だいぶ昔の本だが、角田光代の『さがしもの』を読んだ。本にまつわる物語を集めた短編集で、『この本が、世界に存在することに』の改題。いま読んでもまったく古さを感じさせず、本を読むこと、この世に本があることのよろこびをあらためて感じて、しみじみとうれしくなった。
 本書の解説によると、人間は本を読むために生まれてきた動物であるという。
 そして、本は人を呼ぶ。
 まさにそのとおり。本はすごい。本そのものが物語でできているだけでなく、人の手から手にわたり、時間や場所を旅することでも新たな物語を作ってしまう。
 本書に収録されている短編「ミツザワ書店」のおばあさんは、本屋の店番をしながら本ばかり読んでいる。「本のどこがそんなにおもしろいの」と孫にきかれて、おばあさんは「だってあんた、開くだけでどこへでも連れていってくれるものなんか、本しかないだろう」と答える。すてきだ。生きづらさを感じている不器用な若者たちは、本との出会いや再会を通してさまざまなことを学び、成長していく。生きているかぎり、人は本とつながり、本にすがり、本に惑わされ、本に救われる。この世のなかに読んで無駄な本は一冊もない。人間でよかったなあと思う。だって、人間は本を読むために生まれてきた動物だから。
 本を愛するすべての人に、『さがしもの』お勧めです。
 ……ついに本編以外まで書評になってしまった……
 十一月も話題作がたくさん出ていて、なかなか読むのが追いつきません。それもまたうれしいものですが。
 そして! 翻訳ミステリー大賞では、今年度から翻訳者以外のみなさまにも予備投票に参加していただくことになりました。一作というのはかえって悩ましいかもしれませんが、清き一票をよろしくお願いします。

 

■11月×日
 北欧の小説を読んでいると、バカンスで東南アジアに行く人が多いような気がする。寒くて暗い長い冬がある北欧では、太陽いっぱいの熱帯地方が好まれるのでしょうね。なかには現地で出会った女性を妻として迎える男性も……アーナルデュル・インドリダソンのシリーズ第五弾『厳寒の町』は、熱帯のタイから厳寒の町、アイスランドのレイキャビクにやってきた女性とその家族にふりかかった災難を描く。

 レイキャビク郊外の外国人が多く暮らす地区で、十歳の少年の死体が発見される。エリアスというその少年の母親はタイ人のシングルマザー。父親はアイスランド人だが離婚しており、タイからもうひとりの息子ニランを呼び寄せ、母子三人で暮らしていた。母親のスニーはアイスランドに来て十年になるがあまりアイスランド語が話せず、警察や学校関係者と話すにも通訳が必要な状態。エリアスが学校帰りだったこともあり、レイキャビク警察犯罪捜査官のエーレンデュルは、学校関係者に目を向ける。ニランとエリアスの通う学校では、約一割が〝外国のバックグラウンドを持つ子ども〟だったが、移民への敵意を隠さない教師や生徒もいた。

 いつも陰鬱な印象を受けるシリーズだが、本書でもエーレンデュルは家族とあまりうまくいっておらず、かつての同僚であるマリオン・ブリームを見送るというつらい経験もする。そういえば、マリオンはずっと男性だと思っていたが、マリオンは男性にも女性にもある名前で、実は最後まで性別は明らかにされていないという。これはたしかに訳者泣かせかも。

 移民の子どもをめぐる事件の真相もまたやりきれないものだ。北欧五カ国はドイツと並んで移民を多く受け入れてきたが、本書の登場人物のひとりは、アジアの文化に理解を示しているように見える人でも、移民が大勢やってくるのは困る、というのが本音だと言っている。アジア人女性が北欧の男性と結婚すれば生活は豊かになるかもしれないが、スニーのように離婚してしまえば貧しい生活に逆戻りしてしまう。それでもスニーの場合はアイスランド人の姑がやさしくしてくれて、元夫もエリアスのことは愛していたので、まだ救いようはあったのだが……
 家出をした女性が電話をかけてくるというもうひとつの事件も謎めいているし、子供のころに弟を死なせたトラウマに苦しむエーレンデュルの心情も読み応えがある。

