第22回(最終回)

 さて、このコーナーでは、翻訳出版の現場について、あれこれと紹介してきました。

 書籍の利益構造にはじまり、原書の選択と取得、海外の出版事情、著作権などについて裏話をつづけてきましたが、翻訳編集者の具体的な仕事をご説明したところで、ひと区切りという感じ。今回が、とりあえずの最後ということになります。

 あらためて「編集」という言葉について考えれば、辞書的には「ある方針にもとづいて材料を集め、記事や書籍などを作ること」と定義されています。

 翻訳出版においては、「ある方針にもとづいて材料を集める」という部分は、訳すべき原書を決め、読者にどうアピールするかを練り、売りかたを考えるという作業に相当します。いわば「頭」を使う仕事ですね。

 定義後半の「書籍などを作る」という部分は、活字組みを作り、体裁を決め、校正をするといった実際的な仕事にあたるでしょう。これは「手」を使う、面倒で泥くさい作業とも言えますね。

 つまり、編集者とは「頭」と「手」とどちらも使わなければならない職業なのです。この両立が重要だし、必須になります。

 しかも、翻訳編集においては「材料」は自分で作るわけではなく、あくまでほかにいる創作者(原著者と翻訳者)が頼りで、編集者はその裏方です。裏方ではあるのですが、その編集者がいなければ、その本が世に生まれることはない。でありながら、創作の補佐にすぎない……そういう仕事なのです。

 そして、繰りかえし述べてきたように、編集者は出版社のなかにいて、それをビジネスとして成立させなければなりません。

 露悪的に聞こえるかもしれませんが、しかし、本がきっちりと利益を生むことが創作者たちの支えになり、次の新たな創作につながっていく構造なのです。出版社は、これをきちんとまわしていかなかればなりません。それが産業としての出版業の役割です。

 わたしが在籍する扶桑社についていえば、テレビ・ラジオ・新聞関連の書籍といったメインのフィールドを持っています。そんな社のかぎられた一部門にすぎない翻訳出版では、利益を確保してレーベルを存続させていくことがとても重要になります(ほかで儲かっているんだから翻訳もので利益が出なくてもだいじょうぶだろう、などと言われることがあるのですが、そんなはずはないでしょう)。

 また、扶桑社は翻訳ミステリー界では後発組です。ジャンル内で実力も名声も高い老舗出版社が第一線を走っていて、予算的にもそういったところとは戦えませんし、広告も打てませんし、書店さんでの扱いも格段にちがいます。

 あくまで傍流にいながら翻訳出版をつづけていくのは、なかなかむずかしいものです。ここ数年はロマンス小説の読者がレーベルの大きな支えになっていますが、それにくらべてミステリーは部数が激減しています。これは当社だけの問題ではなく、業界全体が危機感を共有しています。

 翻訳ミステリーの読者は減ってしまったのでしょうか?

「国産ミステリーの質が高くなったから翻訳ものを読まなくなったからだ」という意見があります。しかし、日本のミステリーは、むかしから独自の地位を確立していたはず。もっとも、国産の小説が欧米の影響を消化し、いっぽうで読者の棲みわけが進んできたのだといえるかもしれません。

「マニアックな作品ばかりが年間ベストに入ったため、たまに翻訳ミステリーを手に取った読者を遠ざけてしまった」という議論もあります。ふむふむ。ここではとりあえず、年間ベストなら読もうとする読者がいるらしいという点を確認しておきましょう。

「翻訳小説はカタカナ人名ばかりだし、舞台もなじみが薄くて読みにくい」という昔ながらの文句もあります。これは根本的な問題であり、それだけに重要かもしれません。読みにくい要素があり、それが一般の読者にとってハードルになっているのはたしかでしょう。

 しかし、どれだけ日本映画がおもしろくても洋画がすたれることはありませんよね。人も場所もなじみがなくても、海外の映画は日本の観客を惹きつけています。それは、邦画とはちがった魅力があるからでしょう。

