えー、「心だけそばにいる〜here in my heart〜」って何のこっちゃい? と思う方はいるかもしれませんが、これは西田ひかるさんの歌の題名でございます。彼女に思いが届くよう、彼女の曲名を毎回付けること、と上層部からの伝達がありまして、ハイ。いや、だからふざけてませんよ、ホントに!!

 ちなみにとある方からの情報で、声優の相沢舞さんがラジオ番組で「ケイ・スカーペッタ」シリーズを好きな本に挙げていたらしいとのこと。結構、芸能関係でファンの方多いんでしょうかね?

 それでは第2回『証拠死体』の巻です。本の題名「心だけそばいる」じゃないですからね!

【おはなし】

 人気作家・ベリル・マディスンが自宅で死体となって発見された。ベリルは生前、何者かに命を狙われているふしがあり、リッチモンドの自宅を離れてキイ・ウエストへと身を隠したほど怯えていたのだ。にも関わらず、ベリルは無防備に犯人を家に招き入れたために殺されらしい。身の危険を感じていたはずの彼女が、一体なぜ犯人のためにドアを開けたのか? 事件を担当する検屍官・ケイの前に、突然ある人物が訪ねてくる。それは別れた元恋人のマークだった……。マークとの再会に動揺するなか、ある悪徳弁護士から検屍局内で発生したトラブルを突かれて、ケイはさらなる混乱に陥ってしまう。

 命を狙われているはずの被害者が何故犯人を自宅に入れてしまったのか、というホワイダニットに続いて、ベリルが書き残した自伝の原稿の行方、現場に残された繊維から浮かび上がるベリル殺害とハイジャック事件の奇妙な繋がり、と序盤から新たな謎が次々と登場し、ミステリとしての掴みはオッケー。

 さらに真相まで読むと、一見バラバラな謎をつなぎわれば、実はピンポイントで犯人を絞り込めてしまうことがわかり、謎解きパズルとして十分楽しめる構成になっていることがわかる。前作より上手いじゃん、コーンウェル。

 が、不満な点が一つ。『検屍官』もそうだったが、「精神分析」や「異常心理」のネタが安易に多用されすぎている感が否めないのだ。「ケイが検屍だけじゃなくて精神分析にもやたら詳しいのはなぜ?」とか、かつて精神病棟で治療を受けていたという容疑者の青年が霊感めいた力で「精神分析」を行いケイに語るくだりに「『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのようだけど、レクター博士っていうよりも江原啓之のオーラ分析だよね!」などと突っ込まずにはいられない。警察担当記者や検屍局でプログラマーとして勤務した経験を持つ著者がきちんと取材や調査を行った上で書いてはいると思うのだが、前述の青年の「分析」に代表されるように、このシリーズにおいてプロファイリングがかなり胡散臭いものに見えてしまっている。

 かつて瀬戸川猛資は異常心理物のブームに対し、やたら「異常だ」と捲し立てるだけの小説が溢れているのはどうか、と異議を唱えた(詳しくは『夜明けの睡魔』に収録されているルース・レンデル「ロウフィールド館の惨劇」の回を読んでくだされ)。本作も口先だけで異常だと捲し立てる「だけ」の小説に片足を突っ込んでいるといえるだろう。

 しかし、一方で検屍や心理分析、DNA鑑定といった当時では目新しいものをとにかく小説内に盛り込もうという姿勢が評価され、広いファンを獲得できたのも事実であろう。そうした時代を先取りしたネタを知る魅力が、現代でも「スカーペッタ」シリーズが多くの読者を獲得している要因なのか、これは今後シリーズを読み続ける上での一つのポイントになるでしょう。

 ポイントといえばもう一つ。スー・グラフトン編では、「3F小説とは、ライフスタイル小説である」ということを繰り返し強調してきたが、この『証拠死体』でも主人公ケイの元カレが登場し、彼女のプライヴェートな問題がクローズアップされている。『検屍官』でも料理のシーンに気合いが入っていたり、姪のルーシーとの交流が深く描かれるなど、「スカーペッタ」シリーズもまたライフスタイル小説の側面を持つ作品だといってよい。しかし、『検屍官』『証拠死体』で最もケイを悩ませるのは検屍局内で起きたスキャンダルであり、局長としていかに不測の事態に対応するか、ということである。 組織で仕事を行う人間としてどうあるべきか、女性私立探偵ものにはないこのテーマにも着目しながら、シリーズを追いかける必要がありそうです。

 挟名紅治(はざな・くれはる)

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ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。

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