 丹念な聞き込みによって、人の心の奥に巣食う闇と、やりきれない現実が浮き彫りになる。初動捜査がたよりなくても、こいつらならきっとやってくれるという安心感。エーレンデュルの意固地なイメージのせいかもしれないが、なんとなくヘニング・マンンケルのヴァランダー・シリーズとの類似を感じるシリーズだ。

 

■11月×日
 フレッド・ヴァルガスは大好きな作家のひとり。初めて読んだのはアダムスベルク警視シリーズの『青チョークの男』で、そのおもしろさにぶっとんだ。さらに三聖人シリーズを読んで、「好きだ!」という思いを新たにした。『ネプチューンの影』はお待ちかねのアダムスベルグ警視シリーズ、邦訳最新刊。CWA賞受賞作です。ちなみに、フレッド・ヴァルガスは女性です。

 パリ第十三区警察署長、ジャン=バチスト・アダムスベルグ警視には、追いつづけている事件があった。三十年まえアダムスベルグの弟が容疑をかけられた、死体に海神ネプチューンの三叉槍(トリダン)で刺されたような跡がある殺人事件だ。同様の殺人はそれからも何度となく起こっており、いままたトリダンの刺し傷のある死体が……アダムスベルグは後ろ髪を引かれる思いで、DNA鑑定研修のため七名の部下とともにカナダのケベック州へ向かう。だが、つかのま事件から解放されて自然豊かな土地ですごすあいだも、悪夢はアダムスベルグを追いかけてくるのだった。

 アダムスベルグが二度目にカナダに行ってからの展開が怒涛のようで目が離せません。ほとんどの人が後半は一気読みでしょう。それにしても、犯人もアダムスベルグもすごい執念! 複雑な事件の全容が明らかになるにつれ、ほおおーっと変な声が出ます。無鉄砲なアダムスベルグの処遇をめぐってもハラハラドキドキ。部下のみなさんの動向も気になるし。

 そしてやっぱりアダムスベルグは天才! つかみどころがなくて、身なりや立ち居振る舞いは変人判定されているけど、要は究極のマイペースで他人には無関心。直感型の天才名探偵なのだ。でも天才すぎて変なところが抜けてるし、ヤバイとわかっているのに女に深入りして失敗するという『犯罪心理捜査官セバスチャン』みも。ひじょうに複雑なキャラクターだが、どこか惹かれる、なぜか惹かれる、どうしても惹かれる。これって恋? もしかしたら、理詰めに考えることができない直感の人というところに共感してしまうのかもしれない。だって男って理詰めな人が多いじゃん。

 そんな女子にとって放っておけないキャラのせいか、つねに女性に助けられるのもアダムスベルグの特徴だろう。カナダでピンチに陥ったアダムスベルグを、何も言わずに助けるルタンクールのかっこよさったらない。またこれが笑っちゃうほどできる子なのよ。そしてその度胸にもびっくり。ダメ上司とできる女性部下といえば、ネレ・ノイハウスのオリヴァー&ピアだけど、アダムスベルグは天才なので助けるルタンクールにも迷いがないのがすがすがしい。そして、忘れちゃいけないのが、彼をかくまうハイスペックな老婦人ペア、クレマンチーヌとジョゼット。ワニ町シリーズのアイダ・ベルとガーティを彷彿とさせるこのふたりのポテンシャルもなかなかのもので、アダムスベルグは何度も救われます。

 個性派ぞろいの登場人物のなかでは、とにかくルタンクールが好きすぎて一生ついていきたいほどだけど、王立カナダ警察の門衛を務めながら恋するリスのジェラルドも捨てがたい。アダムスベルグもだと思うけど、このリスくんには癒されたよ。ケベックのフランス語の訛りがなんちゃって九州弁なのも、遊びが感じられておもしろいけど、みんないい人みたいな気がしちゃってだまされたわ。あと、よい子はカエルの口に煙草をくわえさせないように。

