フェイ・ケラーマン? だれだっけ? このコーナーは超メジャーな作家が登場するところじゃないの? ああ、あのジョナサン・ケラーマンの奥さんか、えーと、たしかユダヤ教だか(イスラム教だっけ?)が出てくるシリーズを書いてるんじゃなかった? ずいぶん前からあるみたいだけど、たまーにしか出ないし分厚いし、読むのはちょっとね——というような感想が一般的ではないかと思うわけです。いいのかしら、ここに登場して、と少し気おくれしながらも、せっかくのお呼びなので、ありがたく書かせていただきます。

 フェイ・ケラーマン——なんとなく聞いたことがあるけど、まだ読んだことはない。という方のために、代表作であるピーター・デッカー&リナ・ラザラスのシリーズをざっくりと紹介してみますね。

 まずは1作目の『水の戒律』。邦訳が出たのは1993年。ロサンゼルス市警のデッカー刑事とユダヤ教徒の女性リナを主人公とする、かなり控えめな(はっきり言って地味な)警察小説でありました。著者も訳者も無名の新人。しかもユダヤ教? これ日本の読者に受け入れられるの?と思ったけれど、不安は杞憂に終わり、意外にもこれが大好評。『水の戒律』という美しくも意味深なタイトルもインパクトがあったようです。

 大都会で凶悪な犯罪者を相手に日夜闘うロス市警の熱血刑事と、信仰を心の糧としてつつましく生きる敬虔なユダヤ教徒の女性。別世界に暮らすふたりの出逢いと恋愛、なによりユダヤ教のコミュニティという特殊な舞台設定が新鮮で、読者に忘れがたい印象を残したデビュー作でした。

 続く2作目の『聖と俗と』は、警察小説であると同時に、デッカーとリナの関係に焦点をあてたちょっぴり切ない恋愛小説にもなっています。解説の穂井田直美さんは「互いに惹かれ合っていても、相手の立場を思いやり自制してしまう二人の関係に“これが大人の愛なのよ”と感動した」とのこと。

 3作目の『豊饒の地』は、デッカーのベトナム時代の戦友が出てくる哀愁ただようお話で、わたしのいちばん好きな作品でもあります。デッカーとリナのストイックな関係が進展するあたりも読みどころですが、ミステリーとしての充実度もなかなか。

 解説の温水ゆかりさんも「“なんでもあり”の恋愛にダレきっていた私達日本人に、新鮮なカツを入れたのがこのふたりの恋愛」であり、同時に「とても気持ちのいい警察小説。これを読むと、前2作は読者を主人公達のキャラクターにひきこむための助走作であったことがよくわかる」と書いています。

 大和撫子を思わせる古風で可憐なリナもいいけれど、デッカーの相棒である男前な女性刑事のマージがいい!という声も多く、マージ・ファンの訳者としてはうれしいかぎりでした。

 そして4作目が「もっとも感動的だった」との声が多く寄せられた『贖いの日』。紆余曲折を経たデッカーとリナは夫婦として登場します。『ヒーローの作り方』(早川書房)で著者が明かしたところによれば、3作目と4作目のあいだにふたりはお忍びで結婚したとのこと。あくまでも奥ゆかしいふたりです。

 新婚旅行先のニューヨークで、デッカーはユダヤ教徒である実母と邂逅し、はじめて自身のルーツを知る、このくだりがシリーズ序盤のクライマックスでしょうか。【読書探偵応援団】の吉田伸子さん「何度読んでも泣けてしまう」と書いてくださったとおり、わたしも訳しながら何度活字がぼやけたことか。

 毎回ラストシーンがしみじみとした余韻を残す本シリーズのなかでも、このラストはまちがいなくピカイチです。

 初期の4作を駆け足で紹介しましたが、シリーズの第1幕はひとまずここで終了。「シリーズ物って途中から読んでもよくわかんないからいやなんだよねー」という声もありましょうが、“入門”としてこのあたりを押さえておけば、以降はお好みで。作中でも折にふれて経緯が語られているので、わけがわからないということはないと思います。

 第2幕にあたる5作目以降は、家族となったデッカーとリナと連れ子たち、それぞれの心の葛藤や成長が丹念に描かれた心温まる家族小説になっています。わけても、デッカーと出逢う前のリナの悲しい過去が明かされる9作目の『死者に祈りを』は、著者自身もっとも深く感情移入したというだけあって、ずしりと胸に迫ります。もちろんそれ以外の作品もそれぞれに味があるので、どれにしようか迷ったときは、ぜひ解説を参考にしてみてください。

 そう、このシリーズ、本編に劣らず解説がまたすばらしいのです。

 5作目の『堕ちた預言者』は村上貴史さん、6作目の『赦されざる罪』は茶木則雄さん、7作目の『逃れの町』は香山二三郎さんが、担当した作品のみならず、シリーズ全体を包括しつつ、独自の切り口で愛のあるステキな解説を書いてくださっています。

 そして最新作は、デッカーの身辺の人びとにさまざまな変化が訪れ、第3幕のはじまりを予感させる『木星(ジュピター)の骨』。マージが大活躍する場面、気合がはいっています。解説は、知る人ぞ知る、あの伝説の(元)編集者松浦正人氏。本シリーズの半分生みの親でもある読書の達人は、この長い長い物語をどんなふうに読んできたのでしょうか。本編と合わせてそちらもお楽しみに。

 それにしても……アメリカではどんどん新作が出ている人気シリーズだというのに、邦訳の刊行はナマケモノのペース。これではいかんっ!と、途中からアン・ペリー訳者の吉澤康子さんを助っ人に呼んでチームを組み、互いに叱咤激励しつつ鋭意翻訳中であります。“なんとか生きてるあいだに原書に追いつこう!”をスローガンに。

 これから読んでみようか、という方はラッキーでしたね。刊行ペースが速すぎて読むのが追いつかないなんて心配は無用だし、大人買いして、休暇中とか失業中とか老後にまとめ読みする、というぜいたくな楽しみ方もありですよ。シリーズものは、新作を待ちわびて1作ずつ読むのも楽しいし、まとめて読んでその作品世界にどっぷりはまるのもまた楽し。

 1986年に産声をあげてから26年(!)、いまも書き継がれ、この先もまだまだ続きそうな気配。本当に息の長い上質なシリーズです。これを機に、ひとりでも多くの方が手にとってくださいますように。そしてそして、願わくは邦訳が途中でフェイドアウトしませんように!

フェイ・ケラーマン公式サイトhttp://www.fayekellerman.net/index.php

高橋恭美子(たかはしくみこ)ミステリー翻訳者。おもな訳書は、フェイ・ケラーマン〈ピーター・デッカー&リナ・ラザラス〉シリーズ(創元推理文庫)、チェルシー・ケイン〈ビューティ・キラー〉シリーズ(ヴィレッジ・ブックス)、ロノ・ウェイウェイオール(ワイリー&レオン〉シリーズ(文春文庫)、ジェイムズ・パタースンのラブ・ストーリー系作品(ヴィレッジ・ブックス)など。

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