりすることは決してない。自分が通りすがりの一介の写真記者であることを自覚できている。それが他ならぬシムノンの作家的特長なのである。
 [3]は2003年にシムノン生誕100年を記念してベルギーで開催された各種イベントからの産物。やはり撮影順、年代順に写真が掲載され、それぞれの土地を描いたシムノン作品からの抜粋紹介もある。第一期シムノン作品を読んで来たうえでページをめくると、次々と作品の思い出が蘇ってきて感慨深い。[4]はそのDVD版で、もっとも写真の収録枚数が多い。80分かけて小説やルポルタージュの朗読を被せながらじっくりと写真を画面に映し出してゆくので、観ていると多くのことが頭に浮かんでくる。
 最初の世界旅行であったアフリカ旅行の写真は、やはりいちばん温かみが感じられる。シムノンの視線が温かいのだ。ジャーナリストとしてという側面もあっただろうが、そこここに素のシムノンが出ている気がする。一方、ベルギーのシャルルロワから始まった1933年の欧州の旅は、最初のうち冬の時期ということもあって、どこの道にも雪が積もり、あるいはぬかるんでいて、人々はみなコートを着込み、荒涼とした雰囲気だ。政治・経済的にも不安定だった時期の東欧がフィルムに刻まれている気さえする。一方で地中海旅行の写真は明るく陽気だ。そして世界一周旅行時のタヒチの写真だけは観光パンフレットのような屈託のなさがある。本当の楽園のように撮影されている。
 これらの印象はどれも実際にシムノンの小説やルポルタージュを読んだときに感じるものと同じだ。シムノンはカメラのレンズを通して見たように文章を書いていたのだ。観ていると作家シムノンへの理解が一歩進んだ気がしてくる。そして1930年代の欧州が、アフリカが、そして太平洋の島々が、いっそうリアルに感じられるようになる。
 今回の番外編はこれらの写真集をどうしても紹介しておきたくて書いた。機会があればぜひ手に取ってみていただきたい。なお、今後ドイツで『Simenon: Die Jahre mit der Leica: Fotografien 1931-1935[シムノン:ライカとの年々 写真1931-1935](Kampa, 2019)という本も出るようだ。

■それぞれの地で■


それぞれの地で【写真7】

[1]Pierre Deligny, Claude Menguy, Simenon de Porquerolles: Cinq séjours dans « une île idéale », Les Amis de georges Simenon, 2003[ポルクロール島のシムノン:「完璧な島」への5回の滞在] 研究同人誌
[2]Michel Carly, Simenon et les secrets de La Rochelle, Omnibus, 2004 [シムノンとラ・ロシェルの秘密]
[3]Michel Carly, Simenon: Les années secrètes, D’Orbestier, 2005[シムノン:秘められた年々]
[4]Paul Daelewyn, La Côte d’Azur de Georges Simenon, Serre Éditeur, 2005[ジョルジュ・シムノンの紺碧海岸(コート・ダジュール)]
[5]William Alder, Simenon et Maigret en Normandie: Perspectives historiques et sociales, press Universitaires de Liège, 2016[ノルマンディーにおけるシムノンとメグレ:歴史的および社会的展望]

 著名作家になると、ゆかりの地と作品をつなぐガイドブックや評論が出てくるものだ。シムノンにもそうした書物があるのでざっと紹介しておこう。ざっと、と書いたのは私自身これらの本をまだ読んでいないからである。今後の楽しみとして書棚に入れてある。
 [1]はシムノンが愛した南仏ポルクロール島と関連作品を紹介する研究同人誌。シムノンは1926年に初めてこの島を訪れた。G.7ものの中編「消失三人女」第32回)に登場するグラン・ラングスチェ邸は実際にポルクロール島でシムノンが当時滞在した屋敷である。シムノンは第一期の総決算『ドナデュの遺書』第58回)もこの島で書いた。
 シムノンは第一期から第二期にかけて(1940年まで)、仏南西部の観光地であるラ・ロシェルの近郊、マルシリーやニュル゠シュル゠メールに断続的に住んでいた。[2]はラ・ロシェルとシムノンの関係を論じる。ラ・ロシェルが登場する作品はいくつもあり、すでに本連載では『逃亡者』第44回)、『ドナデュの遺書』第58回)を読んだ。
 [3]は戦時中にシムノンが疎開したヴァンデ県での日々を掘り起こして論じた一冊。これから読み進める第二期シムノンの主要活動拠点に当たる。この時期のシムノンに焦点を当てた評論は少なく、貴重な一冊と思われるので、いずれちゃんと読みたい。
 そしてシムノンは後に映画界と密接な関係を持ち、カンヌ映画祭にも出席するようになったので、南仏コート・ダジュールをよく訪れた。初期の『紺碧海岸のメグレ』第17回)のみならずこの地方を扱った小説はいろいろある。たとえば『袋小路』第56回)。[4]はゆかりの地をカラー写真で紹介している。
 [5]は北方ノルマンディー地方との関係を示す。メグレものでは『港の酒場で』第8回)、『霧の港のメグレ』第16回)、『メグレと老婦人』などがそれに当たる。

