ドイツミステリへの招待状 その4

『ミステリが読みたい!2012年版』の「早川書房2012年の話題作」のコーナーでフィツェックの翻訳出版がアナウンスされていました。邦題は不明ですが、『眼球コレクター』といった意味のDer Augensammlerがタイトル。「満を持して」という言葉がふさわしそうな作品です。今年9月にドイツで出版された続編のDer Augenjäger(『眼球ハンター』)も、ぼくは未読ですが、すでにベストセラーで30位以内につけ、ドイツで広く読者を獲得しています。

 フィツェックの邦訳は久しぶりですし、彼のサイコスリラーがふたたび日本の読者の心を震撼させてくることを祈るばかりです。

 サイコスリラーといえば、ぼくもしばらく前に、これまでアンテナにかかっていなかったオーストリアのサイコスリラー作家を見つけ、この数日もその作家の作品群をむさぼるように読んでいました。舞台はウィーンとプラハ、そのよどんだ空気感の中、サイコパスによる連続殺人事件が発生。それを追う探偵や弁護士まで精神的外傷を負っていて、ひとつまちがえたら事件を追う側までサイコパスになりそうなぎりぎりの状況が見事に描かれています。その作家はオーストリアで「ラヴクラフトのキメラ」と呼ばれているそうです。

 さて、前置きが長くなりましたが、ドイツミステリへの招待状は今回が最終回となります。ドイツミステリがらみではまだいろいろ語りたいことがあります。たとえば死刑の存廃論とミステリの関係とか、ストレートにミステリではないものの国家が「犯罪者」となるような「監獄小説」のこととか、ドイツ語をツールにしながら多文化的な視点から作品を書いている東欧系や中近東系やアジア系のドイツ語作家による旺盛な創作活動とか。

 死刑は、ナチの過去を踏まえて西ドイツでは1947年に廃止されますが、東ドイツでは1981年までつづきました(法的に廃止されたのはベルリンの壁崩壊のわずか2年前の1987年)。『犯罪』を書いたフェルディナント・フォン・シーラッハがインタビュー「罪と罰」(東京創元社『ミステリーズ!』2012年2月号/vol.51 掲載予定)で、死刑廃止の理由を彼流の明快な言葉で語っているので、ぜひお読みください。

「監獄小説」はドイツの大学に監獄文学研究所が設置されるほど近年、注目されています。だれもがすぐ思いつくのは、ナチ時代の強制収容所を描いた物語でしょうが、その延長上には未邦訳の古い作品ですが、東部戦線の最前線に送りこまれ見殺しになった囚人たちの実話をもとにした壮絶な物語、ハインツ・G・コンザリクのStrafbataillon999(『懲罰連隊九九九』)などもあります。それに国そのものが「刑務所」に喩えられる東ドイツの物語もいろいろあります。東ドイツが2011年まで存続していたら……という歴史改編ミステリまで最近登場しているほどです。

 でも今回は多文化的視点を持つドイツ語作家の話で締めたいと思います。この20年ほどこの分野の作家たちを何人も追いかけてきました。ミステリに特化することはできませんが、今後広くドイツ文学の中核を成していくのではないかと期待しています。

 他の文化圏からドイツ語圏に移り住み、複眼の視点でドイツ語作品を書く作家たちの事情はさまざまです。自分自身や親の世代が外国人労働者だったり、亡命者だったり、難民だったり……。おなじドイツに住みながら彼らにしか見いだせない視点や知り得ない情報があります。ですから、かつて『最底辺』というルポで話題になったドイツのジャーナリスト、ギュンター・ヴァルラフも外国人労働者の実態に光を当てるために自らトルコ人に扮したほどです。

 とくにトルコ系作家の活躍にはめざましいものがあります。戯曲家のフェリドゥン・ザイモグルが最も注目株ですが、ミステリでは猫を主人公にした異色の作品『猫たちの聖夜』、『猫たちの森』を書いたアキフ・ピリンチがいます。

 今年日本に紹介されたゾラン・ドヴェンカーも出身はクロアチアで、『謝罪代行社』の前に発表したYugoslavian Gigolo(『ユーゴスラヴィア・ジゴロ』)はユーゴ紛争を背景にした作品で、彼の多文化性がよくでています。

 ミステリから離れると、シリア系の作家ラフィク・シャミが、いままさに激動の中にある故国にこだわりながら作品を書きつづけています。『夜の語り部』や『夜と朝のあいだの旅』がおすすめで、ぼくも『蝿の乳しぼり』という変なタイトルの短篇集を訳しました。

『この世の涯てまで、よろしく』を書いたフレドゥン・キアンプールもペルシア系ドイツ語作家という位置づけになります。ペルシア(つまりはイラン)を出自とする作家がユダヤ人ピアニストを主人公にした物語を書いたというだけでも、じつはすごいことなのです。

 それから2009年のノーベル文学賞をとったルーマニア系のヘルタ・ミュラーがいます。チャウシェスク独裁政権下の恐怖政治を描いた『狙われたキツネ』、第二次大戦直後のルーマニア系ドイツ人の強制収容所生活を描いた『息のブランコ』はともに「監獄小説」の流れにも位置づけられます。

 ほかにも自伝的作品Tauben fliegen auf(『鳩が飛びあがる』)で2010年度ドイツ書籍賞をとったセルビア系のメリンダ・ナジ・アボニや、邦訳はまだ『ドラゴンゲート』だけですが、十代でデビューし、独特な世界観のファンタジーで人気のあるベトナム系のジェニー=マイ・ニュエンなども見逃せません。

 ここに、ベルリンの動物園のシロクマをモデルにした『雪の練習生』で野間文芸賞をとった多和田葉子も、日本語とドイツ語を使い分ける作家として加わるわけですから、その多彩さがわかると思います。それにしてもYoko Tawadaのドイツ語のエッセイ集のタイトルが秀逸。Üerseezungen。直訳すると「海を越える舌」。でも「翻訳」を意味するÜersetzungenにひっかけた意味深いシャレですね。

 今年8月にはレバノン系の作家が新たにデビューしました。エジプト出身の国会議員(ドイツでは移民にも被選挙権があります)がベルリンの中心街で爆弾テロに遭い爆死し、当初はアルカイダの仕業とされますが、じつは政府中枢にまで浸透していたドイツ民族主義の秘密組織が……という、ドイツでイスラム移民社会が置かれた現状を活写したなかなかハードボイルドな作品で、7月のオスロ事件の直後だっただけに、ずいぶん話題になりました。ただこの作品はオープンエンディングなので、結末は評価が分かれそうです。続編が出るかどうか、そして出たらどうオチがつくのか待っているところです。

 来年もまた多文化的な視点を持った活きのいいドイツ語作家が登場し、ドイツミステリに新風を巻き起こしてくれることを願いつつ、みなさま、よい年をお迎えください。

酒寄進一(さかより しんいち)。1958年生まれ。ドイツ文学翻訳家。和光大学教授。主な訳書に、イーザウ《ネシャン・サーガ》シリーズ、《ミラート年代記》シリーズ、『銀の感覚』、『緋色の楽譜』、コルドン『ベルリン 1919』『ベルリン 1933』『ベルリン 1945』、ブレヒト『三文オペラ』、ヴェデキント『春のめざめ——子どもたちの悲劇』、キアンプール『この世の涯てまで、よろしく』、フォン・シーラッハ『犯罪』など。

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