スウェーデン・ミステリを読むうえでお世話になっているスウェーデン語翻訳者・久山葉子さんのエッセイ『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』は、とてもおもしろくて実用的な本だ。サブタイトルは「移住してわかった子育てに優しい社会の暮らし」。わたしはスウェーデンへの移住を計画しているわけでも、子供を育てているわけでもないが、とても楽しく読ませていただいた。久山さんのニュートラルな視点と率直さがすがすがしく、スウェーデンの文化、社会制度、国民性や生活習慣についての情報が満載なので、スウェーデン・ミステリをさらに楽しむための読みものとしてもお薦めです!
 さて、暑さにへたりながらも堪能した八月の読書日記は、五冊プラス二冊をご紹介。

 

■8月×日
 二〇一五年に六十七歳で亡くなったヘニング・マンケル。『イタリアン・シューズ』はマンケルが五十八歳のときに書いた非ミステリ作品であり、究極のダメ男小説だ。

 たったひとりで離れ小島に暮らす元医師のフレドリックは六十六歳。社会からも人生からも逃げて、今後どう生きるかの結論を先延ばしにしたまま、釣りやパズルや読書や郵便配達人ヤンソンとの世間話で日々をやりすごしていた。ある日、三十七年まえに捨てた恋人のハリエットが突然尋ねてくる。大病を患っているらしい彼女の望みは、いつか森の中の湖に連れていくという、かつて彼がした「正真正銘唯一の美しい約束」を守ってもらうことだった。

 帯の文句は「かつて恋人と交わした、人生で一番美しい約束を果たすため、男は旅に出る」。男目線だとこんなにも美しく表現できるのかとびっくりするが、いや、たしかにそういう話なのだが、女子目線で見ると(いつまで女子でいるつもりだ問題はこの際おいといて)フレドリックはまちがいなくポンコツで、やることなすことすべてが「痛い」気がしてしまう。

 正直、わたしはフレドリックがどうしても好きになれなかった。ひとりで暮らしているぶんにはそれほど嫌な男ではない。犬や猫や郵便配達人が相手のときは、すごくまっとうな人間に見える。だが、それ以外の人と接するときは自分のことしか考えていない。男にありがちな見栄を張ることさえなく、どんなにカッコ悪くてもとにかく保身第一。人の身になって考えることができず、そのくせ被害者意識だけは高い。しかも特技は盗み聞きと盗み見で、それについては罪悪感すらない。だれのことも愛しているようには思えず、おそらく愛しているのは自分だけ。最後にひとりぼっちになっても仕方ないのでは、と思ってしまう。

 でも、ハリエットとの再会や彼女との旅、それに付随する出会いを通して、こんなダメ男でも生きていればこんな美しい時間をすごすことができるのだ、とマンケルはどこまでもやさしい。両親とのエピソードから、フレドリックがどうしてこういう人間になったのかはわからなくもないし、愚かで卑小な人間だからこそ、再生のチャンスを与えているのだろう。居間に蟻塚があったり、毎朝斧で氷を割って極寒の海に浸かるのも、禊や償いの意味があるのかもしれない。どんなに最低な人生でもやりなおしはきく。それを示すための、あえてのダメ男設定なのかもしれない。

 靴というものに象徴的な意味をもたせているのもいい。一流の靴職人に作ってもらったイタリアン・シューズがうれしくて、思わず蟻たちに見せるシーンでは、うっかりフレドリックを「かわいいかも」と思いそうになった。このイタリアン・シューズにふさわしい男に、おれはなる!と思っているのだとしたらね。

 

■8月×日
 オーストリア人作家の作品を読むのは久々かも。といっても、読んだことがあるのはアンドレアス・グルーバーぐらいだろうか。ユーディト・W・タシュラー『国語教師』はドイツ推理作家協会賞(フリードリヒ・グラウザー賞)受賞作。またもや出てきてしまいましたよ、今年のベスト候補が。

