第3回:ウッドハウスさんの墓前に報告篇

 こんにちは、二週間のご無沙汰でした。前二回はデトロイトで開催された米国ウッドハウス協会のコンベンションのお話でしたが、残る二回はその前後に行ったニューヨークとロサンゼルス〈ウッドハウス聖地巡礼紀行〉の話をしますね。そうです、この時わたしはニューヨークからデトロイト、ロサンゼルスと、米大陸横断の旅をしたのでした。『ジーヴスとねこさらい』訳了をもってウッドハウス・コレクションが全巻完結したことを、ニューヨーク州ロングアイランドのウッドハウスの墓前に報告しなければと思ったからです。いろいろ不安はありましたが、まなじりを決してでかけたわけです。

 東京−ニューヨークのフライトは12時間ちょいだと思うのですが、ほぼずっと眠り続けてあっという間に太平洋も北米大陸も横断してニューヨークJFK空港に到着。途中さまざまな不幸に遭いながらも、ニュージャージー州サウスオレンジにある、ウッドハウス友達のジョンの家にたどり着きました。

 ジョンの家は駅から車で5分くらいの緑深い住宅街に立つ一戸建てで、シヴィル・ユニオン・パートナーのポールと2匹のねことなかよく暮らしています。高い美意識に貫かれた広いお宅には、ポールの集めたアフリカの工芸品や、オルゴール、万華鏡のコレクションなどなどが趣味よく飾られています。しかしながらこちらのお宅の白眉は、ジョンの書斎に置かれたウッドハウス本のコレクション。ジョン・グレアムはウッドハウス本の世界的なコレクターで、ウッドハウスのダストジャケット付状態最高美麗初版本九二冊をイギリス版、アメリカ版でそれぞれコンプリートしている人物なのです。

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(ジョンの書斎:どうです、この整理整頓。床置きの堆積本など一冊もありません。コレクターの極意は整理整頓にありとおぼえたり)

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(左がアメリカ版、右がイギリス版)

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(レアな My Man Jeeves だけで4種類も)

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(階段の壁にずらりと掛けられているのは、ウッドハウス初版本の表紙原画。ここにあるのかと、実に感慨深いものがあります)。

 ジョンとは以前、イギリスのコレクター、トニー・リング氏の書庫にいっしょにお邪魔したことがあるのですが、トニーはとにかくウッドハウス関連ならばなんでも集める人。ウッドハウスの活躍領域の広さに対応して、ミュージカル、演劇の脚本、パンフレット、ポスター、広告資材、雑誌、諸言語の翻訳書、映画、ビデオ、オーディーブックその他何から何までが集められ、また〈アイオニカス〉が描いたペンギン・ペーパーバックの表紙原画などが大量に飾られていて圧倒されたものでした。でもその日の帰り道、ジョンはわたしにこう言ったのです。

「確かにトニーのコレクションは網羅的で素晴らしい。でも、ウッドハウス初版本に関しては、僕のコレクションの方がずっとすぐれている」、と。

 ウッドハウス本の本当にシリアスなコレクターは世界に10人程度なのだそうです。明らかにこの10名がウッドハウス本の相場をつり上げているのですね。ジョンは最初期ウッドハウスの Not George Washington の初版本に車が一台買えるくらいのお金を払ってしまった、自分にこれほどまでのことができるだなんて恐ろしい、と、ある日わたしにメールをくれた人です。

 さてと、わたしは二階の居心地のよいお部屋に泊めてもらいました。晩ごはんはジョンがつくってくれたお手製ペストのパスタで、再会を祝して乾杯。ポールはここ数日ウォール街占拠活動に加わっているそうで、本日現地に持参した段ボール紙のプラカードを見せてくれました。

 ところで今回のニューヨーク訪問はウッドハウスのお墓にウッドハウス・コレクション完結の報告をすることが主眼であるわけですが、残念ながら明日ジョンは大事な会議があるからいっしょに行かれないと告げられ(ジョンはラトガース大学経済学部の学部長さんです)、わたしは一人でロングアイランドのレムゼンバーグに行くことになりました。ロングアイランドというのはマンハッタンに隣接する半島で、高級住宅地/避暑地として有名ですが、電車の便はよくありません。ジョンの調査によれば、わたしが乗るべき電車は一日一本。帰りに乗るべき電車も一本しかないようなので、もし乗り遅れたり乗り替えに失敗したら目的地到着も同日中帰着もかなわないとの由。あらためてまなじりを決さざるを得ないところです。

