バウンティハンターを主人公にすえたミステリーといえば、ジャネット・イヴァノヴィッチの〈ステファニー・プラム〉シリーズを思い浮かべる人が多いだろうか。軽快なテンポで展開されるストーリーに、ステファニーをはじめ、個性豊かな面々が登場する実に愉快なシリーズだ。女のバウンティハンターもかっこいいが、アメリカのノースカロライナ州に、ジャック・ケラーという魅力的な男のバウンティハンターがいる。生みの親はJ・D・ローズ。二〇〇五年に一作目の”THE DEVIL’S RIGHT HAND”が上梓され、ケラーが活躍する作品は現在までに三作書かれている。

 ケラーは湾岸戦争の従軍兵だったが、味方のヘリコプターからの誤爆により、目のまえで仲間を何名も失う。その後、軍の上層部に不信感を抱き、離隊して帰国するが、戦争後遺症で何年間も生ける屍同然の日々を送っていた。が、〈H&H・ボンズ〉という看板をかかげて保釈保証業を営むアンジェラと出会ったのを機に、バウンティハンターの道を歩みはじめる。

 ”THE DEVIL’S RIGHT HAND”では、デュウェインというちんけな悪党を追うのだが、逃亡資金が尽きたデュウェインが、金めあてで近づいた材木業者を誤って殺害してしまったことから、事は大きくなる。はずみとはいえ、殺した相手が悪かった。材木業者には、麻薬密売組織のボスの座についているレイモンドという息子がいたのだ。この息子、極悪人ではあっても親を思う気持ちは人一倍あるようで、デュウェインへの復讐心をめらめらと燃やす。

 かくして、デュウェインはケラーとレイモンドの二者に追われることになるが、当の本人は自分が引き起こした事態をまったく知らず、はじめて犯した殺人におびえて、いとこの家に逃げ込む。

 ケラーとレイモンドは両者ともデュウェインの逃亡先を突きとめて駆けつけるが、ほぼ同時に着いたために、ケラー、レイモンド、デュウェイン、三つ巴の銃撃戦になる。ケラーとレイモンドは互いに何者かわからない、デュウェインも何が起きているのかわからないという、状況を正確に把握している者がひとりもいないなかで、それぞれが目的を果たすと同時に、自分の命を守ろうと銃の引き金を引きつづける。その際、ケラーはレイモンドに同行してきた彼の弟を撃ち殺してしまう。またもや身内を殺されたレイモンドはいったんその場を去るが、復讐の矛先をケラーにも向ける。 

 根が臆病な小動物の捕獲に出かけたら、獰猛な野獣が現れたといった内容の本作は、二〇〇六年のシェイマス賞、最優秀処女長篇賞にノミネートされている。賞の名前からおわかりかもしれないが、私立探偵小説の趣のある作品である。

 主要登場人物は、ひとまずケラーと彼の雇い主であるアンジェラ。(本作に登場した人物が数名、二作目から主要な役割をになう)アンジェラ、女? 恋人? と思われる方もいるだろうが、そのような関係には発展しない。アンジェラもケラーに負けず劣らず(?)暗い過去を背負っている。彼女には結婚歴があるが、相手がとんでもなく暴力的な男だった。アンジェラをバットで殴り、瀕死の重傷を負わせたところで家に火を放つというすさまじさ。アンジェラはかろうじて生きのびるが、そのときの火傷の痕が全身に残っている。

 ケラーとアンジェラは互いの過去を知っているが、不要に詮索しない、相手に踏み込まない、でも、思いやりと共感を抱いている。いわば、同志のような関係だ。心に傷を負っているふたりだが、どちらもその点には実にクール。もちろん苦悩はするが、みずからの過去との向きあいかたに強さがあるのだ。そのかっこよさを味わうとともに、歯切れのいいストーリーとアクションを楽しんでもらいたい。

 アクションといえば、二作目、三作目とその色が濃くなっていく。

 二作目の”GOOD DAY IN HELL”(二〇〇七)でケラーが対峙するのは、男女二名プラス十代の少年。アンジェラの指示でケラーが追うのは、ローレルという名の女ひとりのはずだった。が、ローレルがポン引きのロイとつるんで残虐な行為を重ねたことで、思わぬ騒動に巻き込まれる。

 逃亡したローレルとロイはガソリンスタンドに押し入り、金を奪ったあと店主を射殺。そして、偶然その場に居合わせた店主の息子スタンに、「一緒に来るか、父親と同じ目にあいたいか」と迫る。スタンにとって店主は母親の再婚相手というだけで血のつながりはなく、暴力をふるう存在でしかなかった。そりのあわない義父の死を悼む気持ちよりも、自分の命が危険にさらされていることへの恐怖心がまさったスタンは、ローレルたちについていく。しかし、スタンのなかには脅えだけでなく悪への憧れもあった。

