第17回

 前回は、国際的な著作権の取り決めであるベルヌ条約と日本の関係についてお話ししましたが、最後にすこし触れたように、アメリカはこのベルヌ条約に1989年まで加入しませんでした。

 今回は、そのアメリカの著作権状況について考えます。

 19世紀末にはすでに大国となっていたアメリカが、なぜベルヌ条約に加入しなかったのか。

 理由は、大きくいって2つ考えられます。ひとつは、著作権そのものの考えかたのちがい。もうひとつは、著作者の扱いです。

 ベルヌ条約では、著作者が作品を完成させた瞬間に著作権が発生する、と考えます。

 しかしアメリカは、著作権の登録制度を採用していました。著作権局に登録することによってはじめて著作権が認められ、保護されるのです(特許や商標とくらべるとわかりやすいかもしれません)。

 前々回、ジョー・ゴアズの訳書を例に著作権表示について解説しましたが、そこに「Copyright (c) 2006 by Joe Gores」という1文がありました。これは、「この作品の著作権は2006年にジョー・ゴアズによって登録された」という事実を表明しているものなのです。

 このように、著作権を認めるために一定の方式を必要とするやりかたを「方式主義」と呼びます。ベルヌ条約は方式を必要としない「無方式主義」ですから、著作権の発生という根本的な部分が異なるわけです。

 もうひとつの問題ですが、アメリカの著作権法では、著作者が自分の著作権を譲渡した場合、譲渡された側がその著作物を自由に使える、という規定になっています。

 譲渡したら、それがふつうじゃないの? と思われるかもしれませんが、著作権を譲渡しても著作者には独自の権利が残る、というのがベルヌ条約の考えかたです。たとえば、そもそもその作品を公表するのかどうか、あるいは本名で出すのかペンネームを使うのかを決めたり、第三者が中味を勝手に変えてはいけない、といったことは、著作者固有の権利として認められているのです。

 譲渡できるのは、あくまで財産権としての著作権。公表や改変といったことは人格にかかわる権利として著作者に残りますから、著作権を譲渡されてもこれらの権利は守らなければなりません。

 しかし、アメリカではそうではなかったのです。譲渡を受けた者は、著作者の意向にかかわらず著作物を使用できるため、その点でもベルヌ条約と相反するわけです。

 アメリカは、おなじく方式主義をとっていた中南米諸国と、1902年にパン・アメリカン条約を結びます。こうして、20世紀初頭には、方法論がちがう2つの国際的な著作権条約が並立することになったのです。

 なにしろアメリカという著作権大国がからんでくるので、ことは重大でした。

 とはいえ、ベルヌ条約に加入しないことでいちばん困るのは、自国の著作権を国際的なルールで守ることができないアメリカ自身ではないのか、とも考えられるでしょう。

 じつは、抜け道があったのです。

 ベルヌ条約には、非加入国の国民であっても、加入国で著作物を同時発刊すれば、条約の保護を受けるという規定がありました。つまり、ベルヌ条約に加入していないアメリカも、その出版物を加入国で同時に出版すれば、条約の保護を受けることができたのです。

 一般に、アメリカの本はカナダでも同時に発売されていました。カナダはベルヌ条約加入国ですから、アメリカの出版物は実質的にベルヌ条約で保護される形になっていたのです。

 アメリカ自身はそうだとしても、ほかのベルヌ条約加入国にとっては、そうはいきません。

 長年にわたり、ベルヌ条約とパン・アメリカン条約を統合する試みが進められましたが、けっきょくうまくいきませんでした。

 そこで、方針を転換。むりに統合するのではなく、共存させたまま、両条約の橋渡しをするルールが構想されます。

 こうして、ユネスコ主導で1952年に「万国著作権条約」が締結されます。

 この条約の特徴は、ベルヌ条約加入国にも最低限の方式主義を採用させることで、相互の著作権保護を実現させた点にあります。とはいえ、じっさいに著作権登録をさせて管理するわけではありません。(c)マークによる著作権表示をさせることで、方式主義を満たすことにしたのです。

 おなじみ(c)マークが日本の出版物に記されるようになったのは、この万国著作権条約のためだったのです。

 時は流れ、1989年に晴れてアメリカもベルヌ条約国になりました。

 加入に踏みきった理由はいろいろあるでしょう。コンピュータ・ソフトウェアやビデオといった新たな著作権ビジネスが国際的な保護をもとめるようになったこと、当時の貿易赤字の増大により著作権輸出の重要性が増したこと、あるいは、当時アメリカがユネスコを脱退したために万国著作権条約での地位が弱まったこと、などなど。

 アメリカは、国内の著作権法はなるべく変えずにベルヌ条約加入を実現したため、著作権の登録制度などの従来の制度はいまも守られています。

 今回は、著作権から見たアメリカの国際的な位置を概観しました。なんだか翻訳ミステリーからは離れてしまいましたが、次回はこの流れで、アメリカと日本との著作権をめぐる関係を見てみましょう。これまた複雑なドラマがあるのですよ。

扶桑社T

扶桑社ミステリーというB級文庫のなかで、SFホラーやノワール発掘といった、さらにB級路線を担当。その陰で編集した翻訳セルフヘルプで、ミステリーの数百倍の稼ぎをあげてしまう。現在は編集の現場を離れ、余裕ができた時間で扶桑社ミステリー・ブログを更新中。ツイッターアカウントは@TomitaKentaro

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