 翌朝はジョンが早く家を出たので、ポールと朝ごはんを食べて駅まで送ってもらって電車でペン・ステーションへ。11:14発のロングアイランド鉄道に乗りこみ、ジャマイカ駅11:40発のモントーク線に乗り換えてあとは眠って乗り過ごさないことだけを心配しながら13:24に目的地〈スピオンク駅〉に到着しました。所要時間2時間10分。晩年のウッドハウスは、年に数回マンハッタンのサイモン・アンド・シュースターのオフィスに自分で原稿を届けに来ていたといいます。車の運転はしなかったウッドハウスですから、おそらく毎回この路線を利用していたはず。この道はウッドハウスも通った道と思えばなんのそのです。

 スピオンク駅に着く少し前に川があって、川沿いにたくさんアヒルのいる飼育場を見つけたので大興奮。これは未訳の長編French Leave でトレント姉妹が始めたアヒル飼育場経営の着想を得たというアヒル飼育場にちがいないのです。わたしが握りしめていったノーマン・マーフィーの『ウッドハウス・ハンドブック』に、「この界隈にアヒル飼育場は残りひとつだけになった」と書いてあるから間違いありません。

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 スピオンク駅は本当に何もない駅でした。小雨もぱらつく寒い日でしたが、駅を背にまっすぐ行けば15分くらいでウッドハウスの墓所のある教会に着く、という確信があって、そろそろ歩くうちにここは来たことがある!道に到着。自信をもって左折して、難なくレムゼンバーグ・コミュニティ教会に到着したのでした。

 教会裏に広がる墓地の一番奥まった一角に、広げた本の形の石を戴いた四角い墓石があって、それがウッドハウスのお墓です。

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 広げた本には、「ジーヴス・ブランディングズ城・スミスにおまかせ・マリナー氏ご紹介」と書かれ(必ずしも書名で統一されているわけでない、ちょっと突っこみようのある表記で、しかも BLANDINGS CASTLE のズのところに BLANDING’S CASTLE と不要なアポストロフィが入っているのをパテで埋めてあります。写真で指さしているのは、4年前に撮ったノーマン・マーフィーの手です)、墓石本体の方には〈サー・ペラム・グレンヴィル・ウッドハウス、作家、1881−1975、レオノーラの母エセルの最愛の夫、彼は数えきれない人々によろこびを与えた〉と記されています。墓石上に読書する「祈りをささげる幼子サムエル」の像が載っていますが、これは数年前に米国ウッドハウス協会のジーン・ティルソンが制作して設置したもの。

 駅周辺でお花を買いたかったのですが、そもそも店というものがなく、持参のペットボトルのお水を手向けられただけでした。お墓の写真下部に頭なしのバラの花束らしきものが写っていていささか不気味ですが、この朝たまたま交わしたポールとの会話から、わたしにはわかってしまったのです。これはシカの仕業だ、と。シカは花が好きでキャンディみたいに花だけ食べてしまうから庭のチューリップが丸裸にされてしまうとポールが言っていたのです。

 シカはいるかもしれないけど誰もいない墓地で墓前にしっかり手を合わせ、ジーヴス・シリーズ全巻14冊訳し終わりました、ブランディングズ城の長編2冊と短編集『エッグ氏、ビーン氏、クランペット氏』も訳しましたどうもありがとうございましたと報告しました。

 墓地を出て教会から右手に折れると、〈バスケットネック・レーン〉という通りが始まります。この先にウッドハウスが晩年の20年間を過ごした終の棲家があるのです。

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 ウッドハウスがこの家を購入した頃、バスケットネック・レーンに他の家はなく、ここから右手に折れて始まる〈フィッシュ・クリーク・レーン〉を下っていくと入江になっているのですが、水際までずっとウッドハウス家の敷地だったそうです。今はこの道の両側に大きな家が建っていますが、そこもかつてはすべてウッドハウス家の土地でした。ぜんぶで12エーカーというから一万五千坪くらいの広大な敷地に、奥さんのエセルとたくさんの犬たちとねこと暮らしていたのです。

