好評の三津田信三さんインタビュー、第五回をお届けします。三津田信三さんを知る人なら、誰もがうずうずと気になっていたのではないでしょうか。お待たせしました、今回はまず、三津田さんが愛するホラー・ムービーの話題からお届けします。

(承前)

——前回、ちょっとクズ・ホラーの話題が出ました。三津田さんを語る上でホラー・ムービーのことは欠かせないと思いますので、ちょっとお聞きしたいと思います。率直にいって、クズ・ホラーのどこがおもしろいんでしょうか? 少し直球すぎる質問ですか?(笑)

三津田 うーん、クズ・ホラー映画にもピンからキリまでありまして。みんなキリだろうと言われそうですが(笑)。脚本や演出が酷いという以前に、「お前ら映画作りは素人以下だろ」と呆れるような作品が、本当にゴロゴロしてますからねぇ。他ジャンルの映画で、そこまで酷いものは、おそらく滅多にないのではないかと……。

——なんでまた、そういうカオスな事態になってしまっているんでしょうか。ホラー・ファンがそれだけ多いということですか?

三津田 最大の原因は、ホラーは低予算でも作れるうえに、当たれば大きな市場だからです。なんせジョージ・ロメロやトビー・フーパーやサム・ライミといった先例があるうえ、新しいところでも「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「パラノーマル・アクティビティ」が成功している。

——なるほど。ホームビデオ一台でも大丈夫、自分でも撮れてしまうのではないか、と思い込む人が出やすい環境にあるわけですね。

三津田 もちろん、こういった作品はお金がない分、監督やスタッフが創意工夫しているからこそ、面白い映画になっているんです。ところが、そんな簡単なことも理解できない、才能の欠片もないアホウどもが、まぁ次から次へとホラーを撮るものだから、この世はクズ・ホラーであふれていますよ。それをチェックする身になって欲しい……って、別に観なければいいんですけど(笑)。

——そうですよ。なんで観るんですか(笑)。できれば実例を挙げて、どういう風にホラー映画にはまっていらっしゃるのかを教えていただきたいのですが。

三津田 観る理由は、たったひとつしかありません。クズの中に埋もれてしまった作品で、たま〜に傑作を見つけるからです。よほどのマニアでない限り知らない作品ですね。これを一度でも経験すると、もうやめられなくなります。けど、ここではクズ・ホラーの紹介を(笑)。

——どきどき(笑)。

三津田 「ドライブイン殺人事件」(76/アメリカ)は、最初にドライブインシアターでカップルが殺される。この殺害方法が首の切断で、まぁチープな映像なんですけど、B級ホラーっぽさが漂っていて、「おおっ、ええやんか」と初見では不覚にも喜んでしまいました。それから刑事の捜査が延々と続くのですが、これが面白くない。銃撃戦まであるのに、少しも盛り上がらない。「なんだ最初だけか」と失望したのですが、僕が甘かった。ごめんなさい。予想できませんでした。この刑事の捜査、本筋と何の関係もないんです。意味が分かります? 刑事は確かに事件を追っていたのですが、まったく無意味だったという展開で……。

——もしかして尺の水増しですか? それはひどいなあ。

三津田 いえ、悲しいかな、非常によくあることなんです。「夕暮れにベルが鳴る」なんかも同じですよ。

——ああ、たしかに。結構メジャーな作品でもやりますね。

三津田 ところが、「ドライブイン殺人事件」は最後でまた面白くなる。今度は映写室の中で殺人が起こるので、江戸川乱歩『緑衣の鬼』ばりに、影絵シーンで見せてくれるのです。しかも、たった今、殺人が行なわれている。すぐ映写室に飛び込めば、犯人を捕まえることができる。で、刑事が駆けつけるのですが……。ここから僕の知る限るでは、ミステリ映画史上他に例を見ない恐るべき結末が、あなたを待っています。普通はこんなこと考えないし、もし考えついても即座に却下します。このアイデアを出したのが監督か脚本家か、その他のスタッフか知りませんが、「誰も止めなかったのかよ」と言いたいです。同じアイデアを僕が小説で使ったら、ささやかな作家生命が確実に終わるでしょうね。

——そんな最終兵器が展開されていましたか(笑)。実験精神にも程があるというやつですね。さて、ちょっと本題に戻りまして、ここからはまた翻訳ミステリーについてお聞きしたいと思います。三津田さんがお考えになる、翻訳ミステリーの素晴らしい点というのは何でしょうか?

三津田 小説を読むことで異文化に触れられ、しかもそれがお話に関わってくる面白さが、まず挙げられると思います。本格物の場合は、その国や地方の歴史や文化が、もろにトリックと結びついているとかですね。

——一昨年だか読んだエルスペス・ハクスリー『サファリ殺人事件』はまさしくそういうお話で、アフリカの殖民地でしか成立しないトリックの作品でした。ああいうのを読むと、翻訳ミステリーファンは得したなあ、と思うんです。

三津田 ただ、翻訳物を敬遠する読者が、まず口にする理由も同じじゃないですか。そんな知らない国を舞台にした小説なんて、いかにも読むのが面倒そうだって。そういう読者が、拙作の刀城言耶シリーズを読んで下さっているか分かりませんが、異文化との遭遇という意味では、ほとんど同じではないでしょうか。多くの読者にとって、昭和二十年代から三十年代の地方って、まぁ外国みたいなものですから。外国人の名前が覚えられないから、という人もいますが、律儀に読む必要はありません。僕も中学生のころは、ひとつの記号として名前を形で覚えて、他の登場人物と区別していましたからね。この技(?)を習得すると、何の問題もなく読めますよ。

——養老孟司さんは、日本の子供が漫画を読むのはページ全体を一種の象形文字として理解しているから、漢字を使う民族らしくていいんだ、ということをおっしゃっていましたね。それと同じで、読みとか意味はいいから、とにかく外国人の名前は象形文字として形で覚えろと。

三津田 はい。中学生で創元推理文庫や早川文庫に親しんだ人は、おそらく自然と身につけた技ではないかと(笑)。それと海外の作家は、ジャンルにこだわらない傾向があり、とにかく面白い作品を書いてやろうという人が多いので、本読みなら無視できるはずがないんです。仮に自分には合わないと思う作品があっても、実は他に100パーセント自分好みの小説を書いている——そういう作家が海外にはいますからね。

——ジャンルにこだわる作家のほうが少数でしょうね。ポール・アルテぐらいなのでは。主流文学じゃないから何をやってもいいんだ、という割り切りがあるのか、時としてとんでもない異形の作品が出てくることがあります。

三津田 僕はジョー・R・ランズデール、ダン・シモンズ、デヴィット・マレルなどが好きですが、必ずしも全作品が面白いわけじゃない。まったく好みではない小説もあります。シモンズのハイペリオン・シリーズでも、一作目は大好きでしたけど、あとは読みながら、もういいやって思いましたし(笑)。また彼が書いたミステリは、いまだに読んでいません。別にシモンズには、ミステリを求めてないからでしょうね。けど、新作が出ると気になる。読まず嫌いで翻訳物を敬遠するのは、非常にもったいないと、声を大にして言いたいです。

——よくわかります。

(つづく)