今回はチャンドラー・ベイカーの Whisper Network （2019） をご紹介します。
ダラスにあるスポーツウェア会社〈トゥルーヴィヴ〉に企業内弁護士として勤める女性３人、スローン、グレイス、アーディはワーキングマザーとしてストレスフルな日々を送っている。
スローンは再婚相手の連れ子である娘が同級生の男子生徒にいやがらせを受けていて気が重たい。産休があけたばかりのグレイスは胸の張りに悩まされ、授乳の二文字が頭から抜けない。離婚して間もないアーディは、息子に寂しい思いをさせまいと奮闘している。
職場に眼を移せば、ガラスの天井に押さえこまれている。しかし、それが世の常だと自分で自分を納得させているのか、与えられた業務を淡々とこなし、家に帰れば、時間に追われるように子どもの世話をしていた。
そんな彼女たちの鬱憤が爆発する出来事が起きる。社のCEOが急死し、そのあとを彼女たちの上司であるエイムズが継ぐことがほぼ決まったのだ。
３人はそれぞれ、エイムズから弄ばれたりレイプされたりした過去があった。しかし、彼女たちは自分の身に起きたことを表沙汰にせず、その事実を胸のうちにしまっていた。ここでエイムズがCEOの座におさまれば、自分たちの立場はいっそう弱くなる。そもそも、人として問題のあるエイムズが昇進すること自体、釈然としない。
そこで、３人のなかで格上のスローンは、知り合いの女性弁護士に連絡をとり、ダラスのワーキングウーマンの間に密かに出まわっている “BADリスト”（The Beware of Asshole Dallas Men List）を入手する。BADリストとは、職場でセクハラをおこなう要注意人物のリスト、いわばダラスの馬鹿男リストである。スローンはそのリストにエイムズの名前をつけ加え、ついで、グレイスとアーディはセクハラを理由に、エイムズと〈トゥルーヴィヴ〉に対して訴訟を起こす。
こうして女性たちが声をあげ始めた矢先、エイムズが真っ昼間にオフィスのバルコニーから転落死する。女性たちに追いこまれて自ら命を絶ったのか、彼を恨む女性、あるいは女性たちに突き落とされたのか、それとも単なる事故なのか？ 警察の捜査の過程で、BADリストの存在が公になり、リストにエイムズの名前を加えたスローンに殺人の容疑がかかる。
著者のチャンドラー・ベイカーはスローンたちと同様、弁護士として企業に籍を置くワーキングマザーです。自分の身近な世界を題材にしているからか、リアリティを感じさせる人間模様が描かれた作品になっています。
その最たるものが、休憩室でかわされる女性たちの会話。家庭や子育ての悩みを語り、職場への不満を漏らし……まあ、性別に関係なく、胸のつっかえを人に話すことでストレスをいくらか発散できるというのはあるのでしょうが、似たような状況に置かれているスローンたちが互いに胸のうちをさらけ出し、一致団結しているかといえばそうでもなく、それぞれが秘密をかかえていたり嘘をついていたり、と微妙な関係にもあります。
また、エイムズに辛い思いをさせられた彼女たちが、社内のほかの女性の身を案じるかといえば、新たにはいってきた若くてきれいな女性社員がエイムズに優しくされるのを見て、心のどこかで嫉妬していたりもします。そういった自分の意志とは関係なく湧いてくる感情も巧みに描かれています。
本書のタイトルになっている whisper network は、いわゆる#MeToo運動によって広まった言葉らしく、女性のあいだでの情報共有のネットワークを示しているそうです。主に、企業内や業界内でセクハラや性的虐待をおこなう男性のリストが非公開でまわされるようですが、これまでにマスコミ業界や学術界のリストなど公開されたものもあります。本書に登場するBADリストが、まさにこれにあたります。知らないところで自分の情報が流されていたり、噂が広まったりするのは情報社会の怖さでもありますが、こういう時代だから、本書のような作品が生まれたのでしょう。こういった点にもリアリティが感じられます。
ベイカーはこれまでヤングアダルト向けのサスペンスを５作上梓していますが、大人向けの小説は本書が初めてになります。自身の経歴や時代をうまく活かした作品を今後も書くのか、アンテナを張っておきたい作家です。
| 高橋知子（たかはしともこ） |
| 翻訳者。訳書にジョン・エルダー・ロビソン『ひとの気持ちが聴こえたら 私のアスペルガー治療記』、ジョン・サンドロリーニ『愛しき女に最後の一杯を』、ジョン・ケンプ『世界シネマ大事典』（共訳）、ロバート・アープ『世界の名言名句1001』（共訳）など。趣味は海外ドラマ鑑賞。お気に入りは『NCIS』と『シカゴ・ファイア』。 |
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