『ビューティ・キラー2 犠牲』チェルシー・ケイン/高橋恭美子訳(ヴィレッジブックス)

 オーケイ、では諸君にミズ・グレッチェン・ローウェルをご紹介しよう。

 ブロンドにブルー・アイズ。瑕ひとつなく完璧に整った美貌と卓抜な知性をそなえた34歳のクール・ビューティ。ただ問題がひとつある。彼女は《ビューティ・キラー》と呼ばれる連続殺人鬼なのだ。彼女は犠牲者たちを拉致し、監禁し、拷問し、解剖し、殺す。愉しみながら。

 鬼畜にも劣る殺人鬼。だが天使のように美しく、夢魔のように蠱惑的だ。

 現在まで2作が刊行されているチェルシー・ケインの《ビューティ・キラー》シリーズ。これはなかなか強烈な作品傑作なのだ。読む者の脳と腰椎にガツンと衝撃をかます致死性の媚薬のような小説。スルーしていたひとはすぐ書店に走ったほうがいい。

 シリーズの主人公は中年の刑事アーチー。連続殺人鬼《ビューティ・キラー》を追っていた彼は、捜査協力者として接近してきた真犯人グレッチェンに監禁され、数日間にわたって拷問のかぎりを受けた。やがてグレッチェン逮捕とともに瀕死状態で救出されたアーチーが現場に復帰、連続絞殺事件を追うのが第1作『ビューティ・キラー1 獲物』、新たな大量殺人と政界のスキャンダル、そしてグレッチェン脱走と立て続く大事件に翻弄されるのが第2作『ビューティ・キラー2 犠牲』である。

 どこがどう具体的にすごいのか。

 まずもってグレッチェンの魅力。これだけで本シリーズはサイコ・サスペンスの歴史に名を刻むに足る。美貌と知性とサディズムを一身に体現した美しき悪鬼。トマス・ハリスが生んだハンニバル・レクター教授(『羊たちの沈黙』ほか)と、ウィリアム・ディールの美青年エアロン(『真実の行方』ほか)の両巨頭と肩を並べる、「第三のシリアルキリング・ヒーロー」の称号を与えられるべきカリスマ性がグレッチェンにはある。

 そしてアーチーとグレッチェンの壮絶な関係。サイコ・キラーに監禁され、拷問を受けた(食道を薬品で焼かれ、脾臓は切除!)刑事、という設定だけでも相当のものだが、じつはアーチー、拷問の果てに一回「殺されている」のである。そのあとでグレッチェンがアーチーを蘇生させたわけだが、つまりこれはコントロールされた加虐、究極のSMプレイなわけである。グレッチェンにとってアーチーへの拷問は愛の営みであり、彼女はアーチーに恋している。そして捜査の一環と称して拘禁されているグレッチェンとの面会に通うアーチーも、彼女に惚れているのだ。

 ここまでねじれて倒錯した刑事VSサイコ・キラーの関係性などかつてなかった。自己破壊衝動とリビドーが手に手をとって螺旋を描いて堕ちてゆくような背徳感。強いて近いものを挙げればジェイムズ・エルロイの『血まみれの月』になるか。もちろん、ギリギリ軋るようなエルロイの悽愴感はないが、ここにはエルロイにはないものがある——

 エロティシズムだ。それが血臭を漂わせながら濃厚に香る。凄惨なんだよ? でも同時にめちゃくちゃエロいのだ。監禁と拷問と言うとSM鬼畜ポルノかと思いそうになるが、ここにあるのは双方合意のもとの交歓としてのエロティシズムだ。そして、その愛の行為は即、残虐な犯罪を構成する。

 そう、その意味で、これは扇情力抜群でむちゃくちゃインモラルな「ロマンティック・サスペンス」だと言っていい。

 同時に人間の破滅衝動を正面から描いたノワールの要素を持ち、マイクル・コナリーあたりを思わせる巧んだプロットのサスペンスでもあり、グレッチェンとアーチー、アーチーと妻という三角関係を描く大人向けの恋愛小説であり、アーチーに思いを寄せる若き新聞記者スーザンを軸にすれば、オヤジ萌えの恋愛小説としても読める。

 しかも、これだけエクストリームな要素満載の物語であるくせに、脇役が適度なユーモアをもたらしてくれるせいで、見事にエンタメの枠に収まっているんである。驚くほど気分よく読めちゃうのだ。なんたる力技。

 さあどうです。かなり無敵なエンタメである気がしてきたぞ。変態だけど。

 ということで、ロマンティック・サスペンス風の装幀ゆえにスルーしていたミステリ・ファンは即座に読むように。これはあなたにも充分イケる小説です。いちおう言っとくけど、スーザンの屈折した恋心なんかは続けて読んだほうがグッとくるんで、第1作と第2作を順番で両方読むのが必須な。

 何、文庫本2冊だから一回飲み会を我慢すればおつりがくるって。是非。

 霜月蒼