 

■11月×日
 リース・ボウエンのお嬢さまシリーズももう十一作目かぁ。あ、正式なシリーズ名は「英国王妃の事件ファイル」ね。この王妃とは国王ジョージ五世の妃であるメアリ王妃のこと。ヒロインのラノク公爵令嬢ジョージアナ(ジョージー)はヴィクトリア女王のひ孫で、国王陛下の親戚なのですが、王位継承権は三十五番目。王族でありながら超貧乏なので、まともなメイドも雇えず、ときには仕事もしなければなりません。その仕事というのは、王妃の特命スパイとしてさまざまなミッションをこなすこと。アイルランド貴族の息子ダーシーと婚約中ですが、彼も英国のために公にできない任務を帯びているらしく、いつどこに行ってしまうかわからないので、ジョージーははらはらしどおし。ふたりは無事結婚することができるのか? というのがこれまでのお話。

 さて、十一作目の『貧乏お嬢さま、イタリアへ』では、お察しのとおりジョージーがイタリアに向かいます。親友ベリンダが彼の地で出産を迎えようとしているからなのですが、ジョージーの旧友宅のハウスパーティーに出席するデイヴィッド王子とシンプソン夫人の動向に目を光らせる、という王妃さまからのミッションのためでもありました。

 時は一九三五年四月。イタリアのストレーザでイタリア、イギリス、フランスによる国際会議が開かれた年で、ジョージーが向かうのもストレーザの町。ナチスの脅威が迫るなか、親独派のデイヴィッド王子がストレーザでおこなわれるハウスパーティーに招かれたのは何か意味があるのか? ミッションをクリアして早くベリンダのもとに駆けつけたいジョージーでしたが、またもや殺人事件に巻き込まれてしまいます。

 ジョージーがピンチになると、どこからともなく助けに来てくれるダーシー、やっぱりかっこいいわ。ジョージーとベリンダの旧友で、イタリアの伯爵家に嫁いだカミラの人生もなかなかたいへんそう。なぜかハウスパーティーに招かれていた自由奔放な母クレアがいつになくやさしいと思ったら、そんな事情が……ヨーロッパがきなくさくなってきた時代、ジョージーたちがこれからどうなっていくのか気になります。元警官のおじいちゃんの健康状態も。

 

■11月×日
 いそうでいなかった生物学探偵。といっても『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』のセオ・クレイの本業は探偵ではなく大学教授で、専門は生物情報工学。計算科学の手法を生物学に応用する学問で、目下の専門は遺伝表現型のプラスチック性だという。なんのこっちゃ。よくはわからないけど、とにかくセオは自然科学の知識と最先端のデジタル技術を使って謎を解く、新しいタイプの探偵なのだ。

 モンタナ州の森のなかでのフィールドワークからモーテルに戻ったセオは、警察に拘束される。近隣の森で、元教え子の女性が無残に切り刻まれた死体となって発見されたのだ。死体に熊の毛が付着していたことから、熊に襲われたものと判断され、セオの容疑は晴れたが、その判断に納得しなかった彼は独自に調査をはじめる。

 最初はつかみどころのない人だなあと思ったけど、だんだんと要領の悪い人または専門バカ(失礼!)的なキャラだということがわかってきて、やがてとても正義感の強いガッツのある人だったことが判明。いやあ、ごめんよ、セオ教授! しかも、殴られたり蹴られたり撃たれたり、何度も痛い目にあって満身創痍でも、救急救命隊員の経験もあるので安心。いや、かなりギリギリの状態でハラハラさせるけど。

 何より、科学とデジタル技術と犯罪捜査を合体させた捜査方法がすごいんですよ。この方法を編み出したのはもちろんセオで、警察は完全に置いていかれちゃってる状態。これこれこういうわけだから、早く捜査してと言ってもなかなか信じてくれないし、掘り出した証拠品を見せると犯人扱いされちゃうし。そういう意味で、セオの一番の敵は頭の固い警察だったのかも。

