『八百万の死にざま』 

ローレンス・ブロック

 翻訳を始めて30年余、アマゾンで調べたら、9月15日現在で拙訳202冊。もっとも、これには2冊の著作と文庫化本、上下本も含まれるから、実質は140〜150作といったところだろうか。それでも、われながら大した数字である。ま、数字だけは。

 月並みにして当然のことながら、その一冊一冊にそれぞれの思い出と何かしらの感慨がある。が、イチ押しということになると、やはりこの一冊を挙げたい。

 その後文庫化されたが、ポケミスでの刊行は1984年。いわゆる日本ではネオ・ハードボイルドと呼ばれ、意匠を凝らした探偵諸氏が数多輩出し、翻訳ミステリー・シーンだけにとどまらず、日本のミステリー界も賑やかした頃のことだ。今から四半世紀まえ。ハードボイルドと謳うと営業的にはむしろマイナスなどとも囁かれる昨今、まさに隔世の感がある。

 当時、私は34歳、初訳書が出て五年ほど経っていたが、まだ都立高校の教員をしていた。で、何かの席で、本書を読まれた評論家の郷原宏さんに、早稲田の英文科卒で教師にしてはいい仕事をしていると言われたのが、無性に嬉しかったのを覚えている。この世界のなにやら通過儀礼をようやく受けたような気がしたのだ。聞きようによっては揶揄とも取れることばながら、私としては最上級のお世辞を言われた気分だった。

 また、本書の印象的なラストシーンを訳しているときには、自分が訳者なのか、作者なのか、読者なのか、はたまた主人公なのか、判然としなくなるほどの強い思いが胸に渦巻き、書きながら目頭が熱くなったのを今でも覚えている。そうした訳者冥利のひとつを初めて味わわせてくれたのも本書だった。

 訳者のそんな個人的な思いから離れ、客観的に見ても本書はやはり名作だろう。取り立ててプロットが巧みなわけではない。また、ジェフリー・ディーヴァーのようなサーヴィス精神旺盛なエンターテインメントでもない。むしろぶっきらぼうな作品だ。しかし、読ませる。語りの妙で、読者をぐいぐい物語世界に引き込む力がある。加えて、マット・スカダーという陰影に富む探偵のキャラクター造形。アルコール依存という宿痾こそ抱えているものの、スカダーはいたって普通の人である。誰にもない特殊技能を持つわけでも、並はずれた推理力を持つわけでもなんでもない。スーパーヒーローとはかけ離れた探偵だ。こうした普通の人をここまで魅力的に見せる作家ブロックの技と芸には、ただただ脱帽というほかはない。

 久しぶりにページを開き、ざっと眼を通したら、作品に流れている時間がいかにもゆったりとして感じられた。もしかしたら、それはそのまま流れる時間の速さの80年代と現代とのちがいなのかもしれない。扱われているのは凄惨な売春婦連続殺人事件である。が、二十五年の歳月を経て、さらに加速度を増した二十一世紀の時間の流れの中では、むしろゆったりと、のどかに愉しめる作品に醸成されたのだろうか。そのあたり、新たな読者に訊いてみたい気がする。

 というわけで、是非ご一読のほどを。

 田口俊樹