みなさんこんばんは。第26回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。

 皆様、先月末から公開となったクエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、もうご覧になられましたでしょうか。私は公開初週に見てきたのですが、1969年ハリウッド界隈を美術セットやファッションのみならず、当時の何かが起こりそうな気配の下で気怠げに揺蕩う「最期の時代」の気分、変わりゆくスタジオの空気感といったものまでいかに再現するかの尽力、凄かったですね。レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットという二大映画スター共演で「1969年のあの場所ならばありえる話」を作ろうという現在のハリウッド最高峰の箱庭遊びの楽しさと切なさには、プロットを越えて沁みるものがありました。

 『ワンス~』がほとんど再現実験のように当時のカルチャーを見せてくれたことで改めて感じたのは世界が揺れに揺れていた時期としての「1969年」のイメージの強力さでもありました。人類初の月面着陸、ウッドストック、ストーンウォールの反乱。世界的に学生運動が広がり、『明日に向かって撃て!』『イージーライダー』『真夜中のカーボーイ』が公開されたカウンターカルチャーの象徴的な年。この時代の「何が起きてもおかしくない、むしろ何も起きないほうがおかしい」感覚はフィクションの作り手の想像力を思いっきり掻き立てるものなんでしょうな……

 なんてことを考えながら見ていて、そういえば同じく1969年設定を「ミステリ」に貢献させたなかなか良い映画があったな、と思い出しました。というわけで今月ご紹介するのはドリュー・ゴダード監督のクライム・コメディ・ドラマ『ホテル・エルロワイヤル』。ジェフ・ブリッジスにジョン・ハム、ダコタ・ジョンソンにクリス・ヘムズワースと結構な豪華キャストで結構な面白さなのですが、またも劇場未公開でソフト発売された作品です(このコーナー、もはや劇場未公開映画紹介コラムになっていますね……)。

■『ホテル・エルロワイヤル』(Bad Times at the El Royale)■


あらすじ:ここは寂れたホテル「エル・ロワイヤル」。カリフォルニア州とネバダ州の州境をまたいだ場所に立っている。かつては大物も訪れ華やかな日々もあった場所だが、今はホテルマンも若造たった一人きり。さて1969年某日のこと、珍しくこのホテルに次々と客が訪れる。どうやら彼らにはそれぞれこのホテルで為すべきことがあるようだ。過去や秘密を抱えたワケアリの男女の人生は一夜のうちに交錯し、やがて予想もつかない事態が訪れる……

 まずこれ、監督・脚本が『キャビン』『オデッセイ』でもお馴染み、構成力に長けた脚本家ドリュー・ゴダードだけあって、とにかく「どういうこと…?」「そういうことか…」の数がやたらと多く、その一つひとつが妙に丹念なのが特色。一事が万事に丁寧な「物事には理由がある」をやっていて、コメディという以上に条理と手順でできているきっちりしたミステリ映画として仕上げられています。

 その「前振りを全部回収してまわる生真面目な脚本」ゆえに140分を超える尺になっているのは欠点といえなくもない……のですがこの映画の場合はそれも悪くない印象。私はもともと100分程度のコンパクトな犯罪劇が好きなので、序盤の設定説明ともいうべきパートの時間のかけ方には多少過剰さを感じていたのですが、中盤から話が大きくうねり始めてからは「なるほど全部に意味がある……!」とグイグイ引き込まれていきました。今作、時代設定としてそれとなく映されていたように見えたものに「意味」を付与していく手つきがなかなか鮮やかなのです。一人ひとりの話としてドラマでやっても成立する話なのですが、映画のフォーマットである意義は十分に感じられるのも嬉しい部分。一話ずつ分けるとこの「うねり」は出てこないはず。