 訳者あとがきによると、著者のアンドリュー・メインはプロのマジシャンで、二〇一一年から小説も書きはじめたという。子供のころから科学好きで、本書にも科学の蘊蓄がちりばめられているが、国際宇宙ステーションでの実験開発に協力したり、航空宇宙関連の仕事をしたりもしているとか。どんだけマルチな人なんでしょう。
 本書はシリーズ第一作ということなので、引きつづき読めることを願っています。

 

11月×日
 読者賞だより:18通目——今月の「読み逃していませんか〜??」で取り上げられていたユニティ・ダウの『隠された悲鳴』に興味を惹かれたので読んでみた。

 ある儀式にのっとって、人体の一部を得るために行われる儀礼殺人。もちろん殺人は犯罪だが、権力者がさらに権力を得るためにおこなうので、警察もそれを隠そうとする。ボツワナのある村で十二歳の少女ネオが消えた事件もそうだった。血まみれのネオの服は紛失したとして遺族に返されず、ライオンに襲われたのだと説明されたのだ。しかし、五年後に診療所の倉庫で証拠品の服がはいった箱を見つけたアマントルは、真実を明らかにしようと友人や村人たちと立ち上がる。

「儀礼殺人を犯すのが、お偉方だというのは、だれだって知っている」
「警察がそういう殺人を隠してるって話もしょっちゅう耳にしてる」
 それでもお上と戦うアマントルは、正義感が強く、何よりも人間愛にあふれた若い女性だ。弁護士や検察官の友人知人を巻き込んでの作戦会議は、若者らしくて楽しそうだし、要人たちをやりこめる賢さは小気味良い。陰惨な事件を扱っていながら、アマントルの周囲は明るく前向きで、強い意志が感じられ、応援せずにいられないし、希望を持って読むことができるのだ。
 その一方、「隠された悲鳴」の意味も深い余韻を残す。まさかそういう意味だったとは……

 平易な文体で読みやすいし、何よりサスペンスとしてすごくよくできていて、感銘を受けた。1994年にボツワナで実際にあった事件をフィクションとして書いているので、事件の内容は明らかだし、犯人についても冒頭でほぼ明かされているのだが、どうしてそうなったのかという部分が読ませるし、読者が気づいてもいなかったミッシングリンクの提示のしかたがまたうまい。

 著者のユニティ・ダウは、ボツワナの現外務国際協力大臣で、ボツワナで女性初の最高裁判事として、弁護士として、女性や子ども、先住民、AIDS患者、LGBT等の人権問題について、先駆的取り組みをしてきた人物。儀礼殺人をテーマにしたこの作品は、文化や伝統の被害を受けてきた人びとがいたこと、そして今でも犠牲になっている人びとがいることを広く知らしめ、このような文化的慣行の是非を問うものだが、フィクションとしての水準が非常に高いので、さらに強い印象を残すことに成功していると思う。

 

■上記以外では:
 解説を担当したので読んだのは11月じゃないけど、11月29日刊行のジャナ・デリオンの『生きるか死ぬかの町長選挙』は激しくお勧め。ワニ町シリーズ第三弾で、あの最強おばあちゃんアイダ・ベルが町長選挙に立候補します。ところが対立候補が殺されて、アイダ・ベルに殺人容疑が……今回も潜伏中のCIA秘密工作員フォーチュンがおばあちゃんズとともに暴れまわってシンフルの町は大騒ぎ。フォーチュン、もう一生シンフルにいてよ、おもしろいから。思わず「ぷぷぷ」と笑ってしまうカバーイラストの三人の偵察風景が最高。

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、マキナニー〈ママ探偵の事件簿〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はリンゼイ・サンズの〈新ハイランド〉シリーズ第六弾『忘れえぬ夜を抱いて』。ハンナシリーズの邦訳最新刊『バナナクリーム・パイが覚えていた』は来年一月十五日刊行予定です。よろしく!

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