『夢の破片』

モーラ・ジョス / 猪俣美江子訳

ハヤカワ・ミステリ1762

 たまに同業者が集まると、「あの本はすごく面白いのに売れなくて・・・」、「いい作品だったのに重すぎて・・・」などと、自薦残念本の話になることがある。みんな「あははっ」と明るく笑いながら話しているけれど、もちろん本当は悲しい。せめて“悲しいときこそ笑いを”という、英国推理小説にも米国探偵小説にも小粋な捕物帳にも共通の知的スタンスを死守すべく頑張っているのだ。(それに、悲劇は自分のせい——翻訳が××すぎたから——だという恐れもあるので、目くじらたてて責任を追及したりするのは禁物である)

 そこで今回は、そんな悲しい——いえ、その、ひっそり埋もれた名作のひとつをご紹介させていただく。英国の田園を舞台にした、一風変わったサスペンス小説だ。

 主人公のジーンは身寄りのない初老の女性で、職業はハウス・シッター。家主が長期の休暇や仕事で不在のあいだ、留守宅に住みこんで管理をする仕事で、今はコッツウォルドの美しいマナーハウスに派遣されている。ところが着任後まもなく、所属する会社から高齢を理由に解雇の通知が。それを機に、胸の中で何かがぷつんと切れたかのように、ジーンは異常な行動へと駆り立てられてゆく。預かりものの由緒ある館の優雅な部屋べやを我がもの顔で使い、女主人も同然にふるまい、ついには頭の中で生み出した架空の息子の消息を尋ねる新聞広告まで出してしまうのだ。

 その広告に応じてやってきたのは、失業中の気弱な中年男マイクルと、彼の元に身を寄せていた若いシングルマザーのステフ。ほかに行き場もない孤独な三人は、“裕福なマナーハウスの女主人と、長らく行方知れずだった息子夫婦”という虚構の立場を受け入れ、春から夏へとめぐる田園の館で至福の日々を送りはじめる。しかし当然ながら、そんな生活は長くは続かない。厳しい現実がひたひたと押しよせる中、追いつめられた彼らがとった行動は・・・?

 本書のおもな登場人物である三人は、そろいもそろってこれ以上ないほど不運で不器用で、人生のあらゆる岐路で(必ずしも本人たちの責任ばかりではなく)選択をあやまってきたように見える。まるでアリ地獄のような状況の中でもがくその姿は、身につまされて読むのがつらくなるほどだ。にもかかわらず、彼らの切ない夢がつかのま叶えられるマナーハウスでの日々は、忘れがたいきらめきを帯びている。

 容赦なく描かれる現実の苛酷さと、その中でこそ光りかがやく幸福な一瞬の美しさ。はかない夢を追ってあがく人間たちと、すべてを呑み込んで静かに進む時の流れ。それらが絡み合って衝撃的なラストまで、読み手しだいで、あるいはそのときどきの視点により多彩な表情を見せる本書は、2003年のCWAシルヴァーダガー賞受賞作。昨年、翻訳出版されたケイト・モートンのゴシックサスペンス『リヴァトン館』の巻末に、バーバラ・ヴァインの『死との抱擁』などと並んで、作者モートンがインスピレーションを得た作品のひとつとして挙げられている。“すらすらと一気読み”が人気の昨今、あえてずっしりとした歯ごたえのある作品を、という方はぜひ。

 記憶に残る作品を、もう少し手軽に・・・という方には、短編集『殺しのグレイテスト・ヒッツ』収録のケヴィン・ウィグノール「回顧展」がお薦め。心に深手を負った戦争カメラマンと風変わりな殺し屋の一夜の交流が印象的だ。また、熱いラヴシーンと明るい笑いとほっこりした読後感がお好みのロマンス・ファンの方は、軽い謎解きも楽しめるアマンダ・クイックレディ・スターライト』をお試しください。