 ジョンが5年前、晩年のウッドハウス家に親しく出入りしてウッドハウスの伝記などを書いたデイヴィッド・ジェイセンといっしょにこの地を訪問したそうです。その時ジェイセンはここに来るのはプラムのお葬式のとき以来だと言って、ウッドハウス邸のあまりの変わりように、見てもそれと同定できなかったそうです。今この家はウッドハウス関係者の所有を離れ、ウッドハウスとはまったく無関係な方々が住んでいます。

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 フィッシュ・クリーク・レーンを降りて、入江までいってみました。桟橋には高そうなボートがいくつも係留されています。(写真)四年前にはじめて来た時にも思ったのですが、この辺りの雰囲気は大戦中までウッドハウスが長く暮らしたフランスのルトゥケによく似ています。植生とか、陽射しとか、海の近くの空気感とでもいったものに、非常によく似た雰囲気があります。ウッドハウスは生涯の大半を海の近くで暮らした人です。エムズワース卿の名前の由来になったエムズワースは、『グローブ』誌のコラムニスト時代にウッドハウス青年が暮らしたイギリス南部の港町の名前ですし、新婚時代に過ごしたのもロングアイランドのベルポートなど海沿いの街でした。こういうところが好きな人だったのだと思います。

 帰りの電車の時間は16:14であったので、ここから数キロ先にウッドハウスが大いに関わったアニマルシェルターとウッドハウスの愛犬愛猫たちの眠る動物墓地があるのはわかっていたのですが、そこまで歩いて帰ってくる時間はなさそう。というわけで人並み外れた散歩好きであったウッドハウスを偲びつつ、周辺の住宅地を歩くことにしました。旧ウッドハウス邸は平屋でさほど大きくありませんが、周辺の家はみなたいへんな豪邸で、並ぶ車もみな高級車。いったいどういう人たちが住んでいるのだろうと瞠目するばかりでした。

 ぱらぱらと小雨の落ちる中を飲まず食わずで歩くのもいい加減限界になったところで、電車の時間も心配だしそろそろ戻ろうかと、途中もう一回お墓に寄ってさよならをしてからスピオンク駅に向かいました。駅近くのカフェやら何やらは何もかも閉まっていて、やっと見つけたお持ち帰りピザ屋の隅っこの席でピザとジュースで飢えと渇きをしのぎました。

 帰りはすんなりサウスオレンジに到着。ジョンに迎えに来てもらって、ポールは友達とウッディ・アレンの新作劇を観に行っちゃったからと、駅近くのあきらかに中国人がやっている日本料理店にて墓参および墓前報告成功を祝って二人で祝杯を挙げました。ジョンはロマンチックな人なので、無事墓前にご挨拶できたことを心からよろこんでくれました。ジョンの大事な会議はたいそう紛糾して、学長と理事長がお互いをうそつき呼ばわりして罵り合う、たいへん荒れたものになったそうです。

 翌日はもうデトロイトに向かう身の上なので、マンハッタンを歩くことはできなかったのですが、マンハッタンにはウッドハウスが下積み作家時代を過ごしたワシントン・スクゥエアの〈ホテル・アール〉、結婚式を挙げた〈リトル・チャーチ・アラウンド・ザ・コーナー〉、ウッドハウスがミュージカル黎明期に活躍した伝説の〈プリンセス劇場〉跡地、戦後ニューヨークに移ってきてから住んだパークアヴェニュー1000番地の高級マンション、などなど、ウッドハウス史跡がたくさんあります。ニューヨークを訪れる機会がおありでしたらば、皆さんもぜひ行ってみてください。

ではさようなら。次回は最終回、ハリウッド・ウッドハウス紀行です。どうぞよろしく。

第1回ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(前篇)

第2回ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(後篇)

森村たまき(もりむら たまき)

1964生まれ。中央大学法学研究科博士後期課程修了、刑事法専攻。国書刊行会より〈ウッドハウス・コレクション〉〈ウッドハウス・スペシャル〉刊行中。ジーヴス・シリーズ最終巻『ジーヴスとねこさらい』が刊行されたばかりです。ツイッター・アカウントは @morimuratamaki です。

当サイト掲載、森村たまきさんによる「初心者のためのP・G・ウッドハウス入門」はこちら 

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