先頃、アルベール・デュポンテル監督兼主演による映画化作品(2017年)が公開されたばかりの『天国でまた会おうAu revoir la-haut)』(2013年)は、『その女アレックスAlex)』(2011年)で日本でも一躍人気作家となったフランス人作家ピエール・ルメートルの同名作品が原作だった。フランス一権威のあるゴンクール賞を受賞するなど評価の高かったこの原作は、〈世界大戦三部作〉の1作目として書かれたもので、第2作となる『炎の色Couleurs de l’incendie)』(2018年)もすでに発表されている。
 セザール賞5部門受賞したこの話題の映画で自ら共同脚本も手掛けているルメートルだけれども、もちろん、作家としての代表作はというと、『その女アレックス』を含む、パリ警視庁犯罪捜査部班長であるカミーユ・ヴェルーヴェン警部を主人公とするシリーズ。『その女アレックス』以前に、『死のドレスを花婿にRobe de marie)』(2009年)が邦訳紹介されているのだけれど、これは小説家としての第2作にあたる。それ以前に発表されたデビュー作『悲しみのイレーヌTravail soigne)』(2006年)、『その女アレックス』、そして『傷だらけのカミーユSacrifices)』(2012年)から成るのがこのシリーズ三部作で、その特徴はというと、作品それぞれの色合いがまったく異なることだろう。
 TVでも映画でも小説でも、シリーズ作品の人気を獲得する秘訣は、ひとつには水戸黄門的なクリシェ。様式美ともいえるほどのお決まりのパターンに安心する数多くの読者に支持されることだけれども、ヴェルーヴェン警部のシリーズは、それをことごとく裏切る作りだ。シリーズを通して、身長145センチという極端に小男で個性的な警部のプライベートに大きく関わる事件が描かれていくのだが、その作風はそれぞれ異なる。
『悲しみのイレーヌ』は、名作ミステリーの殺害方法を模倣した連続殺人というメタ・ミステリー的なアプローチで仕掛けも大がかり。『その女アレックス』は三部構成でそのそれぞれが違った顔を見せ、しかもアレックスというヒロインそのものが謎となっていき、宮部みゆきの代表作『火車』を想起させたりする。『傷だらけのカミーユ』は、冒頭いきなり衆人環視のパサージュを舞台に強盗による凄惨な犯行が描かれ、ヴェルーヴェンの恋人アンナが瀕死の重傷を負う。ここでは、シリーズ全篇を通しての伏線も巧妙に張りめぐらされていることが判明。うーん、口にできないもどかしさ。これはもう、読んでいただくしかない。


 シリーズものに新たな潮流をつくり上げたヴェルーヴェン・シリーズ。さらに最後に書き足されたもうひとつのストーリーが、『わが母なるロージーRosy & John)』(2013年)である。第2作『その女アレックス』とシリーズ完結篇にあたる第3作『傷だらけのカミーユ』(2012年)のあいだに起きた事件として書かれた、いわば番外篇ともいえる中篇で、ルメートル自身も「読者への贈り物」だと語っていて、これ以上はシリーズの続篇を書かないつもりだとも明言しているという。

 先に紹介された三部作と同様に、登場人物名と日本語の組み合わせによる邦訳タイトルがつけられているけれども、これはもちろん日本の版元の意図的なもの。海外ミステリー好きならばお気づきのように、ジェイムズ・エルロイの自伝『わが母なる暗黒My Dark Places)』(1996年)の邦題とリンクさせたものでもあるのだ。シリーズ第1作『悲しみのイレーヌ』での“名作ミステリー模倣犯罪”の最初のテキストに選ばれた作品がエルロイの『ブラック・ダリアThe Black Dalia)』(1987年)だったことからも、ルメートルがエルロイに並々ならぬ敬意を抱いていると想像できる。
 実際には、『わが母なるロージー』の原題は Rosy & John で、フランスを代表するシンガー・ソングライターで俳優でもあったジルベール・ベコーの1964年のヒット曲「ロージーとジョン(Rosy and John)」から取られている。
 ジルベール・ベコーというと、水玉のネクタイ、脚を1本切り詰めて傾けさせたピアノでの弾き語りなどで知られ、“ムッシュ10万ボルト”の異名を持つほどバイタリティに富んだパフォーマンスで人気を博した。代表曲「神の思いのままに(Je T’appartiens)」や「そして今は(Et Maintenant)」は英語版の歌詞がつけられて、エヴァリー・ブラザーズ、アンディ・ウィリアムズ、ボブ・ディラン、エルヴィス・プレスリー、サム&デイヴ、ロバータ・フラック、ロッド・スチュアート、ジュディ・ガーランド、コニー・フランシス、ベン・E・キングといった、数多くの錚々たるアーティストによってカヴァーされた。全米ヒット曲「セプテンバー・モーン(September Morn)」(1979年)でタッグを組んだシンガー・ソングライターのニール・ダイヤモンドが主演した映画『ジャズ・シンガー(The Jazz Singer)』(1980年)のサウンドトラックでは、ふたたびコンビで「ラヴ・オン・ザ・ロックス(Love on the Rocks)」を共作し、大ヒットさせている。惜しくも2001年に逝去したけれど、生涯に400曲以上もの作品を世に送り出したという。俳優としても映画『遥かなる国から来た男 (Le Pays D’ou Je Viens)』(1956年)の主演をはじめ、7作に出演している。

