前回『黒蠅』の読書日記を掲載した際には、「私もここで読むのやめちゃった!」「こうなったら、とことん付き合ってやろうと思ってまだ読んでます…」「ていうか、もっと前にシリーズ追っかけるの諦めたから、こんな話になっているなんて知らなかった。」と様々なリプライを頂きました。うんうん、続きを読まなくなったひとも、そうでないひとも、皆さんやっぱりあの超絶展開には驚愕した、というより呆れ返ってたのね。

 というわけで、今回は読者が離れていってしまったであろう後の第13作『痕跡』です。私も『黒蠅』で呆れたけど、この連載はまだまだ続きますよ!

【あらすじ】かつて検屍局長として勤めていたリッチモンドに、ケイは帰ってきた。現・バージニア州検屍局長マーカスから、死因に不明な点がある14歳の少女の検屍を依頼されたためだ。少女の死は当初、インフルエンザに起因するものだと思われていたが、ケイの検屍の結果、何者かに殺害されたことが判明、しかも少女の体から正体不明の微物が発見された。一方、ルーシーは同居する女性が何者かに襲われた事件を捜査していたが……。

 前作『黒蠅』では、シリーズを語る上で欠かせない“あの人物”のまさかの復活劇、宿敵“狼男”シャンドンの逃亡、と終始ド派手な展開で読者を置いてきぼりにしたが、今回は一転、少女の死因を特定、さらに謎の微物の正体を知るべくケイが科学捜査を行う場面が続き、極めてオーソドックスな捜査小説になっている。『黒蠅』で「検屍官」シリーズから離れちゃった皆さん、この後は意外と大人しい話が待っていたよ。

 『黒蠅』でケイの一人称視点の語りから三人称へと変わったが、本作も引き続き三人称視点で物語は進行。ケイ/マリーノ・コンビによる少女変死の捜査と、ルーシーが同居人のストーカーを追う話、そしてエドガー・アラン・ポークなる(このネーミングセンス……)怪人物の奇行を並行して描いている。

 『痕跡』で感じたのは、作者コーンウェルがケイ・スカーペッタというキャラクターをかなり自身から突き放したところから書くようになったことである。それまでの「検屍官」シリーズにおけるケイ・スカーペッタは仕事でもプライヴェートでも内省的な描写があり、良くも悪くも作者コーンウェルの心情を代弁する分身として機能していたように思う。しかし、『痕跡』では作者はケイに対して必要以上に肩入れせず、事件を解決する役割だけを課している。私生活の描写も極めて少なく、狼狽えるマリーノをなだめる姿は見せるものの、ルーシー、ベントンに対する態度も今までのようなベッタリとした愛情ではなくなっているように感じるのだ。

 これは、パトリシア・コーンウェルが、自分が生んだキャラクターと心理的に距離を置き、もう一度「ケイ・スカーペッタ」という人物を再構築しようと試みたのではないかと私は考える。

 P・コーンウェルがケイ・スカーペッタという主人公を創造したことの一番の功績は、3Fミステリー=女性私立探偵小説、というイメージを払拭したことにある。公的組織に属しながら、事件に対して半ば一匹狼のように立ち向かう女性が語り手となった点が、私立探偵小説のDNAを持ちながら3Fと呼ばれていた小説とは異なるものだった。

 と、こうした認識は90年代前半からとっくにあったようで、例えば1994年に刊行された『ミステリ・ベスト201』(新書館)にある温水ゆかり氏の『検屍官』レビューでは、「女性が主人公になるミステリの枠と裾野を広げたこと、それが一番の成果ではなかったかと私は思う」とある。おそらく作者自身の狙いもここにあったはずだ。

 しかし、幸か不幸か、「検屍官」シリーズのファンはスカーペッタの私立探偵小説的な側面には注目せず、ケイとその周囲の人間たちの関係がどう変化するのかにばかり目が行ってしまったようだ。そして、結果としてケイ自身は「優秀な検屍官」というキャラから成長することはなく、周りの登場人物たちの人生模様が荒れ放題になるのを楽しむ小説シリーズへと変化してしまった。

 だからこそ、三人称視点を採用し、スカーペッタという主人公を作者自身がもう一度外から見つめなおす作業が必要だったのだ。「検屍官」シリーズにとってのスカーペッタはどのような存在であるべきか? 『黒蠅』以降のシリーズを、迷走という言葉で形容するひとが多い。それは死んだはずの重要人物が復活する80年代のジャンプ漫画のような展開や、いきなり主人公の年齢が若返ることに対して向けた言葉だろうが、私は一度見失ってしまった「ケイ・スカーペッタ」というキャラの方向性を、再び見つけ出すべく三人称形式を取ったことの方が一番の迷走だと思う。

 『痕跡』は、ケイが勤務していたリッチモンドの検屍局の建物が取り壊される場面から始まる。解体を見ながらケイは感傷的な思いに浸るわけだが、私にはその感情がこれっぽちも伝わらなかった。そもそも「検屍官」シリーズをこれだけ読んできたにも関わらず、私にはリッチモンドという土地が頭に浮かんでこない。スー・グラフトンのキンジー・ミルホーンが住んでいる架空の町、サンタ・テレサでさえ爽やかな印象の裏に野蛮で田舎臭さがある所なんだなあ、とイメージが湧いたのに。いかにキャラクターのドラマだけを注視してしまう小説だったかを、改めて感じた。次作では土地の匂いが感じられれば良いなあ、と思うばかり。

 挟名紅治(はざな・くれはる)

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ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。

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