翻訳者が自分の訳書を評するスタンスは、絶賛する、褒める、ノーコメントの3通りしかない。仕事である以上、さまざまな経緯から、不本意ながら引き受けざるをえないこともあるけれど、仮にも自分の訳書として世に出る以上は一定の評価をしてもらいたいのが当然だし、また、引き受けたときはあまり気乗りがしなかったとしても、何か月も付き合ってきたわけだから、刊行時にノーコメントを貫きたいほどの作品はほとんどない。逆に、すべて絶賛してもいいのだが、いつもそれでは空々しいから、通常はその作品のよいところをいくつか選んで、そつなくアピールするのが常であり、絶賛するのはここぞとばかり本気で勝負をかけたいときにかぎられる。

 そんなわけで、これまでの自分の訳書でみずから声を大にして絶賛した作品は3つだけ。『惜別の賦』では、ゴダードの新境地をひとりでも多くに知ってもらいたかったし、『天使と悪魔』では、いずれフレデリック・フォーサイス以来の角川のドル箱になる作家だと確信したから推しまくった。そして、3番目は去年出たこれ。

 おいおい、いまさら何を、と言われるかもしれないが、なりふりかまわず推させてもらおう。ひとつには、自分が海外ミステリーを読みはじめたころに、おのれの原点というか核というか、そんなものを形作ってくれた作品だからだし、もうひとつは、今後若い世代に海外ミステリを広めていけるかどうかの鍵を握る作品にちがいないからだ。

『Xの悲劇』の魅力は、自分などがいまさら言うまでもなく、異様なまでに緻密な推理と鮮やかな人物造形だ。終盤の40ページに及ぶドルリー・レーンの怒濤の謎解きは、何度読んでも快刀乱麻を断つごとき推論の切れ味に陶酔させられる。数学の証明問題を一点の曇りもなく解き明かしていくかのような論理展開は、ため息が出るほど美しい。

 それを語る元シェイクスピア俳優ドルリー・レーンは、思考機械並みの頭脳を具えつつも、ときに極端に人間くさく、ときに大仰なまでにペダンティックにふるまい、群雄割拠とも呼ぶべき1930年代の名探偵のなかでもとりわけ異彩を放つ。そして、気の荒いサム警視と冷静なブルーノ地方検事のコンビや、クエイシー、フォルスタッフ、ドロミオといったシェイクスピアゆかりの名をレーンから賜った使用人たちに至るまで、ひとりひとりが忘れがたい個性の持ち主だ。

 新訳にあたっては、レーンの怒濤の推理をノンストップで楽しんでいただくために心を砕いた一方、ストーリーよりもキャラクターで本を読む傾向のある昨今の若い読者を念頭に置いて、かなりのめりはりをつけて訳し分けたつもりだ。とはいえ、これだけの名作のリーダビリティーが、翻訳者の小手先の技でどうにかなるものではない。原書の放つ圧倒的なまでのオーラをなるべくそこなわずに伝えられたことを願っている。

 これから新訳『Xの悲劇』を手にとってくださる読者のみなさんに、ひとつ宿題を出しておこう。作中のある台詞(サム警視のもの)がまぎれもなくシャーロック・ホームズのパロディになっているので、それを探してもらいたい。過去の訳ではそれがわかりにくかったかもしれないが、新訳ではこれ見よがしなほどの手がかりを残してあるから、すぐにお気づきになるはずだ。

 ドルリー・レーン4部作としては、第2弾『Yの悲劇』の新訳がまもなく刊行される。このサイトをご覧のみなさんの大半はすでにお読みだろうが、ぜひ身のまわりの若い読者、特に国内作品ばかりを楽しんでいるミステリー読者に、『X』ともども勧めていただきたい。海外ミステリー好きの仲間を増やす絶好の機会だと信じている。ちなみに、新訳『Zの悲劇』は来年3月ごろ、『最後の事件』(正式タイトル未定)は来年9月ごろに刊行される予定である(とこの場で宣言してしまえば、締め切りを守らざるをえなくなるのであえて書いたしだい)。

 最後におまけ情報。『Yの悲劇』は約30年前に日本で連続ドラマ化されていて、下がそのDVD。若きドルリー・レーン役をつとめるのが石坂浩二で(いま演じればちょうどいいのに)、なんとほぼ同時に映画で金田一耕助の役も演じていたのだから驚く(〈女王蜂〉と〈病院坂の首縊りの家〉のあいだにあたる)。本来なら『Y』には登場しないはずの、サム警視の娘ペイシェンスの役を故・夏目雅子が演じているのも見ものだ。原作のメランコリックな味わいをよく伝えている佳作だと思う。翻訳者としては、作中の謎のひとつである「あの英単語2語(あの漢字2文字)」の処理をどうするかに最も関心があったが、ドラマ版はその難題を巧みに切り抜けている。

越前敏弥

 翻訳者リレー・エッセイ「自薦イチ押し本」は、今回で完結します。これまでのご愛読ありがとうございました。次週の「会心の訳文」も最終回となり、サイト開設1周年を迎える10月からは、翻訳者による新たな連載がはじまります。どうぞお楽しみに。