「会心の訳文」というお題を頂戴しましたが、わざわざ顧みなくともそんな恐れ多いものがないのは百も承知で、バトンを受けとったことをお断りしておかなければなりません。

匝瑳玲子さんが潔い女っぷりなどと持ちあげてくださったけれど、まずは言い訳じみたお話から。

「ロス・デサパレシードス——失踪させられた人々——彼らは被害者たちをそう呼んでいる。おばあちゃんたちは、こんなに年月がたったいまもまだ抗議している」

これは、ブランド服が大好きな人権派弁護士マニーと、服には無関心なのに道行く男たちが振り返るお洒落な美女マニーにぞっこんの副検屍局長ジェイクの異色コンビが活躍する、『沈黙の絆』から抜粋したジェイクのセリフだ。著者のマイクル・ベイデン&リンダ・ケニー夫妻は、実生活でも検屍官と弁護士なので、ジェイクとマニーの丁々発止のやりとりは楽しいだけでなく、真実味がある。ここでいう〈おばあちゃんたち〉というのは、〈五月広場の祖母たちの会〉の老婦人たちを指す。

そう言われてすぐにピンとくる人は、かなりのアルゼンチン通だろう。

今年はワールドカップが開催されたこともあり、アルゼンチンと聞いて私の頭に真っ先に浮かぶのはサッカーだ。そして、監督を務める自国のチームがゴールしたり、しそびれたりするたびに、驚くほど素直な感情表現を爆発させ、選手たちよりも目立っていた国民的英雄マラドーナだ。

しかし、アルゼンチンにはそんなあけっぴろげなイメージとは正反対の閉ざされた暗黒の歴史があり、いまなおやり場のない怒りに苦しむ人々がいる。『沈黙の絆』を訳す機会をいただいて、その事実を知った。

一九七六年、アルゼンチンではクーデターによって軍事政権が誕生した。一九八三年まで続いた軍事政権下では、反体制派の人々、学生、一般市民の不法逮捕、拷問、暗殺が横行し、その被害者は三万人にも及んだという。これが〈汚い戦争〉である。政府はこの事実を隠すために、あたかも自らの自由な意思で姿をくらましたかのように、被害者たちを〈失踪者〉と呼んだ。

この弾圧によって息子や娘、あるいは孫を奪われた母親たちが組織したのが〈五月広場の祖母たちの会〉〈五月広場の母たちの会〉である。高齢となった母親たちは、犯罪の訴追と子供たちの生還を三十年以上経った今も求めているが、納得のいく結果は出されていない。

最初に挙げた〈desaparecidos(デサパレシードス)〉というスペイン語の言葉は、この箇所以外にも繰り返し出てくるので、読みやすさという点から言えば、一般的に使われている〈行方不明者〉という訳でよかったのかもしれない。しかし、被害者側の目線で、強制的に失踪させられた人々であることを表すために、説明調ではあると思ったが、あえて〈失踪させられた人々〉としてみた。

「それが××を狂気へ追いやったのよ。××は自分が感じている怒りに、みんなが固執していないことが受けいれられなかった」

「〈汚い戦争〉の犠牲者を決して忘れてはならない、という××の主張は正しかった。でも、××は怒りによって、自らの身の破滅を招いた」

(名前、人称は伏せておく)

弁護士のマニーが犯人について述べているセリフだ。本書をこれから読もうと思ってくださる方々がいるかもしれないので、これ以上の説明は加えられないが、わたしたちはさまざまな事件や事故で人々の命が失われたというニュースを耳にしない日はない。残された被害者の遺族の悲しみや怒りについて、ほんの一部にすぎないだろうが想像することはできる。裁判等を通じて、自分と周囲の怒りの温度差を痛感させられるのは、本当につらいことだろう。また、遺族のなかにも、絶対に忘れてはならないと世間に訴える人がいる一方、忘れることはできなくても封印してしまいたいと思う人がいるのも現実だ。

the last strawという表現がふと頭をよぎった。我慢の限界をいうときによく使われる言い回しだ。the last straw that breaks the camel’s back(ラクダの背中を折る最後のわら)という表現から来ているのだが、視覚的に想像しやすいせいかときどき思いだす言葉だ。

これも小説を訳していて出会った言葉なのだが、はて、どの小説に出てきたのやら……。

有能な検屍官ジェイクの言葉を借りれば、どんなに些細なことでもたちどころに思いだせる驚異的な記憶力の持ち主、マニーの脳には若い回(大脳皮質のひだ)と裂溝が詰まっているのに対し、わたしの脳は縮んで平らになりつつあるようだ。

 驚異的な記憶力と言えば、『ドーバーの白い崖の彼方に』という小説に登場する女スパイがさっと目を通しただけで、文書でも地図でもたちどころに記憶する能力を持っていた。少し前のTVドラマで菅野美穂が演じた不可能犯罪捜査官キイナや、現在放映中のIRISでイ・ビョンホンが演じるNSSエリート要員ヒョンジョンが持っている瞬間記憶力というやつだ。

実に羨ましい能力だけれど、もしもそんな能力があったら、スポーツジムのスタジオで、「コリオ(振付)が覚えられない〜!」と嘆く、平和な楽しみは失われてしまう。では、そろそろ体力増強と脳の活性化のために、ジムへ向かうとしましょうか。

最後にひとつ、著者のマイクル・ベイデンはケーブルテレビ放送局HBOでAutopsy(検屍)という番組の司会を務めているそうなのだが、ご覧になったことのある方はいらっしゃるだろうか? 最近、名医が手術する光景を流す番組が増えていて、私も興味深く見入ってしまう者のひとりなのだが、Autopsyとうタイトルの番組があると聞くと、さすがアメリカ!と思ってしまう。でも、観る勇気は……ないです、今のところ。

次回は、いくつになってもキュートな上條ひろみさんの登場です。