——しばらく会わないうちに、白髪増えましたね。あ、訳書も。

白石 いや、坂本教授の若白髪が羨ましかったからいいんだ……って、白髪はともかく、ジェフ・リンジーのシリーズ3作め『デクスター 夜の観察者』でちょうど百冊。原書1冊=訳書1冊で数えたら百冊になっていたのね。ここまで来られたのもみなさんのおかげ、ありがたいことです。

——(リストを見ながら)1冊1冊が薄い『グリーン・マイル』を6冊に数えたあたりが水増しっぽいですね。合本版はカウントしてないみたいですし、もう新刊書店では手にはいらない本なんで、あんまり突っ込んでも意味ないんですけど。

白石 いや、『グリーン・マイル』6冊の二倍の長さがある本も1冊にカウントしてるから。向こうはどれほど厚い本でも、基本は1冊本で刊行でしょう? 2000枚超のネルソン・デミルだってジーン・アウルだって——

——(きいていない)本題にかかりませんか? この訳書リストを見ると、わりと最初のころからモダンホラー系の作品の翻訳がちらほらありますよね。『戦慄のシャドウファイア』のディーン・R・クーンツとか『スティンガー』のロバート・マキャモンとか。このころからモダンホラーに目をつけてたわけですか。

白石 キングは大学時代から読んでいたけれど、クーンツやマキャモンを知って夢中になったのは、もう出版社に勤めていたころで、おなじ編集部にいた風間賢二氏に教わりながら読みだした感じ。同時にフランク・デ・フェリータとかジェイムズ・ハーバートとか、少し前に邦訳の出ていた“似たにおい”のする本をどっと読む。ちょうど向こうで『ウィスパーズ』『ファントム』がベストセラーになったあとだったから洋書屋でよく見かけてね。おなじ英語で読むにしても、当時の新作SFだと難渋するのに、クーンツはさすがに「読ませる」ことを主眼にしていただけあって、当社比で、すらすら読めて——

——それは英語力の問題では?

白石 (間)——で、リー・ニコルズがクーンツのペンネームという話も最初は情報通の風間さんに教えられて、高田馬場の洋書ビブロスでいかにもロマンスっぽい表紙のペーパーバックを見つけたときにはうれしかったなあ。あと渋谷の大盛堂とかでイギリス版のペーパーバックをごっそり——

——(きっぱりと)そういう昔話はいまの人にはあんまり関係ないんじゃないかと。話をもどします。たまたま知ってるんですけど、伝統的な怪奇小説はいまにいたるもあまり読んでないですよね。それがなぜ、キングやクーンツやマキャモンだったのかな、と。

白石 もともとアメリカでベストセラーになるような厚めのエンタテインメントが好きだったから。中学生のころに読んだアーサー・ヘイリーの『大空港』『ホテル』あたりが初体験。登場人物が多くて、複数のストーリーが同時進行し、それがだんだんからみあってクライマックスにいたるという現代版のグランドホテル形式みたいな小説。そのあと公共図書館で世界ミステリ全集を順番に読むかたわら、そういった新しめの翻訳小説を借りて読んだっけ。KKベストセラーズや角川書店や講談社の単行本。パニック映画の原作本や、ローレンス・サンダーズとかハロルド・ロビンズとかアーヴィング・ウォーレス。『人形の谷間』は、ええと……だれだったか……。

——(冷たく)ジャクリーヌ・スーザン。そのころからロマンス系の厚い本も気にしてたんですか。ひところエリザベス・ゲイジとかアイリーン・グージとかコーリン・マッカラがおもしろいとか、だれもきいてないのに話してましたよね。そうそう、ダニエル・スティールを2冊訳してましたっけ?

白石 (憮然として)そのうち1冊はきみが解説書いてくれたでしょ? それはともかくSFはそこそこファンだったし、お隣ジャンルのミステリも読んではいたけど、その手の翻訳娯楽小説も読みつづけてはいたんだよね。キングもぼくのなかではそっちの流れで読んでいたのかな。クーンツやマキャモンも。ただスーパーナチュラルな要素を最初からすんなり受け入れたのは、SFやファンタジーに親しんでいたからじゃないかな。“別れた亭主が爬虫類になってどこまでも追いかけてくる話”と骨子だけで飛びついてくる人と拒否してしまう人がいて、ぼくは幸いにも(?)前者だったという。

——その「憮然として」は誤用ですよ? 老婆心ながら翻訳ではつかわないほうが。怒られますよ?

