ラグビーのワールドカップが大詰めを迎え、サッカーのJ1では熾烈な首位争いが繰りひろげられ(ええ、浦和レッズは蚊帳の外というか残留争いに巻きこまれておりますが、そこは突っこまないでください)、J2初挑戦のFC琉球が残留に向けて大きく前進し、とスポーツの世界では目の離せない状況がつづいていますが、それとはべつにミステリファンとして注目しているイベントがあります。そう、ミステリの世界大会、バウチャーコンです。作家や書評家など、業界の関係者だけでなく、一般のファンが一堂に会すこのイベントでは、数多くのパネルディスカッション、インタビューやサイン会、作家を囲んでの昼食会のほか、アンソニー賞、バリー賞、マカヴィティ賞などの授賞式がおこなわれ、一度は参加してみたいとお考えの方も多いのではないでしょうか。第50回となる今年はテキサス州のダラスにて、現地時間の10月31日~11月3日にかけておこなわれます。
 今月ご紹介するハワード・マイケル・グールドのデビュー作 “LAST LOOKS” (2018)は、そのバウチャーコンの期間中に授賞式がおこなわれる賞のひとつ、シェイマス賞の新人賞候補作です。

 ロサンゼルス警察の花形刑事だったチャーリー・ウォルドは、三年前、誤認逮捕をきっかけに退職し、現在は山奥の小さな家でひっそりと暮らしています。持ち物を100個に限定するというミニマリスト精神をつらぬき、食べ物は自給自足、水は雨水をため、トイレはコンポスト式、車は持たず自転車で移動することで二酸化炭素排出量をできるかぎり抑えた生活を送っています。
 そんな彼のもとを、かつての恋人で私立探偵のロリーナが訪れ、調査の仕事を仲介します。人気テレビドラマの主演俳優アラステア・ピンチの妻が自宅で殺され、その容疑をかけられているテレビ俳優の無実を晴らすために働いてもらえないかというのです。生活を乱されるのを嫌い、金も必要としていないウォルドははねつけます。そもそも彼は私立探偵の免許を持っていないのです。それなのに、どうしたわけか、依頼を引き受けるなという荒っぽい脅しをしてくる者が現われ、自分がピンチ側の調査員として雇われたと大々的に報道されていることを知るのです。ウォルドはきっぱり断るため、自転車で山をおり、バスでハリウッドに出向くのですが、けっきょく依頼を引き受けるはめに。
 殺害現場となった自宅は中から鍵がかかっていたため、ピンチの容疑は濃厚です。かっとなるとすぐに暴力をふるう性格も不利な状況に拍車をかけます。ウォルドは無駄な努力となかば思いつつも地道に話を聞いてまわるのですが、ロリーナと連絡が取れなくなったり、そのロリーナから預かっているものを寄こせと脅してくる者がいたり、さらには彼の行く先で死体が見つかったりと、問題が降りかかります。

 とまあ、まさに私立探偵小説の王道という展開で、それだけでも充分楽しめるのですが、この小説のいちばんの魅力は、主人公ウォルドのキャラクターにあります。前述したように、彼は過去3年間、シンプルライフを実践するミニマリストとして生活してきています。それは、調査のためにロサンゼルスに出てきても変わりません。移動手段は基本的に愛用の折りたたみ自転車と公共交通機関のみ。また、持ち物は100個までというルールも徹底していて、護身のため、どうしても拳銃を手に入れることになったときなど、拳銃と引き替えになにを手放そうかとしばらく考えた末、財布を手放すのです。すぐに弾も必要と気づき、今度ははいていた靴下を手放すことに。靴下は2足しか持っていないにもかかわらず、です。
 最初、ウォルドの頑固なまでのミニマリズムが滑稽に思えていたのですが、単なる主義とはちがうというのが物語の途中でわかってきます。警察を辞めるきっかけとなった誤認逮捕が、ウォルドの生き方を大きく変えたのです。誤認逮捕された男性は長期の刑に服し、無罪とわかって釈放される寸前に刑務所内で命を落とします。ものをできるだけ持たないのは、他人の人生を壊してしまった自分自身への戒めなのです。

 すでにシリーズ第2作めとなる  “BELOW THE LINE” も刊行されています。こちらは、教師殺害の容疑をかけられた10代の少女が依頼人だそう。なんでも、この少女、息をするようにうそをつくそうで、ウォルドとどんなやりとりを繰りひろげるのか、楽しみです。もちろん、シェイマス賞の結果も。

 著者のハワード・マイケル・グールドは広告業界出身で、世界的な広告の賞であるクリオ賞を3度受賞。その後、エンターテインメント業界に進出し、脚本家やプロデューサーとして数多くのテレビドラマや映画を手がけています。そして、なんと、このデビュー作も本人の脚本で映画化されるとのこと。ウォルド役は『パシフィック・リム』で主役を演じたチャーリー・ハナム、ピンチ役は最近は監督としても活躍しているメル・ギブソン。すでに撮影は終了し、2020年公開予定だそうです。日本でもぜひ公開してほしいですね。

東野さやか(ひがしの さやか)
翻訳業。最新訳書はローラ・チャイルズ『気むずかし屋にはクッキーを』(コージーブックス)。その他、ジョン・ハート『終わりなき道』、ダーシー・ベル『ささやかな頼み』、ニック・ピゾラット『逃亡のガルヴェストン』など。埼玉読書会および沖縄読書会世話人。ツイッターアカウントは @andrea2121

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