 ギムナジウムで国語教師をしているマティルダ・カミンスキ。有名児童文学作家のクサヴァー・ザント。ともに五十四歳のふたりはウィーン大学時代から十六年ものあいだ恋人同士だったが、別れてから十六年後、創作ワークショップのゲスト講師としてクサヴァーがマティルダの職場であるギムナジウムに派遣されることになり、ふたりは十六年ぶりに再会する。

 クサヴァーとマティルダが再会するまえのメールのやりとりでは、クサヴァーのしつこさにうんざりし、マティルダに同情してしまうが、やがて再会したふたりのやりとりや、それぞれが語る物語の応酬がはじまると、あっというまに物語の触手にからめとられる。単なる「男ってさ〜昔つきあってた女とは何年たってもよりを戻せるという根拠のない自信を持ってるよね」という話ではなかったのだ。

 後半になると過去のある出来事をめぐるさまざまな情報が集まりはじめ、がらりと印象が変わる。マティルダとクサヴァー、それぞれが語る真実と虚構、語り直される物語から、読者はいくつかのヒントに気づき、最初からそこにあったのに気づけなかった事実に気づかされる。そこからはもう一気読み。そして、こんなにも深い愛の物語だったのだと気づくのだ。

 ともに強烈すぎる母親の存在に苦しめられたマティルダとクサヴァーには同情してしまう。マティルダがたしかな愛の形をひたすら求めつづけたことも、クサヴァーにとって逃げることが強迫観念のようになっていることも、母親のことがあったからかもしれない。とくに、人としての幸せより家の存続をとり、他家に嫁がず未婚のまま跡継ぎとなる子(クサヴァー)を産んだインゲにはかなり引いた。それだけにクサヴァーのプレッシャーはすごかったはずで、たしかに最低男ではあるけど、情状酌量の余地はありそう。

 メール、シナリオ風のやりとり、ふたりの過去、ふたりが互いに語って聞かせる物語といった、各パートの配し方も絶妙ながら、印象的なのはその物語の力、語りの妙だ。とくに、クサヴァーの祖父リヒャルトの物語が語られ、クサヴァーが自分の人生と重ね合わせていく様子は、ケイト・モートンの諸作品を思わせる。いつしか物語と現実の境目があいまいになり、やがて現実が明らかになっていく。その流れるような展開が絶妙。ミステリとして謎解きを楽しむというより、その流れに身をまかせる感覚を純粋に楽しみたい、すべての物語愛好者に捧げたい傑作だ。

 余談だが、直前に読んだ『イタリアン・シューズ』との類似点(身勝手に恋人を捨てる男、靴職人、赤いハイヒールなど)の多さにびっくりした。わたしはなぜかそういうこと(アトランダムに選んで読む本に類似点が多い)がすごく多いんだけど、みなさんもそんなことあります?

 

■8月×日
 暑い夏は、一作ずつ頭を切り替えてリフレッシュできる短編集がオススメ。短編といえばフェルディナント・フォン・シーラッハ。というわけで、『犯罪』『罪悪』につづくシーラッハの第三短編集『刑罰』を読んだ。相変わらず事実だけが淡々と描写された調書のような文体で、さっと読めてしまうのに、そこに漂う孤独や諦念はあまりにも深い。軽快さと重厚さを同時に味わえるのがシーラッハ作品の特徴だ。前二作のファンは迷わず読むべし。

 法廷シーンは意外と少なく、『刑罰』というタイトルどおり、さまざまな人びとの犯した罪、犯さなかった罪に、法廷や社会がどんな罰を課したかに焦点が当てられている。実際の事件がもとになっているのだと思うと、よけいに犯罪の凄惨さや、人間の心の闇の深さに愕然とする。

「参審員」はせつなかった。DV被害者の妻に自分を重ね合わせて参審員が泣いてしまったため、公判は中断され、それが恐ろしい結果を招くことに。人間的な感情を抑えなければならない司法の非情さ。日本の陪審員もそうなのだろうか……。「奉仕活動」も司法そのものの恐ろしさが印象に残り、戸惑う新米弁護士に共感してしまう。
 落ちぶれた弁護士に一発逆転が訪れる「逆さ」、「青く晴れた日」の母親の静かな怒り、「ダイバー」の妻の複雑な思い、妻を失った孤独が夫を犯罪に走らせる「リュディア」と「隣人」、ダニー・デヴィートで脳内再生される「小男」、「臭い魚」の子供の残酷さ、「湖畔邸」のあざのある男の孤独な一生、読んだあとの爽快感がくせになりそうな「テニス」、男を蝕んだものの正体がせつない「友人」。どれもドラマチックな作品ばかりだ。