白石 (むきになって)その「老婆心ながら」は正しいの?

——さあ。わたしは専門家ではないし、ついでにいえば老婆でもないので。……(沈黙)……話を変えて、キングとの出会いについて話してもらえます?

白石 大学に入学し、ワセダミステリクラブというところにはいった。クラブの名前は前から知っていたし。そうしたらとんでもない読書家がごろごろいて。SFやミステリだけではなく、いろんな本の話が飛び交っている。いきなりふらっとあらわれた学年不明な上級生が、「おまえさあ、『百年の孤独』読めよ」とか「井上靖は『通夜の客』だな」とか、ひとこと言って立ち去るような雰囲気。そんななかで教えられたのが、その年(1978年)に邦訳が出て、いまにいたるもいちばん好きなキング作品の『シャイニング』。当時三年生だった香山二三郎さんにパシフィカの単行本を貸してもらって……徹夜して読んだんじゃなかったかなあ。

——借り物からはじまったんですね。

白石 そのあとちゃんと買いました。で……とにかく、すげえ作家がいるな、と。当然、ほかの作品を読みたくなるんだけど、なにせ『キャリー』『呪われた町』しかないから、もっと読みたければ原書に手を出すしかない。洋書屋にいくと、短篇集『ナイト・シフト』の目玉が穴からのぞいてる原書とか、改訂前とはいえやっぱり分厚い『ザ・スタンド』の原書があって。

——でも、どうせ読めなかったんでしょ?

白石 (きこえないふりをして)そのあと『デッド・ゾーン』『クージョ』がペーパーバック落ちして入荷するのを待ちかねて、貪るように読んだのはいまでも記憶に残ってる。あのころは邦訳が刊行されるまでにいまよりもタイムラグがあって。『ファイアスターター』は、ハードカバーで読んでいたクラブの先輩の宮脇孝雄さんに無理をいって貸してもらったんだ。

——また借り物ですか。はあ。

白石 借り物ついでにいえば、風間賢二さんには新婚旅行で買ってきた『ペット・セマタリー』のペーパーバックを貸してもらったんだ。ご本人がまだ読んでいないまっさらの本を。そのせつはありがとうございました。リチャード・バックマンがキングの変名だという話も風間さんに教わったんでした。これまたありがとうございました。

——ここでいわなくても。ええと……(おざなりな口調で)前にもさんざんきいた気がするんですけど、旅行の土産物といえば、たしか『IT』は……。

白石 ニューヨークのいまはなきサイエンス・フィクション・ショップで発売まもないでっかいハードカバーを買って、帰りの飛行機で読みはじめた覚えがある。風間さんが先にお読みで、いろいろとお話をうかがっていたから早く読みたくてたまらなかった。読みおえたときには……って、あの作品をお読みになった方ならおわかりのように……茫然自失ですよ。

——そのときもまだ、アメリカのベストセラーの枠組みでとらえていたんですか?

白石 いや、もうこの作家はジャンルの枠とは関係なく、しいていうなら「スティーヴン・キング」という枠に入れるしかないかな、と漠然と思うようになっていたかな。ただ、のちのち大傑作『アトランティスのこころ』を経由して『リーシーの物語』にまで行きつき、そこから『アンダー・ザ・ドーム』になるとは予想もつかなかったけど。それで、この作品の話なんだけど——

——(あっさり出鼻をくじいて)だいたい、キングほどの作家の先を予想しようというのがおこがましい。ま、最近のキングや『アンダー・ザ・ドーム』の話は機会をあらためません? きょうはなんだか疲れてしまいました。

白石 ……そういうことならね。つぎはもう少しミステリ寄りの話をきいてくれる?

——そのとき次第にしますね。とりあえず、きょうはお疲れさま。わたしのほうが疲れました。

白石 朗(しらいしろう)1959年の亥年生まれ。進行する老眼に鞭打って、いまなおワープロソフト「松」でキング、グリシャム、デミル等の作品を翻訳。最近刊はマルティニ『策謀の法廷』。ツイッターアカウント@R_SRIS