今から11年前に雑誌「ユリイカ」が臨時増刊「総特集 ジェイムズ・エルロイ ノワールの世界」を出した。私は霜月蒼とともに巻末ブックガイドの執筆に当たったのである。そのときに霜月と喧々諤々の討論をして、現代読者に「こういう作家のこういう作品を指して我々はノワールと呼ぶんですよ」というリストを作った。編集者はノータッチ、雑誌全体の企画とも無関係なリストである(そういうところ、「ユリイカ」はえらいなあ。任せてくれたのだ)。

 リストを転記する余裕はないので、挙げた作家の名前だけ列挙しておこう。ある程度の作品数がある作家に限ったため、有名どころでも入っていない人がいる。また、なぜこの作家をノワールに含めるのか、という異論もあることだろう。あくまで2000年秋における、霜月と杉江の私論として聞いていただきたい。順不同である。

◆海外作家◆

レイモンド・チャンドラー/ジェイムズ・ケイン/ダシール・ハメット/

コーネル・ウールリッチ/★ライオネル・ホワイト/ハドリー・チェイス/

ジム・トンプスン/★トマス・ウォルシュ/チェスター・ハイムズ/

ロス・マクドナルド/★デイヴィッド・グーディス/チャールズ・ウィルフォード/

ウィリアム・マッギヴァーン/ジョゼ・ジョヴァンニ/マイクル・コリンズ/

エルモア・レナード/リチャード・スターク/ジャン・ヴォートラン/

ローレンス・ブロック/エド・ゴーマン/ハロルド・ジェフィ/

J=P・マンシェット/アンドリュー・ヴァクス/A・D・G/

トマス・H・クック/ジェイムズ・エルロイ/ジョー・R・ランズデール/

ユージン・イジー/アーヴィン・ウェルシュ/ニコラス・ブリンコウ

◆日本作家◆

結城昌治/逢坂剛/船戸与一/馳星周

 ★印をつけた五人は、狭義のノワールの概念にばっちりはまっており(マッギヴァーンは初期の作品のみ)これを読んではまる資質がある人はノワール・マニアになること間違いなし、という作家だ。一冊を挙げるとしたらライオネル・ホワイト『逃走と死と』(ハヤカワ・ミステリ)か。これを読んでムハーッとなる人は、ノワールの星の元に生まれてきた昏い運命の主である。

 ここで言う狭義のノワールとはこういうことだ。1930年代から50年代初頭にかけて書かれたアメリカ犯罪小説の一部が、フランスに輸入されてあちらの文化人から熱烈な支持を集めた。フランス版犯罪小説全集である「セリ・ノワール」叢書、フランス犯罪映画の総称である「フィルム・ノワール」などの名称がアメリカに逆輸入されて後に「ノワール」というジャンル概念ができ、時代を遡行してその中に収められるべき作家が発掘された。ノワールのマスターピース探しである。

 それとは別の動きとしてアメリカでは犯罪小説が書き続けられていた。その中に活劇小説の域からはみ出し、人間の心理の歪みを犯罪という場面に託して書ける特異な作家が幾人か現れていたのである。その代表がジム・トンプスンだ。トンプスンの小説は「人間はその存在からして歪んでいる」という世界観で書かれたものにしか思えない代物で、まさしく発掘された「ノワール」のシンボルとしてふさわしい作家であった。だからノワール=トンプスンなのである。狭義のノワールとは何か知りたかったら、ジム・トンプスンを読むにこしたことはない。代表作『おれの中の殺し屋』(扶桑社ミステリー)から入るべきだろう。だが、なにぶんトンプスンは歪んでいる。読者を選ぶのである。したがって相性が合わない人にはとことん合わず、入口から総体としてのノワールを嫌いになってしまう可能性がある。

 したがって〈お試し〉の作品をここでは呈示しておきたい。この5作を読んで何かを感じた人には、たぶんノワール適性がある。気になったら上記の作家にも挑戦してみてもらいたい。

●時代の鏡としてのノワール

 最初に挙げるのはアイラ・レヴィン『死の接吻』(ハヤカワ・ミステリ文庫)だ。これは他人を踏み台にして上流階級へとのしあがろうとする男の物語である。1940年代から50年代にかけてのアメリカでは大戦からの復興が至上命題となり、上昇志向は是とされた。そうした時代精神のネガ・フィルムといえる主人公像なのである。光と影の反転を繰り返す展開は映画的であり、そういう意味でもノワールの要素が強い作品だ。

●人間の「内部」に注目する作品

 フレドリック・ブラウン『手斧が首を切りにきた』(創元推理文庫)はサイコ・サスペンスの祖形の一つといえる作品だ。大戦後になって犯罪小説に持ち込まれたものに精神医学の要素がある。人間の精神が不確かで信頼できないものだということが注目され始めたのだ。ジム・トンプスンの歪みはその延長上にある。ブラウンのこの長篇は、外観だけ見ればまるでジェイムズ・サーバー「虹をつかむ男」のようなユーモラスさなのに、真相はおそるべきものである。テレビなどの新しいメディアを意識して取り込んでいるのは、変わりつつある時代と、その中で揺れつつある人間という関係に作者が着目しているからだ。

●前世代の固定観念を崩す

 上に挙げたマスターピース作家の中からは、ウイリアム・P・マッギヴァーン『殺人のためのバッジ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を挙げておく。これは悪徳警官小説の先駆けというべき作品であり、都市が無法化していく社会状況が内容に反映されている。それまでは無条件に正義の側に立つと考えられてきた警察官をあえて悪者として書こうとした作者の意図も汲み取っておきたい。かつての価値観を金科玉条のように守ることができないと感じたからこそ、新しいバリエーションを作ろうとしているのである。

●模倣ゆえに勝ち得たインパクト

 ノワールの影響を色濃く受けた1950〜60年代のフランスでは、ジェイムズ・ハドリー・チェイスというイギリス人作家が異常なほどの人気を得た(彼はフランス系イギリス人である)。彼の作品はアメリカ犯罪小説のパロディといってもいいほどに極端なデフォルメが施されたものであり、扇情的すぎるほどに扇情的だった。チェイスの世界の中では残酷な運命によって弄ばれる存在なのである。その徹しぶりを「歪み」と受け止めてもいいだろう。代表作『蘭の肉体』(創元推理文庫)をお薦めしておく。

●忘れがたきダークヒーロー

 最後に挙げるのは、リチャード・スターク『悪党パーカー/人狩り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)だ。スタークは本名であるドナルド・E・ウェストレイク名義の作品を含め、ノワールというジャンルを現代に継承する大きな役割を担った作家である。非情すぎるほどに非情な主人公パーカーが登場する〈悪党パーカー〉シリーズは、ノワールの精神を体現したアンチ・ヒーローの小説として、いつまでも読み継がれてほしい名作なのである。

杉江松恋(スギエ マツコイ)1968年東京都生まれ。書評家、当サイト編集人。主としてミステリー書評の分野で執筆活動を行う。著書に『バトル・ロワイアル2 鎮魂歌』(大田出版)『同じ月を見ている』(小学館)『ひとりぎみ—太子堂純物語』(ヴィレッジブックス)など。ツイッターID @from41tohomania

http://homepage3.nifty.com/sugiemckoy/

【テーマ・エッセイ】なんでもベスト5 バックナンバー

【毎月更新】初心者のための作家入門講座 バックナンバー