――「ダルジール警視、あんたナニサマ?」「神様だけど何か?」

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:気が付けば年の瀬ですよ。一年経つのが早いのナンノ南田洋子(<そこは南野陽子だろ)。2019年もいろいろありました。
 そして2020年はいよいよ東京オリンピックですよ。ラグビーワールドカップも盛り上がったけど、あれよりもっと凄いとか、もう想像ができない。前回のオリンピックを知らない世代なので(一応)、もう楽しみで仕方ありません。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今回のお題はレジナルド・ヒルの代表作『骨と沈黙』。1990年の作品です。

ダルジール警視が酔って帰った自宅の裏でバケツに吐きながら見たものは、男が裸の女に銃で迫るところだった。ダルジールが駆けつけると、女はすでに撃たれて死んでおり、男は銃が暴発したのだと主張する。また同じころ、パスコー主任警部は、ダルジール宛に次々と届く自殺予告の手紙の差出人を探っていた。そして人々の話題は町を挙げての大イベント、聖史劇のキャスティングだった——

 著者のレジナルド・ヒルは1936年生まれのイギリス人作家。2012年に亡くなっています。オックスフォード大を出て教職に就いたのち、34歳でダルジール警視を主人公とする警察ミステリー『社交好きの女』で作家デビュー。今回取り上げる『骨と沈黙』はシリーズ第11作で、CWA(英国推理作家協会賞)ゴールド・ダガー賞を受賞しました。
 ヒルはダルジール警視シリーズ以外にも、多彩な作風で多くの作品を発表しています。ノンシリーズでポケミスから出た『王子を守る者』は、世界を股にかけた冒険スリラーなんですって。菊池光さん訳なので、畠山さんはチェックずみかな?

 それでもやはり、レジナルド・ヒルといえばダルジール警視シリーズ。アンドルー・ダルジール警視はヨークシャー州警察犯罪捜査部の叩き上げ。鋭い観察力と洞察力は誰もが認めるところですが、とにかくこの人、クセが強い。
 牛のような巨体に度の強い眼鏡、口も態度も横柄で、人の話なんか全然聞かないジコチュー男。下品で偉そうで、一つもいいところが無いように見えるんだけど、なんだかどこか憎めない。そのうえ、自分は人気者だと勘違いしているフシがあるから始末が悪い。とにかく地元では誰もが知る有名人なのです。

 さて、シリーズ最高傑作との呼び声も高い本作『骨と沈黙』は、3つの話がパラレルに進行する群像劇でもあるのですね。
 1)ダルジールが目撃したゲイル・スウェイン殺人(?)事件
 2)ダルジール宛に届く自殺をほのめかす差出人不明の手紙
 3)市を挙げての大興行、聖史劇の成り行き
です。

 もちろんメインはゲイル・スウェイン事件。これがこじれにこじれるんですな。浮気相手の家にいた妻ゲイルを踏み込んだ亭主フィリップが銃で射殺。第三者の目撃証言もしっかりある。一見単純な事件なのにどうしてここまでこじれるのか。それは、亭主だけでなく浮気相手の男も事故だったと主張するし、故殺を強く主張する目撃者は酔っ払い、それも誰あろうダルジール警視だったりするからなのです。

 ねえナニこのメチャクチャで楽しすぎる設定。こんなの絶対に面白いに決まってるじゃんねえ。

 

畠山:ちょっぴりモジモジしながら白状すると『王子を守る者』は本棚にて熟成中。そんなわけで私は初めてのレジナルド・ヒルです。そうですか、この方がご高名なダルジール警視ですか。勝手に重々しい雰囲気の人を想像していたら、あらやだ、フロスト警部のアニキみたいな人じゃん(笑)。ただ、人物的にはダメダメでも、刑事としては有能。ここがフロスト警部と違うところでしょうか。

 加藤さんの説明のとおり、お話は3つの要素で構成されています。面喰らったのは“聖史劇”なるものですね。聖書のお話を野外で上演するのですが、サーカスの興行かと思うようなパレードまであるらしく、荘厳なのか庶民的なのかイマイチ雰囲気が掴めません。しかも市民が自ら舞台に立つわけで、聖史劇って地元の人にとって一体どういう位置づけなんだろう。混乱の結果、貧弱な私の脳内では村祭りと市民の第九合唱の絵がキュビズムのごとく構成されるという甚だとっちらかったものになりました。でもこのパートがお話に厚みを与えているのは間違いない。うーん、一度見てみたいぞ、聖史劇。

 肝心のゲイル・スウェイン死亡事件は、現場にいた不倫相手が行方をくらましてから、妙に複雑な展開になっていきます。事業をめぐるお金の問題、夫婦の不和、麻薬取引など、きな臭い要件がいっぱい。中盤すぎまでなかなか進展しないので、少しじれてくるのですが、終盤はあれよあれよ、これでもかこれでもかの展開。えー! そこからソレ? さらにコレ? うっそ、まだあるの? てか、犯人しぶとっっ!!……もうホントにね、軽くニヤついちゃうくらいの犯人ですよ。ダルジールを凌駕しそうな存在感でした。

