書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 またもや刊行点数が増加した六月。しかも粒ぞろいでした。各社は談合とかしていいから、刊行ペースを均してくれないですかね。さて、この激動の一月を七福神の面々はどう過ごしたのでしょうか。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

千街晶之

『深い疵』ネレ・ノイハウス/酒寄進一訳

創元推理文庫

 ホロコーストを生き残ったユダヤ人と思われていた人物の他殺死体から、ナチス親衛隊員だったことを示す刺青が見つかった。富豪一族をめぐる複雑極まりない人間関係。陰惨な連続殺人事件を覆う虚栄と偽善のヴェールを、貴族出身の切れ者警部が剥ぎ取ってゆく。ドイツ史の暗部をモチーフにした、重厚な読み心地の警察小説だ。

吉野仁

『湿地』アーナルデュル・インドリダソン/柳沢由実子訳

東京創元社

 薄暗い場所の底に埋められた、湿って腐った過去が暴かれていく。派手さはないが、読み応え十分の警察小説。だが、もっと作品を読んでみたい。読み重ねることで、より作家の魅力を知るようになるだろう。それは本邦初登場のネレ・ノイハウス(『深い疵』)やデオン・マイヤー(『流血のサファリ』)も同じだ。今月はベテラン勢を含め充実の月。

北上次郎

『特捜部Q Pからのメッセージ』ユッシ・エーズラ・オールスン/福原美穂子・吉田薫訳

ハヤカワ・ミステリ

 シリーズ第3作だが゛これまでの2作で「もういいや」と思った人、あるいはこれまでの2作を読んでない人は、ぜひ読まれたい。どうしてこんなに急に変わるのか、まったくの驚きである。物語の躍動感は素晴らしく、あっという間に一気読みだ。

川出正樹

『吊るされた女』キャロル・オコンネル/務台夏子訳

創元推理文庫

 アーナルデュル・インドリダソンの『湿地』とネレ・ノイハウスの『深い疵』は、いずれも今年の翻訳ミステリ界の大きな収穫だけれど、キャシー・マロリーが還ってきた以上、躊躇はない。前作『魔術師の夜』の翻訳から早六年半。マロリーがいかにしてストリート・チルドレン時代を生き抜いてきたかが明かされる『吊るされた女』は、待った甲斐ありの逸品だ。ちなみに過去のシリーズ作のネタバラシもなければ、前提条件も不要という親切設計なので、シリーズ未体験の方にも躊躇無く薦められる。

 刈られた金髪を口中に押しこまれ、両手を縛られて吊るされた女たち。二十年前の未解決事件との相似が意味するものは何か。ラスト一段落が胸を打つ、巻擱くあたわざる傑作だ。

霜月蒼

『吊るされた女』キャロル・オコンネル/務台夏子訳

創元推理文庫

 ワンダーウーマンもキャットウーマンも女性として古くね?と思う諸君、このシリーズを読みたまえ。これはミステリの体裁で描いたスーパーヒーロー譚、超冷徹な主人公キャシー・マロリーこそ女性版“ダークナイト”なのだ——氷の美貌とクールな衣裳、怜悧な頭脳と357口径の拳銃、そして心の底に沈む悪しき過去の記憶。彼女が久々に現代NYの犯罪に立ち向かい、その過去が明らかになる最新作。マロリーの静かなカッコよさを堪能いただきたい。少女時代の彼女のキュートな勇姿とともに。

酒井貞道

『少年は残酷な弓を射る』ライオネル・シュライヴァー/光野多惠子、真喜志順子、堤理華訳

イースト・プレス


 出産直後から、なぜか息子が不気味で仕方がない母親。息子は概ね良い子として振舞うが、母は、ふとした拍子の息子の視線に邪悪を感じ、断続して起きる不審な出来事に懸念と疑念を深め、息子が怪物であるとますます確信するようになる。周囲の人への警告はしかし聞き入れられず、息子は遂に、学校内で大量殺人を起こすのだった。

 本書はその事件の後に、母親が夫に宛てた手紙の中で、昔を振り返るという体裁で進む。卓抜したストーリーテリングのもと、実子を愛せないばかりか、恐怖すら抱く母親の内面が、これ以上ないほど濃密に立ち上がってきて圧巻だ。息子が怪物になったのは、母が感じるとおり元々そうだったのか、母の愛が足りなかったためか。答えの出ない疑問を前に、読者はただ立ち尽くすのみ。サイコサスペンスであると同時に、親子関係とは何かを深く抉る、ヘヴィーな作品である。

杉江松恋

『湿地』アーナルデュル・インドリダソン/柳沢由実子訳

東京創元社

 豊作の月ではあったが、結局これを読んだときの感慨がすべてを上回っていたという気がする。展開の妙で読者を惹きつける作品であるためあらすじに触れることは避ける。これはいろいろな実作者に聞いてみたいのだが、ミステリーという形式を持つ小説の中で作者がやりたいのは、この作品で実現されているようなことではないかと思うのだ。読み終えたとき、もしかすると夢のミステリーを読んでしまったのかも、という考えが頭に浮かんだ。誉めすぎかな。うん、誉めすぎか。でも次回作を読むまで、この思いはそのままとっておきたい。なんかすごいものを読んだ。インドリダソン、名前がおぼえにくいのが玉に瑕。

 というわけで、思いのほか票は分かれなかったでした。北欧・ドイツ勢強し、というところでしょうか。これはもう一過性のブームではなくなったような感じですね。さて、来月はどのような作品が上ってくるのか。次回もお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