田口俊樹

 若いときには歩くのが大嫌いだったのに、なんか三年ほどまえから急に好きになりましてね。毎日4、50分、犬の散歩をしてるんですが、その散歩中でのこと。

「イヌ、イヌ、イヌ!」という幼い声が聞こえてきたかと思うと、そのあとすぐに母親らしい声が続きました。

「ワンワンでしょ、ワンワン」

 ううむと思っちまいました。すでに幼児語を脱しているのに、なんでわざわざ後戻りさせようとしているのか。母親の気持ちがちと不可解でした。

 で、声をしたほうに眼を向けて、また、ううむと思っちまいました。

 その、なんていうか、人さまのお子さんについて、あれこれ言える立場にはまったくありませんが、これが、まあ、見るからになんともこまっしゃくれた、可愛げのないガキ、あ、お子さんだったんですね。もしかして幼稚園でも浮いちゃってるんでしょうか。よけいな心配ですけど。

 でも、子供のことに関しちゃ、親ってなんでもかんでも心配なんですよね。親ってどこまでも親なんですよね。

 私事ながら、実は先月、娘が結婚しましてね。披露宴で、新婦がなんか親への感謝状みたいなのを読み上げるやつがあるでしょ? あれで私、泣いちまいましてね。感謝状の内容なんて全然くだらないんですよ、月並みでね。なのに、「そんなお父さんが大好きです」のくだりに至っちゃあ、もう号泣ですよ、あなた。

 これがほんとに思いがけなくてね。私は飲む、打つ(あとひとつはナンですが)が大好きで、あんまり家庭的な父親じゃないんだけど、それでも人並みだったんですね。そんな自分に安堵するところもあり、同時になんかがっかりするようなところもありましてね。

 この歳になっていったい何を自分に望んでいるのか。なんてことをふと思う今日この頃です。

(たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬とパチンコ)

 横山啓明

虫なんか大嫌いだ。

昨日、ジョギング中にスズメバチと接近遭遇。

ウッワー! しかも、男がスズメバチに襲われるシーンを

訳したばかりなのだ。全速力で逃げましたよ。いや、怖かった。

そういえば、マキャモンに「スズメバチの夏」という短篇があった。

髪の毛にスズメバチがたかるシーンが強烈で、今でも憶えている。

虫といえば《燃える昆虫軍団》は気持ち悪かったな。

《スターシップ・トゥルーパーズ》も巨大昆虫が出てきた。

ふと思いだしたのだが、昔、巨大昆虫ものの映画をけっこう見た。

なぜだろう。虫、嫌いなのに。

先日、訳し終わったノンフィクションにマダガスカル・ゴキブリ

というものが登場した。携帯電話ほどの大きさがあって、威嚇するときに

シューッという大きな音を出すのだそうだ。

ググって写真を見たら、ゲゲゲ! これはもう《燃える昆虫軍団》か

クーンツのあの作品か、というほど気持ちが悪い。

なんで写真なんか見たんだろう。

虫、嫌いなのに。

(よこやまひろあき:AB型のふたご座。音楽を聴きながらのジョギングが日課。主な訳書:ペレケーノス『夜は終わらない』、ダニング『愛書家の死』ゾウハー『ベルリン・コンスピラシー』アントニィ『ベヴァリー・クラブ』ラフ『バッド・モンキーズ』など。ツイッターアカウント@maddisco

 鈴木恵

スティーヴン・キング『アンダー・ザ・ドーム』読了。『ミレニアム』全6冊を一気読みしたとき以来の充実した読書でした。でも、読んでいるあいだずっと、「なぜこの人たちはこの危機に団結して立ち向かわないのか」と焦れている自分がいるんですね。そんな自分に気づいたときにはちょっとショックでした。右へならえが大嫌いなはずの自分の中にも、そんな挙国一致ふうの団結を望む自分が潜んでいたとは。読書は発見です。

(すずきめぐみ:文芸翻訳者・馬券研究家。最近の主な訳書:『ピザマンの事件簿2/犯人捜しはつらいよ』『ロンドン・ブールヴァード』『グローバリズム出づる処の殺人者より』。最近の主な馬券:なし orz。ツイッターアカウント@FukigenM

 白石朗

 前回の「かわら版」で越前氏がレギンスとトレンカについて卓見を披露なさっているのを見て、ネルソン・デミル作品の中年ヒーロー、ジョン・コーリーのことを思い出した。とにかくこの男、オヤジギャグをかまして地球規模の大陰謀と戦うかたわら、しじゅうパンツを脱いだり脱がされたり脱がしたりとなかなかの艶福家(死語)。いきおい原文には boxer shorts、boxersの語がそこかしこに。

 最初は研究社『新英和大辞典』に「ボクサーパンツ」という訳語が掲載されているし、聞いたことがあるし……と、安易にそのまま打ち込みかけ……ちょっと待てよ、と、説明に目を通した。

《ウエストバンドのついたゆったりとした男子用パンツ; 初めボクサーが着用したショートパンツ》

 あーこれ、世間で「トランクス」といっている下着じゃないかと思い当たり、そちらを採用して、いまにいたる。何年もたったいま、思い立って日本語版 Wikipedia を見たら、『日本ではボクシングなどのパンツをトランクスと称するが、英語では通常「boxer shorts」「boxers」と呼ばれ、「trunks」は、通常短丈のボクサーブリーフを指す』とあり、ほんのり安心した。