 そして必ず各パートの冒頭に挿入される、自殺を仄めかすダルジール宛の手紙。多分女性で、教養のある人のようです。彼女に一体なにが起こり、なにに絶望しているのかはわからないのですが、日にちの経過とともに手紙の内容がゲイル事件の捜査内容に近づいてきて、大変にスリリングな雰囲気になっていきます。こうなると手紙の主が誰なのか気になって気になってたまらない。でも、うふふ……私、ピンときましたよ。野生の勘だけど。
 加藤さんは手紙の主、わかった?

 

加藤:そんなのわかるわけないじゃん。てか、そこは当てるところだと思ってなかったよ。

 ダルジール警視は警察官としてそうとう型破りだけど、2人のデキる部下の関係がとても良かったなあ。
 スマートでスタイリッシュ、実は主人公なんじゃないか疑惑のある二枚目のパスコー主任警部と、逆にその容姿をからかわれるウィールド部長刑事。この2人はダルジールに振り回されて何度も酷い目に会うんだけど、なんだかんだでダルジールをしっかりフォローし、言いたいことはちゃんと言うという間柄。この3人のコンビネーションがとてもいい。

 しかし、本作『骨と沈黙』にはさらに強烈なキャラクターが登場します。聖史劇の演出家アイリーン・チャン。東洋系の美女で、そのバイタリティーと強烈な個性は、女性も男性も惹きつけられずにいられません。あのダルジール警視すら彼女の手の中で転がされているよう。
 そのチャンが聖史劇の主役・神様役にダルジールを指名したから、さあ大変。ダルジールの恐れを知らぬ不遜で人を見下す態度は、確かに神様っぽいと言えなくないけど、いやいやそういう問題じゃないだろ。
 混迷を極める殺人(?)事件の裏で、ドタバタの聖史劇の準備が進行し、謎の手紙を放っておけないパスコー主任警部は、一人で手掛かりを探る。ああ、こうやって説明するだけで気忙しいw
 3つのパラレルな話でそれぞれ、ミステリーとして驚かされ、ドタバタ喜劇としても心が躍り、さらに人間について深く考えさせられるって、凄い話だと思いました。

 あと、英国作家独特のひねくれたユーモアだったり、持って回った言い回しだったり、一瞬考えさせられるレトリックだったりが素晴らしくて、読んでいて気持ち良かったなあ。これって翻訳小説ファンにしか分かってもらえない愉悦だよね。激しく堪能しました。

 ところで、今度はこちらから質問。畠山さんはタイトルの『骨と沈黙』(原題は『BONES AND SILENCE』)の意味をどう理解した?

 

畠山:そう、タイトル!  本を読む前は、てっきり白骨死体をめぐるお話だと思っていたのに、わりとフレッシュな死体しか出てこなくて、なんか変だなーと思ってたの。
 元ネタ(?)は冒頭にあるヴァージニア・ウルフの『波』からの引用文で、ここに「骨と沈黙」という言葉が入っています。うーん、なんとなく手紙の主や、何人かの女性登場人物の心持ちと近い雰囲気を受けたりするのだけれど、うまく説明できないなぁ。そもそもヴァージニア・ウルフを読んだことないし。テヘッ

 タイトルに限らず、全体的に文学や宗教、歴史をベースにした表現が多く、ジョークも「ここ笑うとこですか?」と確認したくなる時がしばしば。加藤さんは大いに楽しんだようだけど、私はその高尚さに少しドギマギしてしまった。でも、知識がないと理解できないわけではないし、キャラが魅力的なので気にすることなく読めました。なんといってもダルジールがハードルを下げまくっているから大丈夫。いきなり二日酔いでバケツに吐く姿で登場する主人公なんて、ほかにいる?(笑)

 タイトルに女性の面影を見たのは、このお話が何組かの破綻した(もしくは緊張状態にある)男女が構成しているからかもしれません。男性陣は、超保守的、無責任、根拠のない自信家、自分に酔ってるなどなど、ツッコミどころ満載のダメ男品評会(笑)。反対に女性陣は、人生そのものを諦めているような消極的な様子がうかがえます。そんな彼女たちが、事件や聖史劇のドタバタを通じて変化を見せてくれるのはとっても嬉しかった。猛然と反旗を翻した貞淑な妻の捨て台詞はサイコーですよ!