 さらには単なる謎解きにとどまらないノワール性も兼ね備えているのが素晴らしい。境界線にあるホテル(これも「1969年」が持つ意味と重なっているのかもしれません)に集結したワケアリの人間たちの過去と現在の設定自体がそもそも複雑で、そこに二重にも三重にも「ややこしいことになった……」が積み重なっていく展開の中には当然(当然?)「人死に」もあるのですが、そこにはコメディと呼ぶにはしんどい重苦しさ、横たわる無常観がある。終盤で判明していく要素の「1969年性」にもハッとさせられます。さらには意外にも「女性映画」の要素もあり、エピローグではしんみりした気持ちと高揚感が入り交じる。「ああ面白かった」と一気読みした本を閉じるときのような幸福感を覚えました。

 俳優陣はみんな「適材適所の極み」といった感じなのですが、ひたすらシャツをはだけて厚い胸板をさらし邪悪に明るい笑顔を振りまくクリス・ヘムズワースが出色(どんなキャラクターかはご覧になってのお楽しみ)。余談ですが、最近つくづくこの人はブラピ仕事(訳:15~20年前だったらブラッド・ピットがファーストチョイスにあがりそうな役)で良い塩梅を見せてくれているなあと個人的に思っており、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でのHushに乗せてブラッド・ピットが車を走らせるシーンには、今作でのクリス・ヘムズワースが同曲でゆらゆら踊っているシーンを思い出してクスッとしてしまったのでした。


■よろしければ、こちらも/『クォーリー』(Quarry)

(https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07992ZQ4Q)

 あまりの地味さゆえかシーズン1で打ち切りになってしまったドラマなのですが、1969年の少し後、1972年のメンフィスを舞台にした『クォーリー』(スターチャンネル放映時は『クォーリーと呼ばれた男』、現在はAmazon Prime Videoで見られます)も「時代の空気感」を掬い取った良作。原作はマックス・アラン・コリンズ。戦地からようやく地元に戻ってきた主人公、しかしベトナムで虐殺に関わっていたとされる男への周囲の視線は冷たく針の筵状態、愛する妻との関係もぎくしゃく、仕事にもあぶれてしまう。やがて〈ブローカー〉を名乗る謎の男から依頼を受け、嫌がりながらも結局殺し屋にならざるをえなくなっていく……という物語に当時のカルチャーがごそっと盛り込まれた質の高い南部ノワールになっています。私はノワールを「彼岸に渡りて戻る道なし」の話だと定義づけているので、こういう「あらかじめ居場所がなくなっている男がさらに決定的に退路を断たれてしまう」話(ここからは行き着くとこまで行くよりない)が大好きでして……
 特筆すべきはそのギスギスした、やさぐれてひび割れた情感でしょうか。採石場(クォーリー)、プール、レコード、モーテルのライトや淀んだ河、廃屋やさびれた遊園地、奇妙なパーティ。唐突な銃撃戦と唐突な死傷、死体損壊。物語もさることながら、映っているもの全てに何かが決定的に壊れて病んでしまった世界の混沌の気配があり、音楽の使い方や主人公のローガン・マーシャル=グリーンの美男子でありつつも「すがれてしょぼくれた、負けが込んだ人」の気配も素晴らしい。Netflixオリジナルシリーズ『マインドハンター』のシーズン2と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で連続してチャールズ・マンソンを演じたことで話題を呼んだデイモン・ヘリマンのキャラクターにもご注目を。

 20世紀後半の特定の時代を舞台にした作品を見たとき、自分が生まれるより昔のことであっても、そこに描かれるものに胸が苦しくなるような懐かしさを覚えてしまうことが時折あります。それは何度もTVやインターネットで見たアイコニックな表象が自分のなかに擬似記憶として存在するからなのか、「あの頃」の再現自体に何か切ないものを感じてしまうからなのか。技術の発展もあり、いろんな時代が完全再現される作品は今後も増えていくと思いますが、60年代後半~70年代前半設定は特にその「世界の青春時代」性において、今後もクリエイターを大いに刺激し続けるのかもしれないなあ……なんてことを考えながら、それでは、今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

■Trailer: Quarry Season 1 | Cinemax

■Netflixオリジナルシリーズ『マインドハンター』予告篇

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。


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