前回の掲載のあと、さすがに第一回なものだから反応が恐くて一応友人には尋ねてみるわけですよ。「ど、どうだった?」と。すげえビクビクしながら。

 で、意外に多かったのが「あのコージー・ミステリってやつ、何なの?」という肩すかしを食らう反応で。

 いや、うーん。そのセリフはねー。私が言いたいところなのですよ、本当は。

 まあでもこれはコージー・ミステリ自体の認知度が低いだとかそういう問題ではなさそう。口頭である程度説明したり、最悪Wikipediaでコージー・ミステリの項目を見せたりすれば「ああこういうジャンルがあることは知っている」と、ある程度ミステリを読む人間ならば納得してくれるので。

 だからコージー・ミステリそのものがどうこうというより「コージー」という言葉がそこまで一般に浸透していないのではなかろうかと危惧したわけですが、えー、つまり何が言いたいかというとですね。もしこの連載を読んで「コージーって何ぞ」と思われた方は仕方がないので、えーと、えーと、各自検索! 翻訳ミステリー大賞シンジケートのサイトを覗きに来るような方であれば、大抵はどういったものかおわかりになる、はず、です。

 こ、こんなんで本当にいいのかしら。しかしコージーをほとんど読んでいない私が「いいですか! コージー・ミステリというのはですね!」と説明するのも変な話なのでお許しいただきたい。

 というわけで今回の課題作は引き続き「主婦探偵ジェーン・シリーズ」の中から第五作、『忘れじの包丁』ジル・チャーチルである。ただしこれ、自分の習い性というか、シリーズは出来る限り順番に読まねばならん! という強迫観念のもと二〜四作目も読了済みでの感想であることを最初に付記しておきます。

【おはなし】

 ジェーンの家の裏手はただの原っぱ。だが今日から数日は映画撮影のクルーでいっぱいになる。撮影現場の疫病神と噂される女優リネット・ハーウェルの主演再起作が家の裏手で撮られているのだ。ジェーンも子供たちも初めて目にする撮影現場や本物の俳優に大興奮。そして裏庭を機材置場としてクルーに貸していることもあり、ジェーンは現場に出入りできることに。

 当然、好奇心丸出しで撮影現場をウロウロしているジェーンだったが、何者かが脅迫しているセリフを漏れ聞いてしまって、それ以降撮影現場がどうも気になる。監督と主演男優はどちらも共にリネットの元夫。おまけにこのリネット、ジェーンの死別した夫の不倫相手でもあったのだ! これで何かが起きないわけがない。案の定、小道具主任ジェイクの死体が発見され……。

 まず言っておかなければならないことが一つ。前回テンポが悪いと書いた記憶があるけれど、二作目以降はすごく改善される——というかテンポはむしろいい類いでしょう。五作目までしか読んでないけど。

 これはなぜかというと、一作目『ゴミと罰』は主人公も主婦、容疑者も主婦、というある意味では主婦の日常を延々描く作品だった。同じような光景ばかりでテンポももたついて感じられる。で、これが一転、二作目以降では必ず非日常の要素が入ってくる。二作目では大富豪の親子が自分の家に泊まりに来る、三作目では母親と自伝執筆講座を受けにいく、四作目ではお隣さんのシェリイの同窓会、五作目では言うまでもなく映画の撮影。となればジェーンの主婦としての日常の風景と、作品ごとの非日常の風景がコントラストを成し、メリハリがつく。そしてそれぞれの作品の非日常側もかなり取材して書いているようで、そちらだけでも興味深く読めるのもグッド。

 要するに家に帰れば子供を叱りつけるお母さんが必ず変な事態に巻き込まれてアタフタしているのを見るのが楽しいと。そういうことなので一作目で肌に合わないな、と思った人も二作目まで読んでみましょう。*1

 本題の『忘れじの包丁』の話に戻りましょう。ええと、ミステリ的にすごい見るべきところがあるかというと、そこまではない。というと誤解を生むかもしれないけれど、これは二作目から構造が変化していないせい。もちろんミステリ的な興味の引き方、伏線、意外な犯人というのはある程度押さえている安心と信頼のクオリティなのだけれど、非日常ではなく日常のシーンに手がかりと真相に気付くキッカケを配置して、最後にジェーンがそれに気づけば解決、という構図は一切変わっていない。

 で、こういうマンネリズムを私が嫌いかというと、実は好きだったりします。いいじゃないですか、手持ちのネタの見せ方を変えて読者を楽しませてくれる作品。多分これ、80年代後半から始まるアメリカの長寿シリーズの特徴だと思うのだけれど。例えば〈スタンリー・ヘイスティング〉シリーズのパーネル・ホール『探偵になりたい』*2が1987年、〈スケルトン探偵〉シリーズの作風が確立するアーロン・エルキンズ『古い骨』も1987年(第一作『Fellowship of Fear』は82年)。で、ジル・チャーチル『ゴミと罰』が1989年。まあ前提として長く続くだけあってお話としてとても楽しい、というのはあるんだけどこのあたりは割りと好きです。

 しかしこういうライトなミステリのシリーズ、なんで今あんまり見かけないんのだろーか(スケルトン探偵シリーズは続いてるけど)。私が子供の時分は海外ミステリの入門的な立ち位置で読んでたはずなのだが、はて*3。……実は私の目に触れていないコージーのほうで引き継がれていたりするのか?