 緊張状態といえば、パスコーも妻とはビミョーな駆け引きをしています。仲がいいようでいて、油断のならない雰囲気。一方、ウィールドはカミングアウトしたゲイ。二人ともその心情が丁寧に書き込まれていて、とても好感がもてます。パスコーが足を怪我した事件(本作では退院直後で杖をついている)、夫婦の信頼関係にチラリと疑惑の影が差すようになったきっかけ、ウィールドがカミングアウトするに至った経緯などなど、知りたいことがたくさんあって、ぜひとも本作より前のお話を追いかけたいという気持ちにさせられます。

 あ、なんだか主人公そっちのけで語ってしまいました。大酒のみで下品で尊大で、見ているだけなら面白いけど同じ職場はノーサンキューなダルジール。でもね、彼のこのセリフはカッコよかった。
「どんなに強く踏みつけても、真実は壊れんよ。簡単に壊れるのは嘘だけだ」熱い刑事魂と英国の知性が同居する重厚なお話でした。

さて。もうご存知とは思いますが、翻訳ミステリー大賞は、今年から一般読者も一次投票に参加できることになりました! 昨年11月から今年の10月までに刊行された翻訳ミステリーで、「面白かった」と思ったものがあれば、ぜひ投票してください。詳しくは→こちら
 締め切りは12月31日の除夜の鐘が鳴り終わるまでです。でもギリギリすぎるのは危ないですね。紅白で野鳥の会の皆さんが登場する頃には、投票をすませましょう。皆様の「推しの一冊」を楽しみにお待ちしております! 
 それでは皆様、よいお年を!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 レジナルド・ヒルが日本に初めて紹介されたのは1982年、第3長篇にあたる『殺人のすすめ』からでした。つまみ食いのような形と順番で初期作品が訳されているところから見て、当初はさして期待された作家ではないのだということがわかります。自身の読書体験を振り返っても、初期の作品では看板のダルジール警視ものよりも、後述するスリラーのほうが魅力的に見えた記憶があります。

 その印象が一変したのが1985年に翻訳された『薔薇は死を夢見る』、その3年後に出た『死にぎわの台詞』という2作でした。主要キャラクターの人間関係がこなれてきておもしろく感じられるようになったことはもちろん、この2作は明確なライト・モティーフを中心に据え、そこに向けてすべての話題が立ち上がるという求心力のある書き方をしていたことも大きいと思います。ヒルの作品には太い幹としてのプロットがありますが、それを追うだけに終始しない点が小説としての色気です。『死にぎわの台詞』における親しい人の死というモティーフが各エピソードにその小説ならではの色彩を与える。また、主要キャラクターがきちんと役を振られており、彼らがどのような行動をとるか(かつ、どのように予想を裏切るか)が初めから期待できる要素として読者に理解された上で物語が始まります。この図式の上に、毎回の趣向である事件が載せられるのです。

 ヒルが初紹介された1980年代はまだまだ謎解き小説といえば古典的な探偵小説が至上のものとされる、従来の風潮が強い時期でした。コリン・デクスターのモース・シリーズは、あくの強い人物を主人公に配し、彼の推理がスクラップ&ビルドされていくさまを見せつけることで、謎解き小説ファンの獲得に成功したのでした。ヒルの場合は、もっとキャラクター小説寄りでした。イギリス・ミステリーにはジョイス・ポーターのドーヴァー・シリーズに代表される不快な主人公の系譜がありますが、ダルジール警視はそれに連なる人物です(名前の呼び方は、本当はディーエルが正しい)。彼は読者の感情移入を拒むのですが、それを引き受けるのが部下のパスコーで、この二人がネロ・ウルフとアーチー・グッドウィンよろしく役割分担をして立ちまわります。この人物配置がいかに魅力的かということが浸透するまで、時間がかかってしまったのでした。シリーズが中断されず翻訳され続けたのは誠に喜ばしい。イギリスのみならず、北欧など周辺諸国の警察小説にもこのコンビ探偵は影響を与えている可能性があります。ヒルから始めれば、警察小説の良作を渉猟することが可能になるでしょう。

 ヒルはまた、優れたスリラーの書き手でもあります。ハンディキャップを負わされながら孤軍奮闘する主人公を書くのが抜群に巧い。夫がスリーパー、すなわち敵地に潜入して何年も機会を窺い続けるスパイであることが、彼が失踪して初めてわかる、という魅力的すぎる出だしで始まる『スパイの妻』や、家族との反目という個人的な事情を抱えつつ、困難な任務に一人立ち向かう主人公を描いた『王子を守る者』など、これがダルジールものと同じ作者なのか、と目を疑うほどに風合いが違っておもしろい。中でもお薦めしたいのは、狙撃手を主人公にしたスリラーのオールタイム・ベストと確信するパトリック・ルエル名義の『長く孤独な狙撃』です。この小説の幕切れで味わった感慨は、私にとって忘れ難い貴重な読書体験となっています。ぜひみなさんも。

 さて、次回はスチュアート・カミンスキー『愚者たちの街』ですね。こちらも楽しみにしております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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