■アメリカを行く■

[1]«Des phoques aux cocotiers et aux serpents à sonnette»: l’Amérique en auto, Le Livre de Poche, 2013[ココ椰子の印と鐘を持つ蛇:アメリカを走る]
[2]Michel Carly, Sur les routes américaines avec Simenon, Omnibus, 2002[シムノンとアメリカのルートを辿る]

 ここから先は本連載では未来の出来事となる。戦後の1945年から1955年まで、シムノンは欧州を離れてアメリカに移り住んだ。ここで2番目の妻となる女性デニスと出会うことになる。シムノンにとって人生最後の大きな旅だったといえる。
 シムノンというとパリのイメージが強いので、アメリカとのつながりはピンと来ないかもしれない。だがメグレシリーズのなかにもアメリカが舞台のものはあり、またアメリカ滞在時に書かれた作品は傑作が多いといわれている。作家としていちばん脂が乗っていた時期なのだ。
 マンハッタン、カナダ、フロリダ、アリゾナ、カリフォルニア、レイクヴィルと、シムノンは場所を転々としながら生活した。[1]はその時期のエッセイを集成したもの。[2]は評論である。
 シムノンはペンネーム時代にも想像でアメリカを描き、アメリカへの憧憬を示していたが(第26回)、戦後になってから実際にアメリカの地へ赴いて暮らしたのだ。シムノンがアメリカをどのように描いたのか、これからそれを確かめるのが本当に楽しみである。

■シムノンのアルバム■



シムノンのアルバム【写真8, 9】

[1]Michel Lemoine, Simenon: Écrire l’homme, Gallimard, 2003[シムノン:人間を描く]
[2]Georges Simenon: L’homme, l’univers, la création, Édition Complexe, 2002[シムノン:人間、宇宙、創造]
[3]Georges Simenon; parcours d’un écrivain belge, Racine, 2011[ジョルジュ・シムノン:あるベルギー作家の旅路]仏語版
[4]Georges Simenon: Itinerary of a Belgian Writer, Racine, 2011 [3]の英語版
[5]Georges Simenon; Sein Leben in Bildern, Diogenes, 2009[ジョルジュ・シムノン:写真で見るその生涯]簡易函入り
[6]Présenties par Patrick et Philippe Chastenet, Simenon; album de famille, Presses de la Cité, 1989[シムノン:家族のアルバム]
[7]Pierre Hebey, Album Simenon, Gallimard, 2003「アルバム シムノン」函入り
[8]Danielle Bajomée, Simenon: Une légende du XXe siècle, La Renaissance du Livre, 2003[シムノン:20世紀の伝説]
[9]Michel Carly編, La France de Maigret; vue par les maîtres de la phoyographie du XXe siècle, Omnibus, 2007[20世紀の写真の巨匠から見た メグレのフランス]ドイツ語版Maigret frankreich, Diogenes, 2014もあり
[10]長島良三『世界のすべての女を愛している ジョルジュ・シムノンと青春のパリ』白亜書房、2003*
[11]長島良三「ジョルジュ・シムノン 小説家と愛娘の異常な愛」、《ハヤカワミステリマガジン》2009/7, 2009/11, 12, 2010/1, 2, 3(No.641, 645, 646, 647, 648, 649)