 ここから三人の逃亡劇になるが、ローレルとロイの目的は悪事で世間を騒がせ名をはせることだった。相手を選ばず、容赦なくというわけだ。そんな彼らの次なる犠牲者は、教会に集まった信者たちだった。ミサをおこなっている教会で銃を乱射したのだ。ローレルたちは満足をおぼえたが、さらにそこでスタンの知恵が働いた。彼は教会の惨状を携帯電話のカメラで撮影し、それをテレビのニュース番組のリポーターに送信する。こうして事態は深刻さを増し、ケラーは勢いのついたローレルたちを向こうにまわすことになる。

 ボニーとクライドきどりの男女が登場する二作目は、一作目よりもやや派手になり、私立探偵小説に冒険小説風味のスパイスをきかせたしあがりになっている。主要登場人物にも、ケラーの恋人と、アンジェラのアシスタントを務めるコロンビア出身の男がくわわり(いずれも一作目に登場している)、人間関係にも深みが出ている。こういったところは、連作ものの強みだろう。でも、それを生かすも殺すも著者しだい。そこのところ、J・D・ローズには花丸をあげたい。

 人間関係だけでなく、ケラーの過去も十二分に生かしたのが、三作目の”SAFE AND SOUND”(二〇〇八)だ。一作目の野獣男も、二作目のボニーとクライドもどきも、なかなかの強者だったが、当然ながら上には上がいるもので、こんかいの相手は筋金入りの傭兵である。傭兵と対立する、米軍の特殊部隊員三名も登場する。戦争後遺症に苦しむケラー、そこに突き進んで大丈夫なのか!と思わず心配してしまうが、ケラーの兵士魂を見た、と言いたくなるページターナーである。

 物語はケラーが友人の私立探偵から、アリサという五歳の少女の捜索協力を求められたことからはじまる。アリサの両親は正式には結婚しておらず、母親がアリサを育てていたが、親権を求める父親ラングレンがアリサを連れ去ったというのだ。売春婦をしていた母親の話によると、ラングレンとはつかず離れずの関係で、彼が特殊部隊員であること以外は何もわからないとのことだった。

 ケラーが軍から情報を得ようと探ったところ、ラングレンをふくめ、アフガニスタンから帰国した特殊部隊員三名が無許可で隊を離れ、所在がわからなくなっているという。軍も三名の行方を追っていたが、ケラーも独自で捜索を開始した。

 そうこうしているうちに、ラングレンが死体で発見される。拷問のすえ、銃でとどめをさされたのは明らかだった。犯人は、ラングレンたちと同時期にアフガニスタンでスパイ活動をおこない、彼らと面識のある傭兵ディグルート。狙いはアフガニスタンでテロリストたちが動かしていた闇の金である。オンラインでどこの銀行にも移せる金だが、操作するには暗号を保存してあるUSBメモリふたつが必要だった。うちひとつをラングレンが持っているとディグルートはふんで、そのありかを聞き出そうとしたのだが、ラングレンは最後まで口をわらなかった。しかし、ディグルートの執着に終わりはなかった。

 一作目、二作目でもかなりの銃撃戦が繰りひろげられたが、相手が傭兵となれば舞台はまさに戦場である。銃弾が飛びかうのはもちろん、爆弾も炸裂する。罠をしかける者と、それを見破ろうとする者の知恵比べも読みどころだ。

 アリサは、ラングレンとともに隊を離れていた仲間リジオとパウエルがあずかっていたが、ラングレンが死体で発見されたのち、ケラーに引き渡される。彼らが落ちあう場所にディグルートが現れ、攻撃をしかけてきたことから、ケラーはリジオたちと手を組むことになる。

「元兵士のケラー&特殊部隊員二名 vs 傭兵」と聞いただけで、前二作より派手と推測される方もおられるだろう。たしかに派手ではあるが、ただ派手というだけではなく、親子の情や、ケラーの苦悩、周囲の者たちへの思い、また反対に周囲の者たちのケラーへの思いなども丁寧に描かれており、もの悲しさも感じられる物語になっている。そして、ラストは非常にせつない。

 この後、ケラーがどうなるのか気になるところだが、”SAFE AND SOUND”のあとは単発作品が上梓されており、ふたたびケラーに会えるかどうかは不明だ。が、三部作としてとらえるのも一興だろう。あれこれと想像をめぐらせて、余韻に浸るのも読書の楽しみのひとつなのだから。

 最後にもうひとつ。

 洋楽好きの方のなかには、上記三作のタイトルを見て「おや?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 高橋知子