 さて、タイトルにまで使われているこのベコーの「ロージーとジョン」が、本作においてどのような意味を持っているのかは後に語ることにして、まずはざっとあらすじを。
 ロス・トーマスのMWA賞最優秀長篇賞受賞作『女刑事の死Briarpatch)』(1984年)ではないけど、物語はいきなりの爆発から幕を開ける。
 パリの街中で起きた爆破事件。まもなく犯人の青年ジャンが警察に出頭してくる。そして、メディアでその活躍を知っていたヴェルーヴェン警部以外とは誰とも話さないと告げる。警部が聞かされたのは、ほかにも6つの爆弾を仕掛けてあって毎日ひとつずつ爆発するようセットしてあるということ。それを阻止したければ彼の要求をのまなければならないということ。収監中の母親ロージーと自分を釈放し、4万ユーロの金とともにオーストラリアへ運び新たなIDを与えること。だが、そもそもロージーが服役することになった罪状は、ジャンの婚約者を轢き殺したことによるものだった。しかも、ジャンの本名はジョンで、ロージーが名付けたその名前を嫌ってジャンと名乗っていたのだ。それほどまでに憎んでいるはずの母親を救い出そうとすることに、ヴェルーヴェンは合点がいかなかった。ジャンのほんとうの狙いはいったい何なのか。真意を探れないまま次々と爆破は続いていき、要求をのまざるをえなくなることに。そして明かされることになるのは、切なく物悲しい驚愕の真実だった。

 タイトルのみならず作品全体の隠れテーマと言ってもいい「ロージーとジョン」の歌詞は、ベコーの盟友である作詞家モーリス・ヴィダランによるもの。
 アーティストだかダンサーらしき男ジョンが舞台上から立見席にロージーの姿を見つける。ポスターを見て駆けつけてくれたのかい? かつては“ロージー&ジョン”のコンビだったのが今ではピンだけど、前より出来はいいだろ? 観客に向かって言う。彼女はロージー、妻だった女性で、おれたちは最高のデュオだったんだと。そりゃ別れて一人暮らしになってから部屋は広すぎるけど、二人のときは窮屈だった。いまじゃ自分で料理もするし着替えもちゃんとしてる。でも、ほかの連中よりも愛し合ってた、最高のデュオだったんだ、“ロージー&ジョン”はね。でもまあ、それが人生ってもんだからね。
 別れてもなお未練の残る男女のストーリー。『わが母なるロージー』の作中では、ロージーの父親が大のベコー・ファンで、この歌にちなんで娘にそう命名し、ロージーもまた息子にジョンと名付けた。そして、自分のもとを去っていった夫の代理であるかのように息子を溺愛してきたのだ。
 そう、問題は母と子の関係だ。『わが母なるロージー』解説の吉野仁氏が指摘しているように、ルメートルがヴェルーヴェン警部のプロフィールに亡き母という翳を投げかけたのも、本作のジャンとロージーの関係を描こうとしたのも、それに囚われているからに違いないだろう。彼が私淑するエルロイがずっと抱えてきた闇が行き場のない喪失感からだったのかは不明だが、それを目の当たりにして心を射抜かれたのは想像に難くない。
かつて英国の文芸誌『グランタ』の表紙に少年時代のエルロイの写真が載せられたことがあった(『わが母なる暗黒』の単行本・文庫カヴァーに使われているのと同じ写真)。母親が殺害されたことを警官が告げに訪れたときのものだ。呆然としているというより無といったほうが似合う、大柄な少年の虚ろな表情。そのイメージがジャンの人物造型と重なるように思えるのは、穿った考えだろうか。

