第16回

 前回は、古い作品の翻訳出版をする場合、翻訳権をハンドルできる人をどうやって探すかについてお話ししました。

 いまさらですが、そもそも翻訳権とはなにかをおさらいすることにしましょう。

 翻訳権とは、著作権の一部です。

 著作権については、いまさらご説明をするまでもないでしょう。なんらかの著作物を作った人が保有する権利のことですね。

 では、その著作物とはなにかというと、たとえば日本の著作権法ではこう定義されます。

「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」

 文章の前半から、思想ないしは感情が基礎にあるということと、創作的であるということと、表現であるといった側面が読みとれます。

 ですから、「何月何日何時ごろ、なんとかさん宅から火が出て全焼した」などという新聞記事は、事実をたんに記述しただけで、思想・感情や創作性が認められないため、著作物ではないと考えられたりします。

 あるいは、表現という点でいえば、アイディアにとどまっているものは著作物ではありません。密室トリックを思いついた、というだけでは著作権は発生しません。小説の形に表現して、はじめて著作権が発生するのです。

 この著作権ですが、日本では、著作物を完成すると、その瞬間に発生するものとされています。

 これは、もともと著作権という概念が、近代ヨーロッパで海賊版が横行したのに対抗するなかで確立したからだといいます。当時は、ある国で発売された本が評判を呼ぶと、あっという間に近隣諸国で勝手に翻訳され、出版されてしまう状況でした(言語が比較的近く、翻訳しやすいことも大きかったのでしょう)。

 そのため、著者の権利を守るためには、登録やなにかといった手つづきをはぶき、作品ができた瞬間に著作者は固有の権利を有する、という形が必要だったのです。

 この考えかたにもとづいて、国際的な著作権条約が制定されます。1886年の「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」です。それに先だつ1883年には「工業所有権の保護に関するパリ条約」が成立し、特許や商標などの権利が整備されていますから、この時期に知的所有権ができあがっていったことがわかります。

 ちなみに、ベルヌ条約制定の中心になったのがヴィクトル・ユーゴーだというのは有名な話。

「ベルヌ条約」には、日本も1899年(明治32年)に加盟します(意外に早いですよね)。

 日清戦争を経て、明治政府は、幕末に結んだ列強との不平等条約の撤廃につとめていましたが、それと引きかえに、国際的なルールであるパリ条約・ベルヌ条約への参加をもとめられたのです。

 それまでの日本では、明治2年に出版条例、明治20年に版権条例を制定して、「版権」、すなわち出版社の権利を保護していました(もっともこれは、政府による出版統制と裏腹だった面もあるのですが)。

 そして、ベルヌ条約への加入にあわせて、日本国内でも著作権法が制定されました(これは「旧著作権法」と呼ばれます。1970年に改正されたのが現行の著作権法です)。こうして、日本でも著作者の権利が認められることになったのです。

 ただし、著作権という考えかたは、著者の保護だけを目的にしたものではありません。

 ご存じのように、財産権としての著作権には、保護期間が定められています。旧著作権法では著作者の死後30年、現在では死後50年とされています。

 この保護期間が終了すると、その著者の作品はパブリック・ドメインになります。つまり、著作権者(多くは著者の遺族)の許諾を得なくても、自由に使うことができるのです。

 これは、遺族から財産権を奪う処置のように見えますが、権利問題なしに誰もがそれを享受できるということは、作品が、亡くなった著者個人の手を離れて、いわば人類共有の文化になったことを意味します。

 現行の著作権法の第1条(目的)には、「著作者等の権利の保護を図り」という言葉とともに、「文化的所産の公正な利用」「文化の発展に寄与する」といった文言があります。著作権にはそういった側面もあるのです。

 さて、こうして確立した著作権の一部として、翻訳権があります。

 文字どおり、自分の著作物を他の言語に翻訳させる権利ですね。英語で書かれた著作物を日本語に翻訳すれば、それは新たな日本語の著作物になります。つまり、ある著作物を、形を変えてべつな著作物にする、ということで、翻案(小説を映画にするとか)と並列で捉えられたりします。

 ベルヌ条約制定が、そもそも他国での翻訳海賊版対策が契機だったことを考えれば、著作権の根本のところに翻訳の問題があるともいえるでしょう。

 ということで、日本では旧著作権法の制定以来、翻訳出版は原著作物の著作権者の許諾を得て行なうことが決められ、これは現在でも変わりません。

 しかし、旧著作権法には、翻訳権について特別に保護期間が定められていました。「著作権者原著作物発行のときより十年内に其の翻訳物を発行せざるときは其の翻訳権は消滅す」という条項です(旧法第7条)。

 つまり、海外で最初に発行されてから十年間、日本国内で翻訳権を取得して出版されなかった場合は、その作品については、原著者の許諾なく翻訳出版してよい、ということです。これが「翻訳権の十年留保」と呼ばれるものです。

 なんだか都合がいいルールだな、と思われるかもしれません。

 この規定には、翻訳をとおして文化交流を促す意図があったものと思われます。著作権は文化の発展をもうひとつの目的としています。原書の発表からある程度の時間がたってしまった作品については、経済的な不利をなくすことで、翻訳を促進しようと考えたものと思われます。それが、著作権の精神でもあるのです。

 旧著作権法は1970年に改正され、翻訳権の十年留保は削除されました。現行の著作権法では、翻訳出版する場合は、かならず著作権者から許諾を得なければならないのです。

 ただし、附則として、新法施行以前に発行された著作物については、翻訳権の十年留保はその効力を有する、と定められています。旧著作権法の効力がおよぶ1970年12月31日までの作品については、この十年留保で翻訳出版してよい、というわけです。

 みなさんも「1970年までの作品で未訳のものは著者の許諾を得ずに翻訳していい」という話を聞いたことがあるかもしれませんが、これは以上のような理由なのです。

 ところで、ベルヌ条約成立から1世紀以上、1989年まで加盟しなかった大国がありました。それが、アメリカ合衆国です。

 じつはいろいろ複雑なアメリカとの事情を、次回に見ていくことにしましょう。

扶桑社T

扶桑社ミステリーというB級文庫のなかで、SFホラーやノワール発掘といった、さらにB級路線を担当。その陰で編集した翻訳セルフヘルプで、ミステリーの数百倍の稼ぎをあげてしまう。現在は編集の現場を離れ、余裕ができた時間で扶桑社ミステリー・ブログを更新中。ツイッターアカウントは@TomitaKentaro

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