 ちなみに同社の『リーダーズ+プラス2』がかかげる「ボクサーショーツ」は、業務上やむなく検索したところ女性用下着につかわれている例も多いようで、うっかりそのままカタカナにしたらジョン・コーリー氏の趣味が大幅に誤解される危険があったかも。

 たかがパンツされどパンツ。こうしてジョンは、横文字と安易なカタカナ語のあいだにひそむ陥穽というピンチから救われたのでした。

(しらいしろう:1959年の亥年生まれ。進行する老眼に鞭打って、いまなおワープロソフト「松」でキング、グリシャム、デミル等の作品を翻訳。最新訳書はキング『アンダー・ザ・ドーム』。ツイッターアカウント@R_SRIS

 越前敏弥

 翻訳者ならだれでも、シリーズ物であろうとなかろうと、同じ作家の作品を半永久的に訳しつづけられればそれに越したことはないけれど、諸般の事情から(ほとんどの場合は商業上の理由から)昨今はなかなか実現せず、1作きりで終わる場合も少なくない。そんなご時世だから、スティーヴ・ハミルトンの作品をもう一度訳せるというのは願ってもない幸運だ。今年度MWA最優秀作品賞受賞作”The Lock Artist”は来春刊行予定。スティーヴ・ハミルトンの受賞の瞬間を見たいかたはこちらをどうぞ。

 自分がかつて訳出を手がけた作家でいちばん気になっているのは、いまやまったく消息不明になっているジェレミー・ドロンフィールド。『飛蝗の農場』『サルバドールの復活』のあと、”Burning Blue”と”The Alchemist’s Apprentice”の2作を発表したのだが、後者は「ジェレミー・ドロンフィールド」なる青年が語り手として登場するメタフィクションで、(ネタバレになるからきわめてあいまいにしか書けないが)語り手は作家としての自分自身をある意味で終焉へ追いこんでいく。”The Alchemist’s Apprentice”の刊行後、ドロンフィールドがつぎの作品を発表した形跡はなく(”Burlesque”という仮題だけが伝えられたが、出版社とトラブルがあって立ち消えになったらしい)、その後、生存さえ確認できなくなっていることを思うと、最後の作品がああいう内容だったことに特別な意味があったような気がしてならない。Burlesque(茶番)というのもなんとなく意味深だしね。

 ドロンフィールドさん、もしこれを読んでいたら、近況をお知らせください。まあ、読んでるわけないから、その後についてもしご存じのかたがいたら、教えてください(地質学者にもどったという噂もある)。

(えちぜんとしや:1961年生。おもな訳書に『夜の真義を』『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり。ツイッターアカウント@t_echizen

 加賀山卓朗

 最近、ケーブルのAXNミステリーチャンネルで連日のように『刑事コロンボ』を放送しているので、ときどき見ている。終わったあとで、早川書房の皆さんが続々と出てきたのにはびっくりしたけれど(『ブックリエ』という別の番組でした)。

 そのコロンボ、『パイルD-3の壁』や『アリバイのダイヤル』などはいまも鮮明に憶えているけれど、ほかのオチはほとんど忘れているので、なかなか愉しめる。『ロンドンの傘』では、どう考えても違法な自白誘導でしょうと思ったり、『別れのワイン』では、カッシーニさん、もっとがんばれたのにと思ったり。要するに、水も漏らさぬ論理で逮捕/立件に持ちこむより、頭脳ゲームで犯人を降参させることに主眼があるのね、といまごろ納得しています。

 スペンサー・シリーズ最終作『春嵐』出ました。気合い入ってますんで、お時間があったら手に取ってみてください。

(かがやまたくろう:ロバート・B・パーカー、デニス・ルヘイン、ジェイムズ・カルロス・ブレイク、ジョン・ル・カレなどを翻訳。運動は山歩きとテニス)

 上條ひろみ

 デパ地下に出店している和菓子屋さんが舞台のミステリを読んだ。坂木司『和菓子のアン』(光文社)。甘いものが大好きなアルバイト店員の女の子が、和菓子をヒントに日常の謎を解き明かす連作ミステリです。

 古くからある和菓子にはいろいろな物語や謂れがあるんですね。茶席で使うものや仏壇に供えるもの、季節や用途によって取り揃えられた和菓子は、たとえ量産品であっても、それぞれに美しいものだけど、それにちょっとしたことば遊びが隠されていたり、会えない人への思いがこめられていたなんて。粋ですねえ。

 とくにびっくりしたのが「辻占(つじうら)」。瓦煎餅のなかに占いを書いた紙片をはさみこんだもので、形状は中華でおなじみのフォーチュンクッキーにそっくり。大正時代にこの辻占をもとに日系人が作ったのがフォーチュンクッキーなんだそうです。中国人じゃなかったのね。

 ときにはあえて真相を追求せず、そっと見守ったりして、和の心を感じさせるミステリ。すさんだ心が癒されます。そしてやっぱり和菓子が食べたくなります(またそのオチかよ!)。

(かみじょうひろみ:神奈川県生まれ。ジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ・シリーズ〉(ヴィレッジブックス)、カレン・マキナニーの〈朝食のおいしいB&Bシリーズ〉(武田ランダムハウスジャパン)などを翻訳。趣味は読書とお菓子作り)

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