主戦場はSFなのだが、ミステリー戦線にもときどき顔を出すことがある。SFミステリー的な作品や、クロス・ジャンル作家の作品ということが多い。ミステリー専業作家が書いたミステリーというのは、実はほとんど翻訳した経験がない。

 ご紹介したいのはマイケル・マーシャルの『死影』『孤影』『残影』の三部作(とりあえず主人公の名前を取って「ウォード三部作」と呼んでおく)だが、この作家もミステリー専業というわけではなく、マイケル・マーシャル・スミス名義でSFも書き、たくさんある短篇作品は、たぶんホラーに分類されるものが多い。ひねくれたユーモア感覚が持ち味で、ブラックな笑いを引き出すホラー短篇を書いても、その“黒さ”にどこか異質なものがある。

 この三部作は、マイケル・マーシャル(・スミス)がはじめて現代を舞台にして書いた長篇で、SF的な要素はかなり排除されている。それまでははるかな未来や異世界を舞台に選んでいたが、この三部作で使った現代という舞台がけっこう気に入ったらしく、そのあとに書いた一種のサイコ・バンパイアものの The Intruders も、Bad Things というサイコ・スリラーも、舞台は現代になっている。

 ただ、この近作の二長篇を読むと、どうも登場人物が多すぎて、しかもその多くを視点人物として使っているため、いかにも話がわかりにくくなっている気がする。初期の作品は基本的に一人称で書かれているので、そういう意味でのわかりにくさはなかった(プロットが二つに分離しちゃってるんじゃないの、という欠点はあるのだが)。

 その点、この「ウォード三部作」は、視点人物となる主要登場人物は三人だけ、主人公であるウォード以外の二人を視点人物にした章の数も少なく、近作のような読みにくさは感じない。

 作者としては実験的に「一部の章で視点人物を変えて書いてみました」ということなのかもしれない。それが比較的うまくいったので、その後の作品で「では、視点人物をもっとふやしてみよう」と、おかしな方向に突っ走ってしまったように思えてならない。

 ただ、amazon の読者評を見ると、それを評価している人もいたりして、失敗、と言いきってしまうのはためらわれる。amazon の読者評が参考になるのか、という話は措くとしても、星五つから星一つまで、みごとに評価がばらばらなのは、いかにもこの作家らしいとは言えるだろう。

 物語は主人公の両親が交通事故死したという知らせから始まり、久しぶりに実家に戻ってみると、「わたしたちは死んでいない」というメモが巧妙に隠してあるのを発見……と、少々ショッキングではあるが、まあ日常の延長のようなところから出発している。それがあれよあれよという間に大風呂敷が広がって、三冊めが終わるころには、人類の草創期にまで遡る、長く残虐な暗闘の歴史が暴かれる……という、この作家ならではの、陰謀史観もはだしで逃げ出す暗黒の人類史が展開される。

 かならずしもすべての読者に受け入れられる作風ではないのだが、希有壮大なほら話がお好きな方には、ぜひ手にとっていただきたい作品。ノワール、ハード・ボイルド、サイコ・スリラー、ホラーなどなど、さまざまなサブ・ジャンルをごった煮にした感じが、訳者としては大いに気に入っている。

(了)