基本的に、自分を職人だと考えているから、引き受ける作品のジャンルを云々することはない。基本的に「よくできたお話」が好きだが、許容範囲はかなり広いつもりだ。ハードボイルドであろうがSFであろうが冒険小説であろうがスパイ小説であろうが、面白ければ引き受けさせていただく。ただ、なぜか純愛ロマンスや、数学の定理の解説本の仕事は来たことがない。担当編集者がいかに慧眼かということだろう。

 ストーリーに関しては、持論がある。キモは、よく練られたストーリーかどうか。少なくともその物語の中では整合性があって、こちらに納得できるものでなければならない。ストーリーは、読者の期待を裏切らない方向に進んで、読者の予測しない展開をするのがベストだ。内容については偏見はないつもりだ。ドラゴンに乗ってナポレオン軍と戦おうが、テスラの発明した電磁兵器でアメリカにテロを仕掛けようが、フレディとジェイソンが戦おうが、そこだけでばかばかしいとは考えない。そういう意味では受け入れるハードルはかなり低いだろう。ただ、設定の根幹を揺るがすような展開をしたりすると、その時点でアウトになる。

 主人公は、的確に状況を判断し、サッサと行動して、物語の主導権を握ることが望ましい。主人公がのんびりコーヒーを飲んでいる間に重要な証人が殺されたり、テロリストの爆弾が破裂したり、大地震が起こったり、宇宙人の陰謀が明らかになったり……というのは願い下げだ。

 できることなら、ストーリーの随所に、読者をだまそう、驚かせてやろうと作者が仕掛けた落とし穴とかドンデン返しが隠されているほうが、読んでいて楽しい。さらに、それをユーモアを交えたクールな文体で語っていれば申し分がない。

 最近の仕事で、そういった条件が満たされていて、楽しく翻訳ができたのが『掃除屋クィン 1——懸賞首の男』(ランダムハウス講談社)だ。

 主人公はスパイたちの影の世界に生きるフリーランスの仕事人……ええと、設定について多少の説明が必要かな(汗)。

 他の業種と同様、スパイの世界でも各国の諜報機関に属するいわゆる公務員と、どこの組織にも属さない民間業者がいる。MI6のジェイムズ・ボンドなど公務員は、国の後ろ盾の基に国益を守るために活動するわけだ。民間業者は各国の諜報機関の補佐をしたり、国家がおおっぴらには介入できない状況で代わりに活動したりして対価を得ている。当然、業者同士のネットワークも存在していて、仕事を融通し合ったり、受けた仕事に応じて協力したり敵対したりしている、というのが本書の設定。

 主人公は、影の世界で生きるフリーランスの掃除屋。アメリカには実際に警察の委託を受けて犯罪現場を清掃する専門業者がいるらしいが、本書で言う掃除屋というのは、もう少しあやしげな職業。スパイ活動における種々の事件(諜報機関同士の極秘会談、諜報工作活動、拉致、殺人等)が起こった現場から秘密が漏れないよう、活動の痕跡を消し去ることが仕事だった。血痕、指紋、タイヤ痕等の証拠を消すことはもちろん、あらゆる記録書類、データをも細工して「そんな事件はまったく起こらなかった」ことにするのだ。実際の諜報活動に関わることもないし、現場に残された死体の処理をすることはあっても殺しの依頼は受けない。いわば派手さのない裏方商売だ。

 と、まあリチャード・スタークの「悪党パーカー」シリーズをスパイに置き換えたような基本設定なのだが、なにより主人公のキャラクターがいい。まず、プロに徹していて冷静沈着、行動には迷いがない。それでいて情にもろいところもある。口調は冷静かつシニカル。物語の冒頭、緊急の仕事のために休暇中のハワイから呼び戻され、雪のデンバーに行くことになった主人公が、目的地の空港に到着して、おもむろに村上春樹の『国境の南、太陽の西』を読みはじめるシーンがある。一時間も経過してから相手に連絡をとる。相手は「今朝一番で到着すると言っていたんじゃないのか」とお冠だが、主人公は「選択記憶というやつですな」と応じる。「あんたがそう言ったんです。で、車は用意してあるんですか?」

 ね、なかなかイヤなやつでしょう? わたしとしては、アメリカのテレビ・ドラマ『ボストン・リーガル』に登場するアラン・ショア弁護士のイメージを重ねたりして、楽しんで翻訳することができた。

 物語そのものも、テンポの速い展開に、巧みな伏線やミスディレクション、それに気の利いた仕掛けが埋めこまれている。冒頭に書いた諸条件を満たしていて、訳者としての満足度も申し分なかった。

 以上書いてきたことが独りよがりの感想でないことは、本書の続編”The Decieved”が2009年度バリー賞ベスト・サスペンス小説賞を受賞していることからもお分かりになると思う。こちらも鋭意翻訳中。