今回は、「よい翻訳、すぐれた翻訳とはどういうものか」というテーマで、7人の翻訳者が書いてみました。こんなふうにお題を決めて書くということを、今年はときどきやっていく予定です。なお、メンバーの一員、田口俊樹の文章のみ、長大なので午後に掲載させていただきます。

 横山啓明

 読者のほうを向いた訳文ですね。なんといっても、読者のみなさまあってのわれわれですから。原文の息吹を伝える努力をするのは当たり前ですが、最終的には読む人がどう受けとるか、それが重要だと思っています。

 人の心をつかむことができる文章(理想ですね!)というのは、そういうところから生まれてくるのではないでしょうか。

 翻訳は、音楽でいうとカバー曲みたいなものだと思います。原曲を超えるカバー曲もあるように、原作を超えてしまう翻訳があってもいいのかもしれません。しかし、それは目指すものではなく、結果として出てくるものでしょうね。極力自分を殺していき、最後に寄りどころみたいのが残って、そこから訳文が生まれて突き抜けてしまう、そんな感じでしょうか。

(よこやまひろあき:AB型のふたご座。音楽を聴きながらのジョギングが日課。主な訳書:ペレケーノス『夜は終わらない』、ダニング『愛書家の死』ゾウハー『ベルリン・コンスピラシー』アントニィ『ベヴァリー・クラブ』ラフ『バッド・モンキーズ』など。ツイッターアカウント@maddisco

 鈴木恵

①理想は、日本の作家が書いたのではないかと思える文章、日本語として味読できる文章。平井呈一訳の『怪談』とか。まあ、あれは舞台が日本なので、それだけでもかなり有利ではありますが、それにしてもすばらしい。

②翻訳技術的には、読者に無用の負荷をかけない文章、読んでいけばそのまますんなり頭に入る文章。それには、作者の発想したとおりの順序で訳すのが吉。ということで、大雑把に言えば、尻からではなく頭から訳した文章。

③好みを言えば、バカ丁寧ではない翻訳。足し算ではなく引き算の翻訳。足し算の翻訳は輸入ミステリーのメタボ化を増幅するのではないか。

 なんだかアンケートの回答みたいになっちゃいましたね。書いててマジで肩が凝りました。

(すずきめぐみ:文芸翻訳者・馬券研究家。最近の主な訳書:『ロンドン・ブールヴァード』『ピザマンの事件簿/デリバリーは命がけ』『グローバリズム出づる処の殺人者より』。最近の主な馬券:なし orz。ツイッターアカウント@FukigenM

 白石朗

 読者としてのぼくにとって“いい翻訳”の目安のひとつは、“登場人物表を参照する回数が少ない翻訳”です。ミステリをふくむエンターテインメント限定ですが、主要人物が多く関係も複雑な作品でもあまり人物表を参照せず一気通読できれば、いい翻訳だなあ、と思います。

 翻訳ものの登場人物はおおむねカタカナ名前のうえ、愛称や血縁関係や職業・社会的立場で示されることも珍しくない。エリザベス・サッターさんがリズやリジーになり、ミセス・サッター/ポールの奥さん/ジョンの母/ケイトの姉/マリーの姪/ピーターの伯母/編み物クラブ会長/副社長夫人などなどになる世界です。もちろん作品のなかで意味がある呼称であり、作者の意図ゆえの表現にはちがいない。しかし、これが本朝読者にハードルになることも事実。だからこそ意図を損なわない範囲で多少の交通整理を翻訳の一部にしていいんじゃないか。ほら、江戸前寿司の「仕事」です。魚の味を生かしつつ手間をくわえ、おいしさを際立たせるわけですね。

 で、この面で「仕事」をしている翻訳は他のあれこれのハードル要素でも見えない手間をかけているもの。だから読者としては目安のひとつであり、訳者としては目標のひとつでもあります。

(しらいしろう:1959年の亥年生まれ。進行する老眼に鞭打って、いまなおワープロソフト「松」でキング、グリシャム、デミル等の作品を翻訳。最近刊は『デクスター 夜の観察者』。ツイッターアカウント@R_SRIS

 越前敏弥

 作者が日本語を知っていたらそう書くと思われるように訳す。それこそが唯一正しい翻訳であるという考えは、自分が学習者だったころからまったく変わっていません。これは特に目新しい主張ではなく、たしか森鴎外も似たことを言っていたはず。

 その一方で、原書と訳書の関係はシナリオと演出の関係に近いとも思っています。演出のしかたは人によってそれぞれちがって当然で、そこに個性が表出するわけですが、だからといって最初から個性的であろうとする必要はない。

 翻訳というのは日本語の表現力がいちばんの決め手になる仕事に見えますが、実は原典をどれだけ深く読みこむかで8割がた勝負がついているのかもしれません。

(えちぜんとしや:1961年生。おもな訳書に『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』『検死審問ふたたび』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり。ツイッターアカウント@t_echizen

 加賀山卓朗

 原文と力を合わせて、読者を楽しませる訳……かなあ。でも心の底では、大先輩の小鷹信光さんがどこかで言っておられた「原文は参考にする程度」(記憶ちがいだったらすみません)の境地をめざしています。

(かがやまたくろう:ロバート・B・パーカー、デニス・ルヘイン、ジェイムズ・カルロス・ブレイク、ジョン・ル・カレなどを翻訳。運動は山歩きとテニス)

 上條ひろみ

 原書の内容や文体にもよりますが、エンタテインメントの場合は、とにかく読みやすいことだと思います。読みやすければ内容に集中できるから。原文の性格によっては、文体を味わってもらうためにあえて引っかかることを意識した訳にすることもあるけど、基本としては、謎解きに夢中になっている読者のじゃまをしてはいけない、と。

 とくにわたしが気にしているのは語順。すごく長くて、すごく難解な内容なのに、読んだときすんなり頭にはいる文章というのは、語句の配置が的確です。あと、物語の流れを意識することも、読みやすさにつながります。そういう翻訳に出会うと、うまいなあ、と思うし、自分がそうできたときは、翻訳っておもしろいなあ、と思います。まあ、言うは易しなんですけど。

(かみじょうひろみ:神奈川県生まれ。ジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ・シリーズ〉(ヴィレッジブックス)、カレン・マキナニーの〈朝食のおいしいB&Bシリーズ〉(武田ランダムハウスジャパン)などを翻訳。趣味は読書とお菓子作り)

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