 人は愚かで純粋で凶悪でしたたかだ。そこに裁判をめぐるドラマが加わり、今日も小説より奇なる案件が法廷をにぎわせているのだろう。シーラッハの視線は相変わらず鋭く、簡潔さのなかにありとあらゆる感情をひそませる技に、あらためて感服した。
「友人」で友が非業な死をとげたあと、やむにやまれず〝書く〟ことをはじめた〝私〟はシーラッハ自身だろう。彼にとって書くことは、弁護してきた人たちの孤独感と疎外感をすくいあげる作業なのだ。

 

■8月×日
 ジョー・イデの『IQ2』はお待ちかねのシリーズ第二弾。
 前作『IQ』のラストで兄マーカスの死に関わるあるものを発見したアイゼイア。果たして兄の死の真相を明らかにすることはできるのか。気になるところだ。

 兄の恋人だったサリタに、ラスベガスでDJをしているギャンブル狂の妹ジャニーンを窮地から救ってほしいとたのまれたアイゼイア。ずっと好きだったサリタにいいところを見せようと、相棒ドッドソンとともに勇んでベガスに乗りこんだところ、ジャニーンと恋人のベニーを追っていたのは恐ろしげな中国マフィアだった。
 一方、ききこみの結果、マーカスは交通事故死ではなく、ねらわれて轢き殺されたことがわかる。

 暗黒街のホームズと紹介されることが多いアイゼイアだけど、個人的には『池袋ウエストゲートパーク』(祝!アニメ化)のマコトを思い出す。地域密着型のトラブルシューターで、お金にならなくても依頼を引き受けるとか、女子にかっこいいところを見せる自分に酔ったりとか、すごく〈I.W.G.P.〉っぽくない? ということは、ドッドソンはキング? いや、それはちょっとちがうか。でも、マコトがブクロのキングに一目置いているように、アイゼイアもドッドソンをたよりにしているのはたしか。うざいのかそばにいてほしいのか、よくわからないときもあるけど、そういうのを腐れ縁というのだろう。

 そして、もう二十六歳になるのに、思ったとおり恋愛においてはかなり奥手なアイゼイア。思い人のサリタのまえではカッコつけちゃって、まるっきり中学生みたい。とても頭脳明晰な人とは思えません。そのギャップがまたいいんだけどね。それにしてもサリタってそうとうな美人みたいだけど、罪な女だわ。
 そこへいくとドッドソンにはシェリースという恋人がいて、しかももうすぐパパになるというから、恋愛ではだいぶ先を行っている。シェリースいいよなあ。ドッドソン、この幸せ者!
 アイゼイアにも幸せになってほしいので、恋人候補になりそうなグレイスに期待。ピットブルのラフィンがキューピッドになってくれそうだよね。

 時系列が前後しながら進んでいくし、中国マフィアやメキシコ人ギャングやルワンダ出身の投資家などが入り乱れ、とにかく登場人物が多いので、わかりにくいときもあるけど、そこはグルーヴ重視! 流れに身をまかせれば案外すんなりはいってきます。このごちゃごちゃ、わちゃわちゃした感じ、嫌いじゃない。

 どうでもいいけど、アマゾンでは火炎放射器まで売ってるのか……すごい。

 

■8月×日
 実話に基づくスパイ・スリラーとして話題のケイト・クイン『戦場のアリス』。タイトルから、てっきりアリスという女スパイの話なのかと思ったら、そうじゃないんですね。いや、アリスも出てくるたしかにスパイなんだけど、メインとなるキャラは、第一次大戦中のフランスでスパイとして活躍したイヴリン(イヴ)と、第二次大戦後のヨーロッパにいとこをさがしにきたアメリカの女子大生シャーロット(シャーリー)のふたり。原題のThe Alice Networkは、アリス(リリー)を中心とした女性だけのスパイ網のことで、リリーをはじめ何人かは実在の人物だ。

