同じ作家の作品を何冊も訳していると、その作家個人をよく知っているような気になるもの。今月上旬に来日したジェフリー・ディーヴァーさんは、作品から想像していたとおりの人だった。誠実で、ロマンチストで、茶目っ気があって、何よりサービス精神旺盛。まさに「エンタテインメント作家の鑑のような人」。

 10日に丸善丸の内本店で開催されたトークショーが「鑑」のいい例だ。作家を招いてのイベントといえば、最新作の一部を朗読したあと、その作品について軽くディスカッションし、聴衆からの質問に答えておしまい、というパターンがほとんど。ところが、今回はまるきり違っていた。文字どおりの「ショー」なのだ。ザ・ジェフリー・ディーヴァー・ショー。

 歓迎の拍手ににこやかに応えながら登場するなり、「ふつうなら日本で出たばかりの『ロードサイド・クロス』の話をするところでしょうが、それはしません。いったん書き上げた本について話すと、私は同じ仕事を2回することになって、なんだか損した気になりますからね」と冗談交じりに宣言したかと思うと、いつもどういった手順で執筆を進めているか——着想からアウトラインの構築、実際の原稿書き、推敲、そして完成まで、イベントタイトルそのままに「創作の秘密」を惜しげもなく大公開。

 この話のなかで何より印象的だったのは、小説の執筆はビジネスである、小説は商品であるという考えを一貫して強調していたこと。

「レバーペースト味の歯磨き粉を作ってはいけません。消費者が求めているのはミント味の歯磨き粉なんですから」

 職業作家は自己満足のために書いてはいけない。読者をはらはらどきどきさせるために書くのだ!

 かっこいいなあ。潔いなあ。だって、そのとおりのことを二十年近く続けている有言実行の人ってことでしょう? それに、芸術という側面も持つ小説を「商品」と言い切るのは、それなりの自負と自信がなくてはできないことだと思う。

 それともう一つ。ジェフリー・ディーヴァーが書いた本はかならずハッピーエンディングでなくてはならない、読者に後味の悪い思いをさせてはいけないということも強調していた。たしかに、レバーペースト味の歯磨き粉はこの点でも最悪だ。(エンディングについてのディーヴァーさんの考えは、短編集『クリスマス・プレゼント』の著者まえがきにわかりやすく書かれています。手っ取り早くは当サイトの「初心者のためのジェフリー・ディーヴァー講座」をどうぞ。http://wordpress.local/1259813556

 言葉の壁を越えて笑えるお茶目なジョークの連発を受けて、会場は涌きっぱなし。しかも、通訳も含めて1時間ほどのスピーチに、お馴染みのひねりやオチまでしっかり盛りこまれていた。まるで新作の短編をこっそり読ませてもらったみたい。会場までわざわざ足を運んでもらったからには、何が何でも楽しんでいただきますよ——そんなエンタテイナー魂を見た気がしました。

 さて、トークショーのあとの会食。相変わらずにこやかで気さくなディーヴァーさん。日本についてあれこれ質問していました。「カプセルホテルって本当にあるの? いったいどんなところ?」 メニューを眺めながら「ん? 混乱してきたな。神戸牛と和牛って別のものなの?」

 日本文化にはもともと関心が高いらしく、そのうえ料理好きだから、好物のスシを作るときは、買ってきた魚をおろすところから始めるそう。そんなの、日本人でもできる人のほうが少ないよ。

 『ロードサイド・クロス』に『攻殻機動隊』が登場していたことからもうかがわれるように、どうやら子供のころから大の映画ファンのようで、非英語圏の作品も相当数見ている様子。「『リング』はハリウッドのリメイク版より日本のオリジナルのほうがずっと出来がいい。あれは真剣に怖かったよ」と話しながら、ちょっと身震いしていたのがまたお茶目でした。

 『ウォッチメイカー』以来の編集担当N氏とのあいだでは、初期のころは「ディーヴァー」、最近では「ディーヴァー先生」と呼んだりしていたけれど、実際に本人に会って人となりを知ってしまったいまはもう、「ディーヴァーさん」としか呼べません。はるか遠い人だからこその呼び捨てではなく、冗談まじりの「先生」でもなく、かといってアメリカンに親しげな「ジェフリー」でもなく。

 だって、「〜さん」に感じる親しみと敬意がほどよく混じった響きが、なんだか本当にしっくりくるような人なんだもの、ディーヴァーさんは。

池田真紀子(イケダ マキコ)

1966年東京生れ。上智大学卒業。主な訳書にディーヴァー『ロードサイド・クロス』、バゼル『死神を葬れ』、キング『トム・ゴードンに恋した少女』、パラニューク『ファイト・クラブ』、マドセン『カニバリストの告白』、アイスラー『雨の牙』など多数。

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