各地方で開催されている読書会には、課題書の訳者や編集者などからのメッセージが寄せられることがあります。また、どの読書会でも、世話人などが中心になって課題書のレジュメを作成し、当日参加者に配布します。そういった資料のなかには、1回きりで人目にふれなくなってしまうのがあまりにも惜しい力作が多いので、今後は不定期でいくつかをみなさんに紹介していきます。各地でどれだけ熱い読書会が開催されているかを知っていただくための一助となれば幸いです。

 第1回は、2011年10月28日に開催された第4回大阪読書会(課題書『探偵術マニュアル』)へ訳者の黒原敏行さんが寄せてくださったメッセージを紹介します。事前に参加者からの質問を募り、それぞれの問いに答える形になっています。一部、ネタバレの可能性がある個所が伏せ字になっているので、カーソルで反転させてお読みください。見苦しいかもしれませんが、読書会の資料は全員が課題書を読了していることが前提となっているため、このような処理にせざるをえないことをどうぞご理解ください。

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大阪読書会参加者のみなさまへ

 このたびは拙訳書『探偵術マニュアル』を読書会の課題図書にしていただいたこと、とても嬉しく、光栄に思っております。

 私は本を読むとき、正義とは何かとか、人はいかに生きるべきかといった難しい探し物をするよりも、夢のなかへ、夢のなかへ、行ってみたいと思うほうなので(うふっふー)、『探偵術マニュアル』はまさに好みにぴったり合う作品でした。みなさまもきっとそうなのではないでしょうか。

 うつし世は夢、夜の夢こそまこと。かの江戸川乱歩先生もそうおっしゃいましたね。

 私もできれば参加させていただきたかったのですが、実は『探偵術マニュアル』を訳している頃から、自分でも夢探知の術を会得してしまい、かれこれ一年近く、いろいろな人の夢のなかを巡り歩く生活を、文字どおり夢中になって続けていまして、現実の世界にはいないのです。

 仕事はどうしているかというと、もちろん夢遊病状態の肉体にやらせています。ここだけの話、『探偵術マニュアル』以降の訳書は全部ゾンビが私のかわりに訳しているのです。この夢遊病状態の肉体を代理人として大阪へ派遣する手もありますが、どうもこいつはハキハキ喋れず、表情も動作もいかにもゾンビっぽいので、みなさまに不気味な思いをさせてしまうのではないかと恐れました。

 そんなわけで、残念ながらお目にかかることはできませんが、読書会が和気藹々、談論風発の盛会となりますよう、夢の国でお祈り申しあげます。

 黒原敏行

[頂いたご質問への回答]

○黒原さんといえば、コーマック・マッカーシーのようなハードでノアールな小説を訳していらっしゃるイメージが強いのですが、やわからめでファンタジーな世界の小説を訳す時は、気持や心構えは違うでしょうか。違うとしたらどういうところでしょうか?

 まず、原文の力というのはやはり凄いもので、とくに文体を作らなくても、書かれている事柄や語彙などから、自然とその作品の持ち味が出てくる気がします。それと『探偵術マニュアル』は三人称叙述だし、ハードボイルド小説っぽいところもあるので、とくに意図的に柔らかくしようとしたところはなかったです。

 女性や少年が一人称で語る小説を訳したことがありますが、そういうのはもっと意識的に文体を作らなければなりませんね。私の訳書だと、ガイ・バートの『ソフィー』(創元推理文庫)とか。いや、読まれた方は、別に普通の文章でしょ、とおっしゃるような気はしますが。

 文章の調子が決まりにくいときは、似たような内容の日本の小説を探して参考にしますが、今回はとくにそれもしなかったです。まあ、なるべくファンタジーっぽい気持ち(どんなだ?)になって訳しました。

○不条理な世界を翻訳するにあたって、本当にそういう流れなのか? 誤訳ではないのか? という迷いが出たときに、“拠り所”とするものは何ですか。徹底的な調べものが通用する内容ではなさそうですのでぜひお聞きしたいです。

 実はものすごく悩んだ点がありました。【ここから伏せ字】読書会でもこの話題が出るだろうと思いますが、あの最後にアンウィンが仕掛ける罠のことです。あれ、あまり成功率の高くない方法ですよね? アーサーが、自分は現実の世界でアンウィンを尾行していると思いこむのは、まあいいでしょう。アンウィンが超リアルな夢を構築したからだということで。でも、アーサーが現実の世界にいると思っているのに、彼の夢遊病状態の肉体が一緒についてきたのはなぜか? 目覚めているつもりのアーサーは自分の肉体を操作しようとは思わないのでは?

