ジャック・ケッチャムというと、残虐非道な話を書く鬼畜系ホラー作家という評判のみをご存じなかたも多いだろう。この小文では、ケッチャムのそうではない面を紹介したい。

 ケッチャムの作品の多くは実際の事件を元にしている(『隣の家の少女』はバニシェフスキー事件、『地下室の箱』はフッカー事件)。効果的な改変と卓越した描写によって犯罪実話にはない深みが表現されてはいるものの、事件の経緯自体はほとんどそのままだ。鬼畜系という評判から、グチャグチャドロドロを期待して読んで、なんだ、たいしたことないじゃん、とがっかりされる鬼畜ホラーファンもいらっしゃるのではないだろうか。

 ケッチャムは、現実の暴力的な側面をそのまま、いっさいの容赦なしに描く作家なのだ。だからケッチャム作品に登場する殺人者たちは、『羊たちの沈黙』のレクター博士のような超人でも、わたしたちとかけ離れた——それゆえ安心して恐がれる——怪物でもなく、心がちょっと壊れたりゆがんだりしているだけの、どこにでもいる一般人だ。

 代表作『隣の家の少女』の最低最悪な読後感がすっかり有名になってしまったが、ケッチャムは明るめの結末の作品も書く。それが現実だからだ。主人公=あなたは、悲惨な最期を迎えることもあれば、危難を無事に乗りきることもある。それが現実なのだ。『隣の家の少女』の読後感が最低最悪なのは、現実には最低最悪な面があるからなのだ。

 また、ケッチャムは神を信じていない。英語では神をふつう、Godと最初のGを大文字にして表記するが、ケッチャムはgodと小文字で表記する。のるかそるかの決断がどっちに転ぶかは運しだい、というのがケッチャム作品の世界観なのだ。欧米のホラー作品の多くは神の存在が前提になっており、そこがキリスト教信者がすくない日本人にはいまいちぴんとこないところなのだが、ケッチャムにはそれがない。

 かといって、ケッチャムはニヒリズムにおちいっていない。人間に絶望し、ことさら人間性の暗い面を描く暗黒作家ではないのだ。ケッチャムの主人公たちはがんばる。たとえ最後に悲惨な死をとげようと、最後まで自分の力でがんばり抜く。結果はどうあれ、がんばること自体に価値があると訴えているかのようだ。特に、ケッチャム作品の女性主人公たちががんばる姿は魅力的だ。ケッチャム・ファンに意外と女性が多いのは、女性ががんばる姿に共感するからではないだろうか。また、ケッチャム作品にしばしば登場する犬と猫も、ケッチャムの、生命力への信頼の象徴となっている。

 現実の暴力的側面を直視する勇気のあるかたには、翻訳されている十冊の作品すべてを読んでいただきたいところだが、犬好きのかたには『老人と犬』『森の惨劇』を、猫好きのかたには『地下室の箱』『黒い夏』を、ホラー映画ファンには『オフシーズン』を、いきなり激辛にいどんで打ちのめされたいかたには『隣の家の少女』をお勧めしておく。

ジャック・ケッチャム公式サイトhttp://www.jackketchum.net/

映画『隣の家の少女』予告編

金子浩(かねこ ひろし)1958年千葉県生れ。主な訳書にジャック・ケッチャム『隣の家の少女』、チャールズ・ストロス『残虐行為記録保管所』、コリイ・ドクトロウ『リトル・ブラザー』など。

●AmazonJPでジャック・ケッチャムの本をさがす●

●AmazonJPで金子浩さんの訳書をさがす●

当サイト掲載・金子浩のイチ押し本=『閉店時間』(ジャック・ケッチャム)

初心者のための作家入門講座・バックナンバー一覧