会心のつもりだった訳文がどこを掘っても見つかりません。幻だったか、でなければ土に還ったのでしょう。そんな事情ですので、会心の訳文の代わりに訳者がじたばたした箇所をいくつかご覧いただこうと思います。

 その前に少しだけ現場の事情を。異なる言語のあいだに、頑丈で見栄えがよくて渡りやすい橋をかけようというのですから、訳出作業において工夫を凝らすのはイロハのイ。とはいえなかなか一筋縄ではいきません。私のような若輩はつねに苦心惨憺を強いられます。とっかかりをつかみそこねて、すべてが裏目に出ることもあります。それだけに、ごくまれにですが、原文に自分の心がとろけていくような感覚を味わえたときは、翻訳って楽しいなあ不思議だなあとつくづく感じます。

 そのとろけた部分を必死にすくいとろうとした痕跡が以下のものです。すくってもすくってもすくいきれない気がして、いまだに悶々としているのですが・・・・・・

〈その1〉

 ローリー・リン・ドラモンドあなたに不利な証拠として』(早川書房)は五人の女性警官の物語を収めた連作短篇集です。タフでリアル、そして実に深遠なこの作品には、研ぎ澄まされた含蓄のある言葉がそこかしこに埋まっています。胸に響いたくだりはいくつもありますが、そのうちのひとつがこれです。

——人生でもそうだが、警察の仕事に“もしもの仮定”は通用しない。すでに起こったことを扱うのだから。どんな犯行であれ、それが事件現場のとりえだ。——

(「生きている死者」より)

 原文は次のとおりです。

In police work, just like life, “what-ifs” don’t really pertain. It’s already happened. That’s the beauty of a crime scene, of any crime.

 もうひとつ挙げます。

——たらればの仮定はなしだ。なんの意味もないから。——

(「告白」より)

 原文は次のとおりです。

 I never play what-ifs; they don’t pertain.

 いずれの原文にも、“what-ifs” と “pertain”が使われています。後者の“what-ifs”には、思いきって座右の銘をあてはめることにしました。少し強引かなと迷ったのですが、作品全体の雰囲気から、登場人物が心情を吐露する場面は大胆にいこうと決めました。それに、女というものはどん底まで落ちこんで、死むー、と思いつめているときでも、けっこうずっこけたことを考えますし(うふ)。

 この座右の銘には個人的な苦い苦い思い出が詰まっています。昔、気を腐らせて「〜だったら〜なのに」とか「〜れば〜なのに」とこぼすたび、「人生に“たられば”はない」と諭されたものです。真剣だけれど茶目っ気のある表現に心の凝りがすっとほぐれ、いっちょやったるかと闘志が湧きました。私にとって一生大切にしたい己への戒めの言葉です。

〈その2〉

 ヘレン・マクロイ幽霊の2/3』(東京創元社)は長いこと入手困難だった幻の名作ですが、昨年の復刊でようやく手の届く幽霊となりました。「犯罪者は誰でも心理的な指紋を残していく。それは手袋をはめても隠せない」と考える、精神科医ベイジル・ウィリング博士が探偵役のシリーズです。

 人生の荒波を乗り越えて質の高い作品を世に送り続けた作者マクロイ。彼女の母であり妻である視点をなおざりにはできないという気持ちから、悩みに悩んだ原文がこれです。

 They have a dog and a pet turtle. They don’t know his sex — the turtle’s — so they call it He-she, and ・・・

 少年が母親に、友達の飼っている亀のことを夢中になって話すシーンです。マクロイの持ち味である母性きらめくシーンはほかにも随所にありますし、ここは緊迫した導入部なので目立ちすぎるのもどうかと思います。よって“He-she”も、なるべくさらっといきたいところ。一応“カメオカメコ”なる訳語をあててみました。でもどうしても引っかかります。亀をかわいがっている子供がそんなふうに呼ぶのは不自然な気がしました。そこで、ある方からいただいた助言をもとに次のように直しました。

——その亀ね、雄か雌かわかんないけど、カメゾウって呼んでるんだってさ。雌ならカメコだね。——

 忙しい母親に甘える少年の気持ちが、より自然にはっきりと伝わってきます。一語での置き換えにとらわれていた私は、なんて浅はかだったのでしょう。とたんに視界が開け、目立つことと際立つこととの微妙な差をあらためて実感させられました。

 冒頭で土に還ったと書きましたが、よく考えると土は訳者なのかもしれません。会心の訳文を目指して冒険したり打ちのめされたりした経験は、必ずや訳者の血となり肉となると信じています。これからも、いっちょやったるかの気構えで努め励みたいと思います。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。次回は怪奇ものが大好きな三浦玲子さんの登場です。どうぞお楽しみに!

(駒月雅子)