 第二次大戦後の一九四七年、ヨーロッパにやってきた裕福なアメリカ娘シャーリー・セントクレアは、〝予約〟してあるスイスのクリニックに行く代わりに、戦争中にフランスで行方不明になったいとこのローズをさがす冒険に乗り出す。フランスに照会しても埒があかず、ローズがイギリスに移住したか問い合わせたとき対応してくれた女性イヴ・ガードナーのロンドンの住まいを訪ねたところ、エキセントリックなその女性がローズにつながる情報を持っているとわかり、ふたりの女はイヴのなんでも屋であるスコットランド男のフィン・キルゴアとともにフランスへわたることに。お嬢さまの行動力、すごいです。

 イヴは第一次対戦中、戦争に身を投じたくて、スパイとしてフランスに潜入していた。そこで得た仲間との絆、体を張った危険な任務。壮絶なスパイ時代の日々が明らかになるにつれ、今もつづいている彼女の痛みや苦しみが浮き彫りになっていく。対するシャーリーも、深い悲しみと喪失感から自分を失いかけたことがあった。いずれも戦争が残した深い傷だ。五十四歳で元スパイのイヴと、十九歳のお嬢さまシャーリーのあいだに生まれる奇妙な友情や、シャーリーとフィンの意外なロマンスも読みどころのひとつだろう。

 女スパイというと、真っ先に思い浮かぶのはスーザン・イーリア・マクニールのマギー・ホープ・シリーズだろう。当時二十二歳だったイヴは新米スパイ時代のマギーを彷彿させる。マギーは第二次世界大戦、イヴは第一次世界大戦だけどね。シャーリーが数学を専攻していて数字に強いのもマギーに通じるものがある。

 マルグリット、リリー、ヴィオレット。花の名前で呼ばれる女スパイたちは「悪の華」であり、「摘まれて守られる華」ではなく「悪の土に咲き誇る華」というのが、美しくもかっこいい。
 イヴがスパイとして暗躍した過去のパートはもちろんだが、シャーリーとイヴがともに宿願を果たそうとする一九四七年現在のパートまで、どこを取ってもスリル満点、ダイナミックかつ繊細で、一文字たりとも目が離せない。これも今年のベスト候補になりそう。

 

■上記以外では:

 これは七月に読んだ本だけど、ローレンス・ブロック編『短編画廊 絵から生まれた17の物語』はどれもびっくりするほどおもしろかった。エドワード・ホッパーの絵画にインスピレーションを得て生まれた短編のアンソロジーで、ブロック、キング、ディーヴァー、ランズデールなど、参加作家の顔ぶれが超豪華。どれもホッパーの絵のイメージにぴったりなのに、読んだあと作品冒頭の絵のページに戻ると、読むまえとはまったくちがう印象を受けるのが楽しい。ホッパーの絵の思わせぶりな感じは、たしかに想像力を刺激する。

 

 ルシア・ベルリン作品集『掃除婦のための手引き書』には、こんな作家がいたのか!と衝撃を受けた。なんだろう、この心を揺さぶられる感じは。父親の仕事の関係で国内各地や南米を転々としながら成長し、大人になってからもさまざまな仕事をして、その経験を作品に生かしているところは、なんとなくジム・トンプスンを思わせる。表紙写真の梅宮アンナ似の女性がルシア・ベルリンらしい(実はこの写真を見てジャケ買いした)。このルックスに波乱万丈の人生。共鳴しまくりの物語と文章。そして岸本佐知子さん訳ときたらもう決まり。リディア・デイヴィスの熱い紹介文を読むと、そのただものではない感がひしひしと伝わってくる。

 

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、マキナニー〈ママ探偵の事件簿〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はリンゼイ・サンズの〈新ハイランド〉シリーズ第六弾『忘れえぬ夜を抱いて』

お気楽読書日記・バックナンバーはこちら