 じつは、ルメートルの他の作品で、音楽の使われ方に重点が置かれているようなものがあったという記憶がない。とはいえ、わずかに登場させる音楽にも多分に象徴的な意味合いを持たせているように思えるので、触れておこう。
その女アレックス』の冒頭で、その直後に男に拉致されることになるヒロインがMP3で聴く曲が、「ノーバディーズ・チャイルド(Nobody’s Child)」。サイ・コーベン&メル・フォリー作のカントリー・ナンバーで、オリジナルのレコーディングはハンク・スノウ&ヒズ・レインボウ・ランチ・ボーイズが最初(1949年)。その後、1969年にカレン・ヤングがカヴァーし英国で大ヒットを記録。さまざまなスタイルでカヴァーされた有名曲なのだけれど、どのヴァージョンをとってもヒロインのアレックスのキャラクターからして好んで聴きそうには思えない。つまり、ヒロインの孤独なバックグラウンドを暗示させるために、曲調よりもタイトルも含めての歌詞に意味を持たせて使用したように思われる。
“わたしは孤児、抱きしめてくれるママもパパもいない……”

傷だらけのカミーユ』では、恋人アンナがヴェルーヴェンの自宅でロシア語が刷り込まれた彼愛用のマグカップを見つける。記されているのは、プーシキンの小説を原作としたチャイコフスキーの歌劇『エフゲニー・オネーギン(Евгений Онегин)』の一節である。主人公オネーギンは友人のレンスキーに田舎の農村へ連れてこられ、紹介された美人姉妹の姉タチアーナに一目惚れされるが拒絶してしまう。そもそも辺境の地へと自分を引っ張ってきたレンスキーへの嫌がらせから彼の恋人である妹のほうにちょっかいを出して、友人同士で決闘をする羽目になり、結果、レンスキーを殺してしまうことになる。やがて美しく年齢を重ねて公爵夫人となったタチアーナに再会したオネーギンは今度は彼女に恋い焦がれることになるが、今度は彼女に拒絶され一人取り残される。ことごとく充たされることのない孤独感は、ヴェルーヴェンの抱える想いそのものと言えなくもない。

わが母なるロージー』に話を戻そう。ネタばれだと謗られようとも言ってしまおう。このラストのダンス・シーンは、おそらく近年の海外ミステリー作品のなかでもっとも美しく印象的なものだと。
“誰よりも愛し合っていた、ふたり/お似合いだった、ロージーとジョン……”
 場違いなほど能天気に明るい、若かりし日のベコーの歌声とあいまって、その静止画のような不思議な情景の意味するものは、切ないこと、このうえない。

◆YouTube音源
“Rosie and John” by Gilbert Becaud

*1964年発表のシングル「ロージーとジョン」。

“Rosie and John” by Gilbert Becaud

*こちらは同じくジルベール・ジコーの「ロージー・アンド・ジョン」だが、1988年のオランピア劇場でのライブ映像。アレンジを変えて上階席に向かって語りかけるように歌う。ステージ上には傾けさせたベコーの有名なピアノが。

“Nobody’s Child” by Karen Young

*『その女アレックス』でヒロインが聴いていた「ノーバディーズ・チャイルド」。もともとは1949年にハンク・スノウがレコーディングしたカントリー・ソングだが、1969年にカレン・ヤングがカヴァーして英国でヒット。トラヴェリング・ウィルベリーズのカヴァーも知られている。

“What Now My Love” by Elvis Presley

*ジルベール・ベコーの代表曲「そして今は(Et Maintenant)」をエルヴィス・プレスリーがカヴァーした(英題:What Now My Love)。コニー・フランシスやフランク・シナトラ、ソニー&シェールなど、多くのアーティストが歌っている。

“Love on the Rocks” by Neil Diamond

*長編映画として世界初のトーキーとされる映画『ジャズ・シンガー(The Jazz Singer)』(1927年)。ニール・ダイヤモンド主演による2度目のリメイク(1980年)のサウンドトラック・アルバム収録のシングル・ヒット曲が、この「ラヴ・オン・ザ・ロックス(Love on the Rocks)」。「セプテンバー・モーン(September Morn)」のヒットを放ったジルベール・ベコーとダイヤモンドのコンビが手掛けた名曲。

◆関連CD
『Becaud 1953-1954/Becaud 1964-66』ジルベール・ベコー

*『Quand tu dances』(1953年)と「ロージー&ジョン」を収録したオリジナル・アルバム『Becaud』(1964年)の2枚のアルバムをカップリングした2 on 1CD。

◆関連DVD・Blu-ray
『天国でまた会おう』

*アルベール・デュポンテル監督が主人公アルベールに扮した、ピエール・ルメートルによる同名小説の映画化作品。2017年本国公開作品。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。












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