先日、遅まきながら、ジル・チャーチルの『風の向くまま』を読みました。ニューヨークの安アパートで赤貧生活をしている兄妹に、ある日突然、大伯父が残した巨額の遺産相続の話が舞いこむのだけれど、相続対象である屋敷に10年間住むことという条件がついていて……。あれ、時代はちがうけれど、似たような設定の話を前にも読んだ気がするなあ、と思い出したのが今月ご紹介するアーリーン・ファウラーの MARINER’S COMPASS。アメリカのフォークアートをこよなく愛する学芸員、ベニ・ハーパーを主人公とするシリーズの6作めにして、2000年にアガサ賞最優秀長篇賞を受賞した作品です。

 本国アメリカでは今年の5月に15作目の刊行が予定されている息の長いシリーズですが、残念ながら日本では未紹介。未訳シリーズの6作目をいきなり紹介するのもなんですので、まずはシリーズについて簡単な説明をば。舞台となるのはカリフォルニア州中部にあるサン・セリーナという小さな町。主人公のベニ・ハーパーは30代半ばで夫を亡くし、それをきっかけに家族で経営していた牧場を出て、以来、民俗美術博物館で学芸員として働いています。私生活では、1作目の FOOL’S PUZZLE で知り合った警察署長のゲイブと2作目の IRISH CHAIN のラストで電撃的に結婚し、勝手のちがう警察官との結婚生活にとまどいながらも、あらたな幸せを噛みしめているといったところ。

 内容的には典型的なコージー・ミステリらしく、毎回ベニが殺人事件に巻きこまれ、素人探偵としてあれこれ調べてまわるというおなじみのパターンが繰り返されますが、このシリーズの最大の特徴はパッチワークキルトが効果的な小道具として登場する点。必ずしも事件を解く鍵になっているわけではありませんが、母から子へ、子から孫へと伝えられるキルトにこめられた作り手のさまざまな思いにじんとさせられ、このシリーズの大きなテーマである家族愛というものがひしひしと伝わってきます。

 というわけでいよいよ本題。

 冒頭で触れたように、MARINER’S COMPASS は主人公のベニに遺産相続の話が降ってわくところから始まります。心臓発作で亡くなったジェイコブ・チャンドラーの遺言によって、彼の自宅が贈られることになったのですが、ベニにはそのチャンドラーなる人物にまったく心あたりがありません。しかも遺言には、2週間、その家にひとりで滞在することという条件がついています。なんとも薄気味悪い話ですが、放棄すれば家は国のものになってしまいます。猛反対する夫ゲイブを説き伏せ、チャンドラー氏の家に滞在することを決めたベニですが、もちろん(?)、2週間が過ぎるのをじっと待っているはずがありません。謎の人物の素性を突きとめようと、故人が遺したメッセージを手がかりに州内のあちこちへと出かけ、彼を知る人々から話を聞いてまわります。

 しかし答えは容易には得られず、謎めいたチャンドラー氏のやり方に憤慨し、一度は相続放棄も考えるのですが、幼いときに死に別れた母がチャンドラー氏とひじょうに親しい関係にあったらしいととわかり、ベニは大きなショックを受けます。真実を知りたい気持ちと知るのが怖い気持ちとのあいだで揺れながらも、ベニはさらなる調査を進めるのですが——。

 思いきり簡単にあらすじをまとめましたが、おわかりのとおり、これはシリーズのなかでも異色作で、殺人事件は起こりません。チャンドラー氏とは何者なのかという素朴な疑問が、母に対する疑問、ひいては自身の出生に対する疑問へとつながっていき、心を激しくかき乱されながらも、その謎に果敢に対峙しようとするベニの姿をていねいに描いた物語です。と同時に、サスペンス要素もしっかり盛りこまれています。なにしろこのチャンドラー氏、最初から死んでいるので本人が登場するシーンはひとつもないのですが、怖いです。ひたすら怖い。

 ベニが初めて彼の家に足を踏み入れるときのこと。なんとなく手に取った木彫りの馬が、昔乗っていた馬にそっくりで驚くシーンがあります。よく似ているなんてレベルを超えて細かな特徴まで再現されているうえ、裏面にはベニがつけた名前までちゃんと彫ってある。なぜこんなことを知っているの? 不思議に思いながらさらに調べると、ベニの記事ばかりを集めたスクラップブックが見つかります。前夫が交通事故で亡くなったときの新聞記事や、彼女がはからずも関わった過去の殺人事件を報じる記事、いまの夫ゲイブと結婚したときの記事などがしっかりスクラップされているのです。ぞっとしませんか?

 とまあ、万事がこんな具合で、物語が進めば進むほど、チャンドラー氏の存在はますます不気味になっていき、さらにはベニの身に危険が迫るのですが、すべての謎が解けた先には大きな感動が待っています。チャンドラー氏が仕掛けた謎解きごっこの理由には胸がつまります。チャンドラー氏の正体がわかったとき、ベニは初めて、母の思いに触れることになります。幼い娘を残してこの世を去らねばならなかった母の無念さには、涙しかありません。

 ファウラーの小説は、ひとことで言えば「地味」。エキセントリックな人物は登場しないし、さりげないユーモアやおもしろいやりとりにくすりとさせられはするものの、ユーモア小説と言えるほどでもありません。サスペンスもユーモアもすべてが「ほどほど」なのです。へたをすれば可もなく不可もない、ゆるいだけの話になりがちな書き方ですが、ファウラーの場合はその「ほどほど」かげんが絶妙で、いちばんのテーマである家族愛をきわだたせることになり、やみつきになることまちがいなし。つい次の作品もと手を出してしまいます。また、登場人物をとおして語られるパッチワークキルトの世界に魅了されて、自分でもやってみたくなります。やってみたくなるだけですけどね。

アーリーン・ファウラー公式サイトhttp://www.earlenefowler.com/

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東野さやか(ひがしのさやか)ジョン・ハートやウィリアム・ランデイの重厚なミステリのほか、ローラ・チャイルズのコージー・ミステリも手がける。洋楽好きでアイドル系からヘヴィメタルまで雑食的になんでも聴く。座右の銘は「生涯ミーハー」。

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