本のこと活字のこと 2——アチラもコチラも

 ハゲ頭に大きく突き出た耳、ぷっくり盛りあがった下まぶた。一度見たら忘れられないその顔は、小さなころからテレビで知っていた。見かけるたびに、「あ、いる」と思い、目で追った。「あ、いる」の人が殿山泰司という役者だと知るのは、上京してのち、古い作品も含めて日本映画をぽつぽつと観るようになってからだ。

 それと同時に、戸浦六宏、佐藤慶、小松方正など、バイプレーヤーとしても怪しい輝きを放つ名優たちを知るようになるのだが、殿山泰司の場合は彼らとは少しちがい、いつもやるせない庶民の匂いがあって、演技しているのか素なのかよくわからないところが魅力でもあった。『裸の島』は主演映画としてまぎれもなく傑作だと思うが、ただの小悪党やジイサンや和尚として彼がスクリーンに束の間あらわれるのに立ち合うのはしみじみとうれしく、日本映画を観る楽しみのひとつにちがいなかった。

 一方、エッセイストの殿山泰司は、口は悪いけど情味のあるオジサンだ。ミステリとジャズと映画を語るときはたいへん熱く、また、言いたい放題のなかに箴言がひそんでいる。77年刊行の『JAMJAM日記』には、〈ヒヒヒヒ〉 〈やれんのう〉 〈ひいひいと面白かったわア!〉などの口語をちりばめた勢いのある語り口で、万年床にもぐり込んでミステリを読み、街へ出てジャズに浸る日々がつづられている。みずから〈三文役者〉と名のり、放言のあとは〈バカッ!!〉 〈アホンダラ!!〉 〈オマエも死ね!!〉と自分に突っ込みを入れるのがお約束。

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『裸の島』を撮り、『三文役者の死——正伝 殿山泰司』を書き、『三文役者』という映画までつくった新藤兼人によると、〈タイちゃん〉こと殿山泰司のジーンズの尻ポケットにはいつもミステリ本が突っ込まれていた。30年前、新宿の地下道でご本人とすれちがったときは、色落ち加工のジーンズにジージャン姿。手ぶらだったと記憶するが、尻ポケットまでは見ていなかった。わたし、舞い上がりましたから。いったんは通り過ぎたが、意を決して引き返し、お声をかけた。「あの、殿山さんですか?」と尋ねるころには、頭のなかはまっ白に。「ファンです。本読んでます。握手してくださいっ!」

 殿山さんは少し驚いたような笑顔で手を握り返してくださった。けれども当たり前ながら、本のような軽口が飛び出すわけもなく、それどころか逃げるチャンスをうかがう猫の風情すらあって、わたしはなにも言えなくなり、舞い上がったまま退散した。

 この7月、渋谷のシネマヴェーラが「ATGの光芒」という特集を組んでいる。そのなかの作品のひとつ、大島渚監督『夏の妹』でスクリーンの殿山泰司に久しぶりに再会し、ついでに『JAMJAM日記』も読み返すことにした。のっけから、〈われわれの政府だってガセネタを売るテキ屋みたいなもんじゃないですか、と言おうと思ってやめた。河原者は人前で仕事以外に声を出してはいけない〉という一文にくらっときた。なんてしたたかなもの言いなんだろう。〈長いものに巻かれるのが好き〉などとうそぶきながら、言いたいことを言うための足場はちゃんと守っている。それは、ひとつところに寄りかからずに満遍なくつきあう仕事の姿勢にも支えられていた。

 しかし、こんなにも働いていたのかとあらためて驚いた。幼児番組、ロマンポルノ、ナレーション、雑誌の座談会や取材……来る仕事は片っ端から請けている。〈三文役者は何でもやらなければならないのよ、しかしやってはイケナイと思うモノはやらないほうがいいぜオマエ。〉——つい「役」を「訳」と脳内変換して読んでしまう、ハイ。

 ロケ地から撮影所へ、また別のロケ地へ、それぞれの台本をかかえて向かう。そして、待つ。その待ち時間にはひたすら本を読んでいたのだろう。でなければ、国内外の膨大なミステリに加えて純文学、評論に至るまで、あの圧倒的な読書量を達成できるはずがない。

『三文役者の死』によれば、彼が稼がざるを得なかったのは〈アチラ〉と〈コチラ〉があったから、ということだ。つまり、〈タイちゃん〉には家がふたつ。けっして折れない〈アチラ〉と〈コチラ〉に養子がひとりずつ。そんなわけだから、89年、73歳で他界したあとも、お墓がふたつ。そんな〈アチラ〉と〈コチラ〉の事情は、『三文役者あなあきい伝』にもつづられていた。〈家庭生活のほうもオノレの不徳のいたすところで、コチラとおもえばアチラと複雑化してしまい、その複雑なモヤの中を生き抜こうとすれば、浴びるほど酒を飲まねばならず、仕事による実入りも分配の法則に従わねばならず、で、あるが故に、今日に至るまで財を成すのあたわざるのゆえんであります。財なんかどうでもいいか。〉

 ミステリにのめり込むのは、肝臓を悪くして死にかけ、断酒したのちだった。『JAMJAM日記』は断酒後に書かれた。読み返してみれば、〈オレも小型の火宅の人なのよ。〉とちゃんと書いてあるのに、30年前のわたしはいったいなにを読んでいたのだろうか。

 ひょとすると、「火宅の人」の意味を知らなかった……? かもしれない。でもいまだって、意味は知っているけれど、そこで殿山泰司が勧めていた檀一雄の小説を読んでもおらず……。本を読み返せば新たな発見があり、読みたいと思いながら放ってある本は気が遠くなるほどあって……。訳したいものもまだ……。アチラもコチラも立てるには強靱な精神力を必要とする。「バカッ!!」と自分を一喝してみたいけれど、まだその資格もないみたい。

(写真も筆者)  

那波かおり(なわ かおり)1958年生まれ。おもな訳書に、フィクションとして、ノヴィク〈テメレア戦記〉とリンジー〈華麗なるマロリー一族〉のシリーズ、ハリス『ショコラ』『ブラックベリー・ワイン』『1/4のオレンジ5切れ』、ノンフィクションとして、チェン『人はいつか死ぬものだから』、エンジェル『コールガール』など。ツイッターアカウントは@kapponous

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