増殖する本について想うこと、あるいは老化現象に関する嘆き

 翻訳編集者の皆さん、本はどうしていらっしゃいますか? ひたすら増える蔵書のことです。ふと気がついたのです。翻訳ものの編集者は、普通の編集者より本の増えるスピードがはやいのだと……。

 原書です、原書。翻訳ものなのですから、どうしたって原書が要ります。つまり、国内の著者の本を作る編集者の場合より、必ず一冊ずつ多いではないですか。

 原書は、エージェントを通して取り寄せたり、送られてくるものを検討したり、というのがもちろん基本ですが、そこにネット書店というあの悪魔の回し者が参戦してきたからもういけません。社用として買うだけでは満足できず、ちょっと気になると自分で買ってしまう。

 Amazon. jp、 Amazon. com、Amazon.uk、 Amazon. fr、Amazon. de(alapage. com なんてところもありますが)……。ひとたびサイトに飛んでチェックしはじめたら最後、クリック、クリック、クリック〜!! カード破産ってこういう感じでいってしまうのかな、と時々ぼーっと考えます。

 かつては丸善、イエナ、ビブロス、イタリア書房、フランス図書、欧明社といった洋書屋に足を運ぶのが楽しみでしたが、いまやすっかりAmazon の子。

 昔は小さな洋書屋に行くと、取り寄せた人の名前が付けられて、店の奥に本が積まれていました。そこで「ああ、渋澤龍彦さんがあんな本を取り寄せている」というふうに、文学者同士が探り合ったものだとコクトー研究家の曽根元吉さんから伺ったことがあります。お互いに行きつけの洋書屋を教えないようにして、ネタ本がばれないようにしたり……とも。そんなことも今や、遠い日の物語。

 毎日のように、いつ頼んだのだったかしらという荷物がネット書店から届き、梱包をあけて「おお、来た来た」と喜ぶのはいいのですが、「がぁっ、これ持ってる!」という事態がたまに、というより時々出来するのです。劇症クリック発作の地獄に堕ちたときに(この発作は前後の脈絡なく始まる恐ろしいものなのですが)、すでに買っていたのを忘れ、同じものを注文してしまったり、以前カートに入れていたのを忘れて1-clickで頼んでしまったり、実に頻繁に起こるのです。ううぅむ、単なる老化による記憶力の低下? そうなると自宅と会社両方に置いて楽しむ(悔しがる)しかない、「ぐやじい」とショージくん風に涙を流すばかりです。

 気になったものは、エージェントにリクエストすればいいのですが、年齢とともにせっかちになりつつあるのか、気が急いて、見たとたんにクリックしてしまうのですよね。Amazon の罠にはまっているとしか思えません。恐ろしいので、ネット書店用の口座を作って、カードもそれに使うだけのものを持って、普通の口座とはまったく別立てにしています。

 という具合で、尋常でなく本が増える。子供の頃から「あなたの部屋は魔窟だ!」と母親に言われてきましたが、今頃になって、まさにその言葉を実感しています。「魔窟」発言の母にはその後、「あなたの本がアメーバのように増殖して、家中を侵食している」とも言われましたっけ。これは言い得て妙。ドアの下の隙間からダリの時計のように本がずるりと出てくる感じがして、ちょっとゾクッとします。

 そんな私の会社のデスクまわりは、ミニ魔窟。たった今使っていた鉛筆が消えるなんていうのは日常茶飯事。昨日使っていた原書がない! ないないないっ! 本当になくなるのです。誰かが盗ったに違いない……って(そんなことあるわけない!)、これは完全に老耄以外の何ものでもないですね。そしてまたその探していた原書は、実は目の前にあったりして。失くし物まで、『盗まれた手紙』パターンとは偉い、と感心するのは自分のみ。

 でも、こういう経験、編集者ならありますよね? 

 探し回ること十数分あるいは数十分。毎日こうして時間を無駄にしているのですから情けないといえば情けないことです。

『殺人者は21番地に住』み、翻訳編集者は魔窟に住む。魔窟だなんてとんでもない? それはあなたが翻訳編集者としてはまだまだヒヨコだということです。ふっふっふ。

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