 そうだとすれば、翻訳ミステリーにも読者を呼ぶ独自の要素があるのではないでしょうか。翻訳ミステリーでしか味わえない特徴とはなんでしょう。

 それを扶桑社のなかで考えて出てきたのが、翻訳ミステリーらしいジャンルの数々でした。ノワール。ホラー。軍事。謀略もの。法廷サスペンス。サイコ。冒険小説。経済ミステリー。歴史謎解き。メディカル・スリラー。コージー。文芸メタミステリー……もちろん日本人作家でもそれぞれのジャンルの優秀な書き手がいますが、海外には作品が数多くありますから、そのなかから選択できるという有利さがあります。

 こうして作ったラインナップには失敗も多かったのですが、意外な成功もありました。たとえば、クイズやショートショートといった軽めの読みものです。

 ケン・ウェバー『5分間ミステリー』(片岡しのぶ訳)という、1作数ページのミステリー・クイズは30万部近く出て、シリーズ累計60万部に達しています。あるいは近年では、ドイツの作家E・W・ハイネのショートショート集『まさかの結末』(松本みどり訳)が12万部を超えるヒットになりました。

 これらは、コアな翻訳ミステリーの読者や批評家のみなさんにはさほど注目されてはいないでしょうが、早川書房さんもその後『2分間ミステリ』シリーズ(ドナルド・J・ソボル/武藤崇恵訳)を出されたのを見ると、こういった本をもとめる読者が相当数いたことがわかります。

 ここで重要なのは、これらの本が、ふだんは翻訳小説を読まないようなかたにも手に取ってもらえたからこそ、部数がここまでのびたのではないか、ということです。

 先ほど言ったように、一般には翻訳ミステリーにハードルを感じている読者が多いのかもしれません。しかし、そういった人たちも、機会があれば読んでみたいと思っているのではないでしょうか。翻訳ミステリーは読みにくそうだが、短くて手ごろなものなら楽しんでみたい、と。

 そういう読者がすこしでもいるのであれば、こういった本が翻訳ミステリーへ入るきっかけになるかもしれません。この本を入り口に、扶桑社の目録を見て、翻訳ミステリーに進む読者がいるかもしれないのです。

 ともかくも、本を手にとってもらうことが、なにより大事な機会といえるでしょう。

 と、いつも以上にまとまりのない話になってしまいましたが、ここで語ってきたのは、あくまで、扶桑社という翻訳ミステリーではちょっと特殊な位置づけの出版社のなかから見た話にすぎません。

 今日も各版元で、それぞれの編集者が、さまざまに考え、模索をつづけていることでしょう。そしてその成果が、書店さんにならぶ翻訳ミステリーの数々なのです。

 この連載では、あえて本というものを出版産業における商品として語ってきました。しかし、ここにつどうみなさんには説明は不要でしょうが、その本という商品の中身は、人を変え、生きかたに影響をあたえる特殊なものです。だからこそわたしたちは、これほどの労力をかけて仕事をしているのでしょう。

 ずっとご説明してきたように、出版社にはいろいろな制約があり、苦労があり、また楽しみがあります。新しい本が世に出るのは、もちろん原著者や翻訳者の努力があってのことですが、編集者が企画を決め、出版社がリスクを負って製作し、販売しているという側面があることも頭の片隅に置いてもらえればと思います。

 けっして出版社の地位を押しつけて言うわけではありません。出版社が生みだした本をひとりでも多くの読者に買っていただくことに、業界全体がかかっているからです。そして、ひとりでも多くの読者に買ってもらえるような本を作ることに、出版社の責任もあるのです。

扶桑社T

扶桑社ミステリーというB級文庫のなかで、SFホラーやノワール発掘といった、さらにB級路線を担当。その陰で編集した翻訳セルフヘルプで、ミステリーの数百倍の稼ぎをあげてしまう。現在は編集の現場を離れ、余裕ができた時間で扶桑社ミステリー・ブログを更新中。ツイッターアカウントは@TomitaKentaro

●扶桑社ミステリー通信

http://www.fusosha.co.jp/mysteryblog/

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