 しかしこの作品、シリーズの中では結構転機となる作品ではないかしらん。というのは今までのジェーン(主人公ね)って単に好奇心だけで事件を調べているのだけれど、この作品に来て初めて自分の理由で捜査を始めるのだ。

 ジェーンが捜査を始める理由だけれど、それは簡単。撮影現場の殺人事件で捜査にかかりきりになりそうなジェーンの恋人、メル・ヴァンダイン刑事と週末お泊りデートに行きたいから! という実にくだらな……説得力のある理由なのである。

確かに興味深い経験ではあったが、もう疲れた。裏庭を返してほしい。普段の生活を返してほしい。まぐろのキャセロールができていく匂いを嗅ぎたい。猫たちを放してやりたい。普段の自分に戻りたい。

 そしてジェイク殺しが解決されるのを見たい。メルとの週末が実現するように。

 そう、非日常の世界から自分や子供の日常を取り戻したいというのも当然あるわけだけれど、今まで一応つきあってますよ、くらいだったヴァンダイン刑事の存在がこの作品で急にデカくなるのだ。この作品のテーマの一つは「ヴァンダインとお泊りすることをどうやって子供たちに話そうか」という母親としてのジェーンと女性としてのジェーンの間で葛藤するところにあって、だから死別した夫が女優と不倫していたことが子供にバレちゃったりする。これはうがった見方をすれば父親だって不倫してたんだから自分だって女性であっていいでしょ、という免罪符のようにも見えてしまうのだけれど、実はこの母親と女性の役割の間での葛藤というのは一作目『ゴミと罰』の中でも大きく扱われているポイントで、そういう意味でも原点回帰、転機の一つとなった表れかな、と。

 んで、散々勿体振ったのだが、何がシリーズの転機かってここからヴァンダイン刑事とのロマンスが加速するんじゃないの? と単にそれだけなんだけれど。五冊も使ってやっとかよ、四十前のいいトシこいた大人がめんどくせえなあ、とか思って……いやーでもなんか、ロマンスも大事なんですよね。多分コージー的には。

 あ、ちなみにこのヴァンダイン刑事、毎回赤いMGに乗って颯爽と現れるのですが、このMGという自動車メーカーが現在の日本ではあまりメジャーではないことを鑑みて補足を。

 MGはイギリスの自動車、特にスポーツカーのメーカーで代表車種はMGB。1960年代アメリカではライトウェイトスポーツカー(軽くてスポーティ、かつ安価な車種)のブームが来るわけですが、この代表格がMGBです。62年から80年まで長期間にわたって生産され、世界で50万台以上を売り上げたというこの車ですが、オープンカーで座席が二つしかしかなくて、しかも赤い! とくればヴァンダイン刑事のような独身者の象徴みたいな車だってことですね。

コージーについて今回まででわかったこと

  1. コージーは日常の描写に重きが置かれ、その日常と非日常の混ぜ具合がキモとなる。
  2. コージーの主人公は詮索好き。
  3. でもさすがに詮索好きというだけでは捜査しないこともある。
  4. そういえばペットの中からいつの間にかハムスターが消えた。
  5. 猫好きに悪い人はいない。
  6. コージーにロマンスはつきもの。
  7. コージーのロマンスはなかなか進まない。
  8. 四十前のいいトシこいた大人の恋愛もなかなかめんどくさい。

そして次回でわかること。

それはまだ……混沌の中。

それがコージー・ミステリー! ……なのか?

小財満判定:今回の課題作はあり? なし?*4

あり

コージー番長・杉江松恋より一言。

 作品の中の恋愛要素に気づいたようですな。展開が緩いって言うけどさ、大人の関係ってそういうものじゃないの?(スペンサーとスーザンを見よ) 高校生じゃないので、告白→即付き合えてラッキー、というわけにはいかないのよ。で、正直2〜4作目は読んでくれることを別に期待していなかったのだけど(飛ばして読まなくてもいいように作品を選んだので)、まあそれだけシリーズの勘所を押さえてくれたら言うことはなしです。よし、主婦探偵ジェーン・シリーズは終了! ちなみに作品はこのあとも続いていくので、読者のみなさんは関心があったらどうぞ。

 さて、次の指示を出します。J・B・スタンリー『ベーカリーは罪深い ダイエットクラブ1』(RHブックスプラス)、行ってみようか!

20101109215848.jpg

小財満

ミステリ研究家

1984年生まれ。ジェイムズ・エルロイの洗礼を受けて海外ミステリーに目覚めるも、現在はただのひきこもり系酔っ払いなミステリ読み。酒癖と本の雪崩には気をつけたい。

過去の「俺、このコージー連載が終わったら彼女に告白するんだ……」はこちら。

*1:実際私、杉江さんから指定がなければこのシリーズの続きを読むの止めるつもりでした。てへ。一作目はまあ面白いけど……くらいで。今はシリーズ全部読んでおこうかなって。

*2:そういえば十四作目の『休暇はほしくない』の原題は“Cozy”。多分別にコージー・ミステリじゃないと思うんですが。

*3:例えばディーヴァーやコナリーなんかはシリーズで目につきやすいところにあるけど、話がちとヘヴィだし、文庫上下巻だったり。

*4:この判定でシリーズを続けて読むか否かが決まるらしいですよ。その詳しい法則は小財満も知りません。