※編集部より※

「翻訳ミステリー大賞シンジケート」では、新刊だけではなく、過去に刊行された名作の紹介も積極的に行っていきます。その一環として、現在では品切になっているなどして手にはいりにくくなった文庫の解説を再録します。新刊ではないので手に取りにくい作品もありますが、古書店などで探してみてください。

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 クレイグ・ト−マス『狼殺し』を翻訳冒険小説ベスト9の四番バッタ−に選んだのは、1979年のことだ。ベスト10ではなく、その年翻訳された冒険小説の中から、野球にみたたて毎年ベスト9を選ぶというお遊びをしていた頃のことで、要するにト−マス『狼殺し』をその年の冒険小説における最強打者に選んだわけである。しかも当時『鷲は舞い降りた』以降続々と翻訳書が刊行され、日本でも評価を高めていたジャック・ヒギンズを抑えて堂々の四番。相手が弱かったわけではない。おまけにト−マスはその時点では第2長編『ファイアフォックス』と第3長編『狼殺し』しか翻訳されていないというのに無謀にも「ヒギンズよりもト−マスが上」とまで書いてしまった。

 その場の思いつきをすぐ書く悪い癖があるので、いつもあとで後悔するが、これも例外ではない。なぜなら翌年、デイヴィッド・グランド名義の『モスクワ5000』、さらに同年、第4長編『モスクワを占領せよ』、そして第5長編『レパ−ドを取り戻せ』、第6長編『ジェイド・タイガ−の影』、処女作『ラップ・トラップ』と、翻訳された五冊がことごとく期待を裏切ったからだ。『ファイアフォックス』の続編である第7長編『ファイアフォックス・ダウン』こそ期待通りだったものの、これでは私の立場がない。勝手に思いつきを書くからいけないんだけど。

 なぜ期待が裏切られたか、については以前書いたが繰り返す。それは複数の主人公を登場させることで、冒険者の視点が分断されたからだ。『ラップ・トラップ』と『モスクワ5000』はヒ−ロ−不在のスパイ・スリラ−なので例外だが、たとえば『モスクワを占領せよ』では主人公のアラン・フォ−リ−が捕まるとKGBのワロンツォフ少佐の冒険行になるし、『レパ−ドを取り戻せ』ではパトリック・ハイドとイ−サン・クラ−クが別々の闘いを始めてしまう。さらに『ジェイド・タイガ−の影』もデヴィッド・リュウとハイドの複数活劇行だ。こういうふうに冒険者の視点が分断されるので、ヒ−ロ−小説としては物語の昂揚がそがれてしまう。単独の主人公が前に前に進んでいく冒険小説なら、読者は主人公と一体になって物語の中に入っていくことが可能だが、こういう複数の視点を持つ冒険活劇の場合はその感情移入が最初から拒否されるのである。これでは冒険小説ではなく、他のなにものかだ。『ファイアフォックス』とその続編、さらに『狼殺し』が傑出していたのは、単独の行動者を設定することで、そういう弊害を免れていたからだ。

 ただ誤解されるかもしれないので付け加えるが、その間のト−マス作品がつまらないわけではない。スパイ・スリラ−の二作を除くと、どれも圧倒的に面白い。人物造型はいつも唸るほどあざやかだし、アクション・シ−ンも群を抜いている。ト−マスはそういうディテ−ルがうまい。マクリ−ンよりもヒギンズよりもうまいと言っていい。さらにプロットの展開がいいので、全編を緊迫感が貫いている。では文句など言うなよ。

(つづく)