 シムノンの生涯を辿った書籍はたくさん出ている。伝記だけでなく展覧会図録としてヴィジュアル主体に構成されたもの、コンパクトで密度の高いカラー版作家ガイド、さまざまな切り口からシムノンの作家性を論じた書物もある。ここに示したのはそうしたもののごく一部だが、なるべくページをめくるだけでも楽しいもの、私たち日本人にも馴染みやすいものを中心に選んでみた。私はまだこれらをちゃんと読んだわけではないが、第二期、第三期の小説作品を読み進めるのに歩調を合わせて繙いてゆきたいと思っている。そのころにはもっとフランス語も読めるようになっているかもしれない! 
 最初の一冊としてお薦めなのが、シムノン研究家として数多くの本を出版してきたミシェル・ルモアヌ氏による作家ガイド[1]。シムノンの生涯を豊富な写真と書影、映画スチールなどで辿る。執筆スケジュールが書き込まれたカレンダーの写真が面白い。歴代メグレ俳優の紹介ページでは、ちゃんと愛川欽也の写真もある。
 [2]は信頼できる著名シムノン研究者複数を解説文の書き手に迎えて、シムノンの著作歴と映画作品を辿る。ヴィジュアル面では書影が数多く紹介されている。
 [3, 4]は面白い切り口の展覧会図録で、シムノンが書いた手紙や小説の下書きに焦点を当てている。人生のおりおりに書かれた肉筆やタイプ原稿が、ページいっぱいの写真で再現されているのである。タイプ原稿には手書きで修正の跡もある。シムノンは書簡や原稿をきちんと保管しておいた人らしく、それらの膨大な遺品はリエージュ大学に保存され、こうして一級の資料となっているのである。
 シムノンは小説をタイプライターで書いていたのか、それとも手書きだったのか? 河出文庫版『モンマルトルのメグレ』の巻末解説で作家の原尞氏が次のように書いている。

 それでもシムノンはパイプの灰を灰皿に落とすと、おもむろにタイプ・ライターのキーを叩き始める……。そして、執筆中の作品が短篇なら数日後に、中篇なら一週間後に、長篇でもおそらく一カ月後には完成することになる。そのタイプ・ライターとパイプ用具だけの仕事部屋で。それがシムノンという作家に抱いている私のもっとも重要なイメージである。

 一方、同じ河出文庫版『メグレたてつく』の巻末解説では評論家の西尾忠久氏がこう書いている。

(前略)原稿はもちろん手書き。罫も印刷されていない大判の紙に米つぶほどの小さな字でびっしりと書くのがシムノン流なのだ。その日に書き上げた初稿を、夜のうちにタイピストがタイプで清書し、翌朝には仕事机の上に載せている(原尞さんは『モンマルトルのメグレ』の解説でシムノンがみずから旧式のタイプ・ライターのキーを機関銃のようにたたいている執筆姿勢をイメージしているが、どうもそうではないようだ。失礼!)。

