「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

 今回はチャールズ・ボークマン(チャールズ・ベックマンJr)の「ミスター・バンジョー」(1975)という短編についてお話したいと思います。
 ……恐らくはこの文章を読む大半の人がご存知でない作者と作品名でしょう。
 「ミスター・バンジョー」はエドワード・D・ホックが編纂した1976年版の年鑑アンソロジー『風味豊かな犯罪』(1976)に収録されていると言えば、もしかすると「ああ、あの、編者名がホックじゃなくてホウクになっている」と思い当たる人がいるかもしれません。ミステリマガジンの1994年9月号にも再訳されたものが掲載されているようです。
 ボークマンの作品はその他にアイザック・アシモフ編の『ミニ・ミステリ100』(1981)に「同窓会」(1973)というショートショートが収録されています。あとは、日本版のヒッチコックマガジンとマンハントに数編が訳されているのみの作家です。
 本国でも扱いはそう変わりません。
 1945年に処女作を雑誌に売ったあと、50年代を中心に数十編の短編をパルプマガジンに発表したものの、それらは当時短編集としてはまとまらず、長編作品も何冊かあるものの、ほとんどの作品がリプリントさえされていません。
 典型的なパルプ・ライターだったのだと思います。
 ジョン・D・マクドナルドが自身のパルプ時代の作品をまとめた短編集『死のクロスワード・パズル』(1987)の献辞で「パルプ・マガジンからスタートを切り、心ならずも志を果たせなかったかつての同志たちへ」と書いていますが、ボークマンはそんな〈かつての同志〉の一人でしょう。Detective Tales、New Detective Magazine等、同時期に同じ雑誌へ作品も載せています。
 生きるため、夢のために、何でも書いて、作品を売った。
 しかし、その後、ジョン・D・マクドナルドやローレンス・ブロックのように長編を書いて成り上がれはしなかった。60年代から70年代にかけても作品を発表しているものの、ジャック・リッチー、C・B・ギルフォードあたりの他の短編ライターと比べると数は少なく、やがて、発表も途切れてしまった(というより、ハーレクィン・ロマンスや音楽評論など、他ジャンルの本を書くようになったみたいです)。
 チャールズ・ボークマンは、そんな作家です。
 そして、今、僕は彼に猛烈に惹かれています。
 歴史に残る大傑作を書いているというわけでは決してありません。けれど、彼の作品には今なお読んで響く弱い者への思いやりがあり、そうした弱い者だからこそ起こしてしまったり巻き込まれてしまった犯罪を描く物語に、愛おしさを感じてしまうのです。
 「ミスター・バンジョー」はそんなボークマンの特色がよく表れた一作で、恐らくは、彼の最高作の一つです。

   *

 弁護士ロジャー・スペンサーは、生まれ故郷の田舎町ウィテカに数十年ぶりに帰った。刑事弁護の仕事で雇われたからだった。そうでなければ、戻らなかっただろう。彼にとってこの町は過去の象徴だった。どちらかというと、思い出したくないことの方が多かった。
 しかし、通りを歩いたり旧友と再会したりしている内に、彼の中で少年時代の思い出は否応なしに蘇る。
 中でも鮮明に思い出されるのは、銀行前にいつも座ってバンジョーを弾いていた老芸人、通称ミスター・バンジョーにまつわる、ロジャー自身の運命を大きく変えたとある事件のことだった……というのが本編の冒頭部となります。この後、ロジャーが少年時代を回想するという形式で物語は語られていきます。
 まず、描かれるのはロジャー少年とミスター・バンジョーの交流です。
 飲んだくれの父親を持ち、貧しい暮らしを送る、ここから早く抜け出したいと願うロジャー。
 幾つもの土地を旅し、この場所で最期を迎えようとするバンジョー。
 対照的な二人は、町の外れ者という共通点を持ち、それ故に仲を深めます。
 そんな二人の交流は、ある日、唐突に断ち切られます。
 保安官がバンジョーを牢屋へ放り込んだのです。それはバンジョーが何か罪を犯したからではなく、彼が隠し持っていると噂される大金を横取りするためで……この後、物語は展開を早め、幾つかツイストを交えて、収束します。
 本編の美点は大きく分けて、二つあります。
 一つは短編ミステリとしての完成度です。
 パズラーとして作っているわけではないのですが、読者の興味を惹く〈バンジョーをどうやってロジャーは助けるのか?〉〈バンジョーは本当に大金を持っているのか?〉といった謎にキッチリと答えを出し物語をまとめる技巧は職人芸といって良いでしょう。そのために全編にさりげなく伏線を張っているのも素晴らしい。
 そしてもう一つの美点は、短編全体を包む暖かな視点です。
 誰からもろくに目にとめられない老芸人、親からも可愛がられていない貧乏な少年といった顧みられることのない立場の人間の気持ちを拾い上げ、活き活きとした会話や描写に昇華させる手腕は、こちらの心をストレートに揺さぶってきます。
 そして、短編ミステリとしての技巧と全体の雰囲気の暖かさというこの二つの美点は不可分に結びついており、「ミスター・バンジョー」という短編とその作者を一読して忘れがたいものに仕上げているのです。
 『風味豊かな犯罪』にはアイザック・アシモフ「些細な事柄」(1975)、エドワード・D・ホック「レオポルド警部故郷に帰る」(1975)など、巨匠や名手の作品が何編も収められているのですが、それらと比べても引けを取らないと断言できる佳作です。

   *

 ボークマンは晩年かつての作品の書籍化に熱心になったようで、2015年にはパルプ時代に発表したミステリ短編をまとめた短編集Strictly Poison and Other Storiesを出版しています。この本の紹介文にこんな一文があります。「チャールズ・ボークマンが紡ぐのは、惨めな生活から抜け出したいと願う哀しい人々の物語だ。女の尻に敷かれる負け犬、ずる賢い詐欺師、それから苦難の真っ只中の私立探偵…(筆者訳)」
 彼の作風を端的に表した文章だと思います。
 ボークマンの作品では、重要人物のほとんどが社会的に蔑まれていたであろう立場の弱者です。
 そして、彼はそういう人間の視点を拾い上げたり、理解してやろうとするのです。
 たとえば日本版マンハントの1960年11月号掲載の「ドラマは終った」(1953)では人を殺した非行少年の、同じく日本版マンハント1959年5月号で訳出された「挑発」(1953)では覗き魔の心理をそれぞれ拾い上げます。その心理はどちらも決して許されないものなのですが、しかし、それでもボークマンはこちらまで同情させてしまうのです。
 僕はこの作家のそういう視点に暖かさを感じます。
 恐らくはこの先、再評価される機運など望めない作家でしょうし、あえて強く再評価を叫ぼうとも思いません。
 けれど、僕だけは、この作家のことを心の中にずっと留めておきたいと思っています。僕もきっと、彼の作品の登場人物と似たような感情を持っている弱い人間だから。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人三年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby