『悪意の森』上下巻(In the Woods)

タナ・フレンチ(Tana French)著/安藤由紀子訳

集英社文庫

発売日: 2009.9.25

 あけましておめでとうございます。2010年が翻訳ミステリー関係者の皆さまにとって極上の一年となりますように♪

 この『悪意の森』はアイルランドの新人タナ・フレンチのデビュー作で、エドガー賞、アンソニー賞などいくつもの新人賞に輝いたラッキーな?長編?です。半端でなく長い。新人作家の作品翻訳の依頼をいただく際、いつも最初に気にかかるのが著者近影です。タナ・フレンチの場合、ひと目でビビッときました。ショートカットで、とんがってて、鋭そうで、じつにキュート。『ローズマリーの赤ちゃん』のころのミア・ファローをパンク仕立てにした感じとでもいいましょうか。なんともコワカワイイ。しかもトリニティー・カレッジ卒、元女優という経歴の持ち主。ちなみに、タナ・フレンチの前に出会った新人はアリスン・ブレナンで、彼女の場合はドスコイ系な印象が少々重たかったような記憶が。とはいえ、『ザ・プレイ』『ザ・ハント』『ザ・キル』の元FBIアカデミー3部作(集英社文庫刊)はきわめて軽やかなフットワークで疾走するスリリングかつロマンチックなサスペンス、近影の印象をみごと払拭してくれました。

 タナ・フレンチに『悪意の森』の発想をもたらしたのは森でした。あるとき車でダブリン郊外の森を通りかかり、もしも3人の子どもが森に入っていき、1人だけしか戻ってこなかったとしたら、その出来事はその子の一生にどんな影響をおよぼすだろうかとふと考えたとか。そして完成した本書は、その状況から生還した1人であるロブが20年後に刑事になっていて、同じ森で少女の死体が発見された事件の捜査を相棒の女性刑事キャシーとともに担当するという展開です。殺されたのはバレエに打ちこんでいた12歳の少女。ロイヤルバレエ学校のテストに合格し、全国紙にも記事が載って脚光を浴び、まもなくロンドンへ発とうとしていた矢先のことでした。少女の家庭にただようどこかちぐはぐな空気。20年前の事件との関連は? 20年ぶりに森を前にしてトラウマが顕在化してくるロブの一人称で捜査の顛末と心理が語られ、草食系男子の代表格といってもいい彼の蹉跌が痛いストーリーながら、相棒キャシーとの息の合った掛け合いは絶妙できらきらしています。親友? 相棒と恋人のあいだ? だからこそすべてが終わったあとの……

 ひと目でビビッのタナ・フレンチは、森の原始性・神秘性、遺跡発掘現場、高速道路予定地をめぐる人びとの思惑などを背景に、誰もがまぶしく振り返る十代の夏の思い出をからめつつ、見かけどおりの鋭さで人間を洞察しています。人間の掘り下げが深い、ディテールがそそってくる、この2点に関してタナ・フレンチはほんとに読ませます。とりわけ真犯人の怖さはちょっとないほど。そのモンスターレベルの怖さを皆さまにぜひとも知っていただきたく、自薦イチ押しに本作を選んだしだいです。なお、第2作『The Likeness』も今年中に刊行予定で、こちらは本作でただならぬ存在感を示した相棒刑事、キャシーの一人称形式で物語が進みます。このキャシー、訳者の読みでは著者が自身をかなり投影させていそうです。『悪意の森』とタナ・フレンチ、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 安藤由紀子