 結論的には、アーサーは現実に行動しているつもりなので、自然と肉体をも動かしていた。ただ思い違いをしているので、銃を持たせたつもりがアコーデオンだったと、書いてあるままで正解と判断しました。「拠り所」は、何度読み直してもそうとしか読めないことと、アンウィンがこの計画を話したとき、クレオパトラが「とてもいい計画というわけじゃないわね」と言っているので(347頁)、作者もこの点の弱さを自覚しているように思えることです。【ここまで伏せ字】

 作者に質問することも考えましたが、うまく質問の趣旨が伝わるかどうか不安なので、しませんでした。過去には、作者にここは間違いでは?という問い合わせをしたことはあります(『驚異の百科事典男』文春文庫、とか)。

○映画『カリガリ博士』のゆがんだ世界が情景として浮かんできたのですが、訳されている時に『カリガリ博士』の世界観を意識されてましたか。またこの作品を読んでていると、いろいろな映画を思い浮かんでしまうのですが、あとがきで触れられた作品の他に連想されたものはありますか? (『未来世紀ブラジル』『ブレードランナー』『ダークシティ』、こちらのほうが後になるようですが『インセプション』を思い出した方が何人かいらっしゃいました。

 やはり『カリガリ博士』のセットは浮かんできましたが、訳すときには、とくにそれを意識しませんでした。具体的に映画『カリガリ博士』をなぞっていると思える描写はないようなので。読者が何通りにも自由に想像できるのが小説のいいところですよね。上に挙げていらっしゃる映画のほかには、テリー・ギリアム監督『Dr.パルナサスの鏡』とか。夢の世界は一種の仮想現実なので、『マトリックス』や『トータル・リコール』も。

○黒原さんがこの作品のなかで「いちばん好きなシーン」「訳出にあたっていちばんご苦労なさった点」はどこでしょうか。

 この小説は脳内自主映画をつくるのに最適で、ビジュアル的に好きなシーンだらけなんですが、あえて言葉の面白さに着目するなら、エミリーと合言葉を決めるところとか? うーん、いろいろありすぎますね。でも、改めて振り返ってみると、エミリー関係のシーンに好きなところが特に多いかもしれません。あのキャラクターが小説の中で一番不思議ですしね。

 苦労したところは、先ほどの2番目のご質問のところで書いたことのほか、やはり言葉で遊んでいるようなところですね。ポーカーで勝ったときにできる質問の種類の訳し分けとか。「詳問」より「尋問」のほうが突っこんだ質問ができるとあるけど、名前から判断してどっちが上とはいえないのでは?といったツッコミを入れたくなりますよね。すみません。どうかお手柔らかに。

○とても想像力がかき立てられる作品でしたので、まるで映画を観ているように不思議な世界の情景や音を思い浮かべながら読ませていただいたのですが、ふと気になったのが、アンウィンはどんな顔をしているのだろう、ということでした。

 いい感じに控え目で地味な存在感がとてもよいと思いましたが、黒原さんご自身は、翻訳中アンウィンと結び付けて想像されていた俳優さんやキャラクターなどはありましたか? 「外見も性格も控え目」で「勤続20年」ということなのですが、最初に思っていたよりも実際は若いのかなと後半になってイメージが変わってきました。女性にはもててますよね。どんな人をイメージされて、訳されましたか。

 作者が具体的な容貌を描写していないので、人によって結構違うかもしれませんが、私はなんとなく、三十過ぎの頃のジョン・キューザックみたいな感じで想像していました。『マルコヴィッチの穴』は30歳のときですが、あんな感じかな。勤続20年だから40歳を超えていて、若干くたびれた中年男っぽいところもあるのでしょうけど、それでも少年ぽさが風貌にも残っているんじゃないかなあと。あと、作者みたいな人かもしれないと思ったりもして(右の写真)。

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 かなり癖がありますが(笑)。あ、(笑)は失礼ですね。えーと、何というか、とても味のある役者さんになると思いませんか?

○同僚探偵たちの悪評をかっているトリルビーハットですが、ださいんでしょうか? ぐぐってもあまり出てこないんです。

 英語のtrilby hat や fedora で画像検索した方が出てきやすいかもしれません。

 トリルビー(左)もダサくはないですが、フェドーラ(右)の方がやっぱりハードボイルド探偵っぽいですね。

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○本来クレオパトラがファム・ファタールという役回りなのでしょうが、個人的にはエミリーがファム・ファタールっぽい気がします。黒原さん的にはこの小説にファム・ファタールがいると思われますか。またいるとしたらそれは誰でしょう。

 ファム・ファタールというのは、主人公を惑わせて破滅させるような女のことですよね。【ここから伏せ字】となるとクレオパトラは、どちらかというと、シヴァート探偵のファム・ファタールではないかなと。あの二人は一時期恋愛関係にあって、シヴァートがクレオパトラを信じて裏切られるという局面もありましたから(シヴァートいわく、「あの女のことでは必ず思い違いをするからさ」)。

 アンウィンにとって、ファム・ファタールがいるとすれば、ペネロピーかなと思うんですがどうでしょう。彼女に恋をしたせいで、アンウィンは都市(まち)にとどまって、ああいう騒動に巻きこまれてしまったわけで。ただ、アンウィンの恋心はあまりにも淡くて、運命の女の魔力に引きこまれていくという感じでもないし、結果的に破滅させられるわけでもないので、ファム・ファタール性はあまり強くないような気が。【ここまで伏せ字】