 結論をいえばどちらも正しい。シムノンはタイプライターで書いていたときもあれば、手書きで書いて清書してもらっていたときもあったようだ(初期はタイプライター、後期は手書きが多かったのではないか)。そしてシムノンがいったい何日で長編を仕上げていたのかも、本書掲載のカレンダーの遺品でわかる。
 [5]はドイツ語版だがシムノンの生涯を詳細な解説文と豊富な写真資料で辿る力作。ひょっとするとシムノンの一般向け作家ガイドならこれが最高峰かもしれない。私は大学時代の第二外国語はドイツ語だったのだが、もちろん読めないので残念ながらページをめくって写真を堪能するのみである。シムノンの多彩な交流相手や家族の写真もたくさん載っている。版元のディオゲネス社はシムノン作品のドイツ語版選集を出している。
「シムノンのアルバム」をタイトルに掲げるのが[6][7]。[6]は最初の妻ティジーとの関係に焦点を当て、息子マルクが生まれる1939年までの家族写真を中心に構成。シムノンは妻といっしょに世界旅行に出たので、アフリカ旅行のスナップショットでは妻も写っており、彼女が撮影したとみられるシムノンのポートレイトも載っているのが新鮮だ。船旅でもカメラを手にしたシムノンの姿があったり、世界一周旅行では甲板で夫婦揃って笑顔で収まっている写真があったりと、他の写真集とは一味違う日常のシムノンの姿が垣間見られる。[6]がプレス・ド・ラ・シテ社の出版なら[7]はガリマール社の企画で、コンパクトだが革製・函入りの贅沢な造り。アルバムというよりは先に紹介した[1]に近い構成の作家ガイドだ。やはり見ていて楽しい。
 [8]の著者はシムノンの資料が寄贈されたリエージュ大学の教授で、文学と映画の関係が専門らしい。そのため本書掲載の写真資料は書影と映画スチールが多い。[9]は他と違った切り口の一冊。パリやノルマンディー、ブルターニュ、ヴァンデ県などシムノンゆかりの地を辿りつつ、シムノン自身の写真ではなく、その地を撮影した他の写真家の写真をあえて取り上げて、各地の空気感に迫ろうとしたものだ。シムノンではない視点のモノクロ写真は、また違った雰囲気がある。シムノンの内面に入り込まないこの構成は、シムノンと同時代のフランスをより客観的に、かつ懐古的に浮かび上がらせる。
 [10]は晩年までシムノン作品の翻訳紹介に精力を傾けた翻訳家・長島良三氏によるシムノンの伝記。パリへ上京するところから戦後までの前半生を扱う。フランス語圏で発表された伝記や関連本が巻末に参考文献として記載されているが、それら先達の仕事を再構成して日本語に書き起こしたものに過ぎないので、長島氏独自の研究はたぶん含まれておらず、資料的価値は低い。創造的な著作とはいえないと思う。先達の間違いをそのまま踏襲してしまっているところもある。だが手軽に日本語でシムノンの人生をなぞることができるという消極的利点はある。[11]は続編だが書籍にはならなかった。

■そして、シムノンのパリ■


そして、シムノンのパリ【写真10】

[1]Georges Simenon, photos Daniel Frasnay, La femme en France, Presses de la Cité, 1959[フランスの女]
[2]Georges Simenon, foto’s Daniel Frasnay, Vrouwen van Frankrijk, A. W. Bruna & Zoon, 1962 [1]のオランダ語版
[3]Michel Lemoine, Paris chez Simenon: bibliothèque Simenon, I, Encrage, 2000[シムノンのいるパリ:シムノン叢書I]II以降は未刊
[4]Michel Carly, Maigret traversées de Paris: les 120 lieux parisiens du commissaire, Omnibus, 2001[メグレ、パリを行く:警視のパリ120ヵ所]
[5]Text by Georges Simenon, drawing by Frederick Franck, Simenon’s Paris, The Dial Press, 1970[シムノンのパリ][米]
[6]長島良三『メグレ警視のパリ フランス推理小説ガイド』読売新聞社、1984*

