もともと面白ければなんでもありの乱読派ではあるけれど、どのジャンルが一番好きかといえば、それはやっぱりミステリで、だから翻訳修業中はミステリ系の翻訳家になりたいと願い、やがて、神様のありがたい気紛れによって、希望通りのデビューを果たした。しかし、純粋にミステリを訳していたのは最初の数冊ほどで、その後はホラーやSF、ファンタジーに転び、今は児童文学系の作品がメインになっている。

 もちろん、どの本も私には大切な子供で、どんな本も訳すのは楽しい。でも、この調子だとミステリを訳す機会は当分ないかも……なんて、どこか淋しく感じていたら、神様がまた気紛れを起こしてくれた。三年前、なんと我が家に“ナンシー・ドルー”がやってきたのだ。

 この場にお集まりの皆さんなら、ご存じの方も多いと思うが、ナンシー・ドルーはアメリカの児童文学界が生んだ国民的少女探偵だ。作者のキャロリン・キーンは、1930年に第一作目を発表して以来、二十一世紀に入った今もなお、新作を出し続けている──というと、嘘みたいな話だけれど、種を明かせば、この作者は〈ストラテマイヤー工房〉という児童文学工房で、キャロリン・キーンの筆名のもと、幾多の覆面作家が代替わりしてナンシー・ドルーのシリーズを書き続けているというわけ。

 で、スピンオフも合わせれば今や数百冊になる作品の中から、私のもとにまず届いたのが、黄色い背表紙が印象的なハードカバーの初期六作品。このあたりは過去に何度か訳されているが、今は一部をのぞいて入手困難になっており、それを単なる児童書としてではなく、かつてナンシーに親しんだ大人たちにも読んでもらえる形で出したい、というのが編集サイドの希望だった。まだデビューのデの字も見えなかった頃、たまたまナンシー物のペーパーバックを読んで「いつかこのシリーズを訳せたらいいな」などと考えたことのあった私は、当然「やります!」と返事をし、数ヶ月後、シリーズ第一弾の『古時計の秘密』でミステリの世界に久々に戻った。

 この物語で、ナンシーは、ある金持ちの老人が残したと思われる遺言書探しに奔走する。といっても、彼女は職業探偵などではなく、偶然知り合った気の毒な人たちを助けたい一心で自分から真相究明に走り出す、やさしくて(ある意味)お節介な、ただの女の子だ。でも、弁護士をしている父のカーソンや母親代わりの家政婦ハンナに支えられながら、持ち前の好奇心と、頭の回転の速さと、抜群の行動力でガンガン謎に迫っていって、みごと遺言書を発見し、遺産争いを解決する。

 え、イチ押し本のオチを言っちゃっていいんですか?……って、ビックリした方、ごめんなさい。でも、大丈夫。だって、ナンシー・ドルーは『水戸黄門』ばりに勧善懲悪で大団円に向かうのがお約束だから。このシリーズは子供の読み物として書かれているだけに、ミステリらしからぬご都合主義的な展開が多いし、残酷なシーンはNGという決め事もあって、まさに、つっこみどころが満載だ。それでも、この作品が今なお多くの人に愛されているのは、一作ごとに工夫されている舞台設定の面白さに加え、十八歳の女の子が危険を顧みず突き進んでいく無謀だけれど爽快なカッコ良さだとか、ノスタルジックな空気の中で描かれる人間関係の温かさなんかが胸にググッとくるから。そういうところを(難しいことはとりあえず忘れて)存分に味わっちゃうのが、大人にとってのナンシー・ドルーの正しい読み方なのです、はい。

 ところでこのシリーズを訳しはじめて、ふと思ったことがある。ホントはこれ、最初の数冊で終わる予定だったんじゃないだろうか。というのも、四作目の『ライラック・ホテルの怪事件』を最後に、それまでナンシーの相棒をつとめてきたヘレン・コーニングが忽然と姿を消し、五作目の『シャドー牧場の秘密』から、この長大なシリーズの主要キャラとなるジョージとベスが、ナンシーの親友として何事もなかったかのように登場するからだ。なぜ、シリーズを長く続けるために、ヘレンは消えなければならなかったのか? 私はこれを“ヘレン消失事件”と勝手に呼んでいるのだけれど、この謎に興味のある方は、ぜひナンシー・シリーズを一から読んで、推理してみてほしい(ちなみに、私なりに出した答えのキーワードは『サザエさん』です・笑)

 渡辺庸子