 で、エミリーですが、なるほど、それは面白い考え方だと思います。類型でいえば、彼女はファム・ファタールというより、ハードボイルド探偵の事務所にいる有能な秘書ですよね。典型例は『マルタの鷹』のエフィ・ペリンかな。あまりお色気はなくて、ボーイッシュな若い女。むしろ探偵に、あの女に騙されちゃだめですよと注意する役回り。探偵に恋をしている風でもあるけれど、本格的な恋愛に発展するわけではなく、あくまで脇役。007シリーズのマネー・ペニーもそうかも。ところが、『探偵術マニュアル』では【ここから伏せ字】アンウィンに気がありそうなそぶりを見せながら実は悪の手先なので(しかし最後は善玉のトップに立つというアクロバティックなキャラ)、ファム・ファタールっぽいところもありますね。ただ、ファム・ファタールは、やはり男の方が惚れるのが要件になると思うので、ちょっとそうは言いにくいのではないでしょうか。【ここまで伏せ字】

 ということで、あくまで私個人の意見ですが、強いてアンウィンにとってのファム・ファタールを挙げるならペネロビーだけれども、ファム・ファタールっぽさはあまり濃厚ではない、という感じ?

○主要登場人物3人(エミリー・クレオパトラ・ペネロピー)のキャラクターがほとんど一緒のような気がして、登場人物表を見てふと思ったのですが、【ここから伏せ字】エミリーのラストネームが”ドッペル”なのは、彼女はペネロピーの”ダブル=分身”ということなのでしょうか? たしかエミリーとペネロピーは劇中一度も顔をあわせなかったような気がするし。いや、ひょっとしたらクレオパトラのドッペルゲンガーってことも考えられるのでしょうか?【ここまで伏せ字】

 うーむ、その三人のキャラクターがほとんど同じに感じられたとすれば、私の訳し方がまずいせいかも(^^;)。妖艶なクレオパトラ(アンウィンを翻弄する大人の女)、謎めいた美しい娘ペネロピー(アンウィンの憧れの姫)、有能だがすぐ眠ってしまう眼鏡っ子の助手エミリー(しっかり者で頼もしいがアンウィンを混乱させる妹みたいな存在)と、キャラは分かれていると思うのですが……。ただ、ペネロピーの印象がいまいち薄い感じがするので、エミリーに食われてしまったのかも?

【ここから伏せ字】エミリーがペネロピーの分身という見方には、意表をつかれました。エミリーのラストネームの「ドッペル」が持つ意味は、実はいまだに私には謎なんです。うーむ。

 アンウィンは地味な事務屋でありながら内に冒険心を秘めていて、それを最後に開放しますよね。エミリーも小さい頃からの願望を最後にようやく実現します。とすると、エミリーはアンウィンのドッペルゲンガー的存在ともいえるでしょうか? いや、自信はないですが。【ここまで伏せ字】

○私もエミリーが気になったのですが、エミリーのランチボックス(そしてその中身)は何を意味するとお考えですか? 「光沢のある黒いランチボックス」と形容がありますが、日本のお弁当箱とは違いますよね。具体的にはどんなものをイメージされていますか。エミリーが銃をかまえてランチボックスをさげている場面がありますが、そのとりあわせはやはり「異常」なのでしょうか。

 小説の設定からいって、このランチボックスは古いタイプのものだと思うんですね。なのでグーグルで classic lunch box をキーワードに画像検索をすると、たとえば次のようなものが出てきます。

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 別の画像には、こういう金属製のランチボックスは子供時代を思い出させるという説明がついていました。年配の方が書いたのかもしれません。私はこの種のものを想像しました。玩具箱みたいで、ミニチュア人形もたくさん入りそうじゃないですか。

 その象徴的意味ですが、たしかに何か意味を読み取れそうな気もするものの、よくわからないんです。ともかくエミリーは無垢と凶悪の二つを備えていますよね。子供っぽく可愛らしいアイテムであるランチボックスをさげて銃をかまえている図は、とりあえずそれを象徴するような絵柄と言えそうな。

 箱は秘密を隠すものだから、エミリーのそういう鬱屈した心の象徴で、中身はミニチュアの人形という子供の無垢の象徴?

 だからどうという結論は思いつかないのですが、ともかく私にとってこの小説で一番興味深くて魅力的だったのはこのエミリーでしたね。

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 ちなみに映画でエミリーをやってもらうとすれば(という話題に逃げる)、わたし的には何といっても若い頃のソーラ・バーチ!

 以上です。どれも頼りない回答ですみません! やはり私、「答えを探す」のは苦手みたいです。(黒原)

黒原敏行(くろはら としゆき)1957年和歌山県生まれ。東京大学法学部卒。翻訳家。主な訳書に、バート『ソフィー』、マイクルズ『儚い光』、フランゼン『コレクションズ』、マッカーシー『すべての美しい馬』『越境』『平原の町』『血と暴力の国』『ザ・ロード』『ブラッド・メリディアン』、コンラッド『闇の奥』、シェイボン『ユダヤ警官同盟』、ウィンズロウ『サトリ』、ほか多数。