 そしてシムノンは歳を重ねてからパリを頻繁に描くようになった。いま私たちが持っているシムノンのイメージは、この第三期後期の作品群からおおむね醸成されている。まだ本連載はこの時期まで辿り着いていないが、ここでパリとシムノンの関係を示した書物もいくつか紹介しておこう。私自身、これらの書物はまだちゃんと繙いたわけではない。これからの楽しみに取ってある。
 [1, 2]はパリのさまざまな女性たちの姿を捉えたDaniel Fransnayの写真集にシムノンが序文を寄せたもの。オランダ語版の[2]はディック・ブルーナの父親が経営していた出版社から出ているのが高ポイント。シムノンのエッセイ自体は『わが訓練』に再録されている。
 Daniel Fransnayには戦後パリのショーガールを捉えた『Les Girls: Daniel Fransnay Paris 1952-1979』(Greybull, 2005)という写真集もある。だが[1, 2]の被写体はショーガールだけでなく農婦やお針子、工場職人、シスター、上流階級の老女など多岐にわたっている。
 [3]はフランスの大衆小説に関するマニアックな研究評論書を出しているEncrage社からの一冊。同じ叢書からはジャック・ドゥルワール『ルパンの世界』(水声社、2018)が邦訳で出ている。本書はシムノン作品に登場する地名や街路名を、パリ20区に分けて完全リスト化・引用解説したもので、実のところあまりに細かすぎて私には使いづらい。ただ、ひとついえることがある。シムノンは短期間で小説を適当に書き飛ばしているように見えて、実際は地理的な記述が非常に正確であり、ちゃんと読みながら地図を辿ることができる作家であった。シムノンを読んでいると、たぶんあなたも彼の小説を片手にパリを歩きたくなるのではないだろうか。パリだけでなくラ・ロシェルでもコンカルノーでもそうだが、シムノンはきわめて簡潔な文章でその地の空気感を鮮烈に読者にイメージさせる作家だ。そのためシムノン作品を手にしながら私たち読者はシムノンと同じように旅をしたくなるのである。そして作品で読んだときのイメージは、実際にその地へ行ってもさほど裏切られることがない。これは作家シムノンの大きな特長である。
 メグレシリーズが日本の捕物帖や時代小説としばしば比較されるのは、日本の時代小説作家も古地図を横に置いて江戸を書いてきた伝統があるからではないだろうか。この道を行ってここを曲がればあの建物が見える、といった正確さがシムノンにはあるのだ。すでにメグレ第1作『怪盗レトン』第1回)のころからその特長は確立されている。シムノンを読むとパリへ、そしてフランスへ行きたくなるのはそうしたわけなのである。
 [4]は20区に分けるのではなくもう少し大雑把に「ポン゠ヌフ(新橋)付近」や「モンマルトル付近」などとパリを区分し、写真つきでシムノン作品に描かれたパリを辿る。第三期メグレはこの本をいつも近くに置きながら読んでみたいと思っている。
 河出書房新社の新書版メグレ警視シリーズ全50巻は、表紙見返し部分に物語と関連する場所の地図が描かれているのだが、どれも非常に簡略化された地図なので、パリやフランスに馴染みのない読者にはかえって位置関係がつかめず、わかりづらい。この新書版シリーズには読者プレゼントとして特製のパリの地図がつくられたのだが、残念ながら私は所持していないので詳細はわからない(ウェブオークションで競り落とそうと挑戦したこともあったが、1万円を超えそうになったので諦めてしまった!)。
 ただ、最初はよくわからなくても、何冊かメグレものを読んでゆくうちに誰しも自然とパリの街並みが目に見えてくるようになる。そうしたときに改めて地図を開いてみると、パリの姿が鮮明に浮かび上がってくる。シムノンを読む醍醐味のひとつだ。
 [5]はシムノン作品の抜粋とともに、フレデリック・フランクFrederick Franckによるパリの素描をまとめた一冊。ほとんどは黒インクのペン描きで、ときおり薄墨や単色絵具の塗りが施される。彼は著名な画家・彫刻家だが、正直なところ、この絵の善し悪しは私には判断がつかない。
 そして[6]は翻訳家・長島良三氏によるエッセイ集。タイトルこそ『メグレ警視のパリ』だが副題に「フランス推理小説ガイド」とある通り、シムノンやメグレだけではなく後半にはモーリス・ルブランやカトリーヌ・アルレー、長島氏の訳したミステリー作家アラン・ドムーゾンなども扱う。ただ、やはりいちばんの読みどころは、シムノン作品を手がかりに自らパリを巡って写真を撮影して回る第一部だろう。
 同じ著者による後年の抜け殻のような『世界のすべての女を愛している』より、私は本書の方が格段に好きだ。ちゃんと長島氏自身の肉声が書かれているからである。シムノンを読むとこういうエッセイを書きたくなる気持ちはよくわかるし、同じシムノン愛読者ならばやはりこうした本を愛したくなるからだ。
 この素晴らしい特長がある限り、シムノンはこれからも世界中で細く長く読まれ続けるのではないだろうか。

 かつて映画『仕立て屋の恋』(1989)を撮ったパトリス・ルコント監督が、ダニエル・オートゥイユをメグレ警視役に迎えて『メグレと若い女の死』の映画化を進めているという報道が飛び込んできた(http://www.lefigaro.fr/sortir-paris/2019/03/05/30004-20190305ARTFIG00136-daniel-auteuil-endosse-le-pardessus-de-maigret-sous-l-oeil-de-patrice-leconte.php)。
 来年の公開が楽しみでならない。まだまだシムノンは読まれてゆくことだろう。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。
『石の花』などで知られる漫画家・坂口尚氏の未完コミック作品をリブート、小説化した長篇『紀元ギルシア』が、《WEBコミックトム》にて連載中(http://www.usio.co.jp/read/kigen_greecia/index.html)。
 
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